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2020年、初音ミクに呼ばれたので、ボカロを聴き始めました

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はじめまして、今日も元気なインターネット中年、賢二です。
2020年ももうすぐ終わらんとしているこの時節、新しく習慣化したことがあります。これには自分でもビックリなんですけど、「ニコニコ動画でボカロ曲を聴くこと」です。

振り返れば、2007年に初音ミクを認識して以降、一生懸命になってボカロ曲を聴き漁ることはありませんでした。もともと初音ミクのことは好きなんですが、「一介の音声ソフトウエアが、人々の手を引き創作の世界へ連れ出す天使から、やがて世界に名を轟かすバーチャルシンガーとなり、いまや日本文化の看板娘として仕事をこなしている」状況にある初音ミクという"概念"の歩みに胸を熱くしており、そもそも純粋に音楽に対する興味が薄いのです。
初音ミクに関わるコンテンツで私が最も推しているのが「超歌舞伎」なんですが、超歌舞伎において、初音ミクはもはや歌っていないし。私は初音ミクに歌唱を求めているわけじゃないんですね。

で、そんな私がなぜボカロ曲を聴き始めたのかというと、初音ミクに呼ばれたからです。今まで聴いていた数少ないボカロ曲をふと聴き直したらめちゃくちゃ良くて新しいものも聴きたくなった!とか、インターネットで見つけて応援しているVtuber御丹宮くるみさんの熱量に浮かされて…とか、ボカコレの予告特番を見ていたら一緒に楽しみたくなった!とか、色々あるんですけど、多分たくさんの条件が重なって、ボカロ曲聴こ〜という心持ちになっただけだと思います。そんなもんです。この気まぐれを「運命」や「偶然」と呼んでもいいんですが、私はロマンチストなオタクですから「初音ミクに呼ばれた」と書いておきます。

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ボカロ曲の向こうの作者に想いを馳せるひとときは、絵画や彫刻を鑑賞している気持ちに似ている気がします。作者の想いが、初音ミク(ら)に託されてるわけですね。これはここ数ヶ月の間に実感したことですが、初音ミクを通すことで、むしろ作者の本質が純度を増して迫ってくるような気がする。それにめちゃくちゃグッとくるようになりました(色んな人が言ってることですが、いざ自分が実感すると感動します)。

ブログを書こうと思ったのは、人が書いているのを読んで、私も書きたいと思ったからです。ここにも深い理由はないし、何たって私は飽き性ですから、ひょっとしたらある日ぱったり辞めるかもしれません。ただ、ブログ上で自分のマイリストを作ったら楽しいだろうな〜という気持ちはあるので、10曲分くらいは記事を書くぞ!と思っています。何卒お手柔らかに、よろしくお願いします。

今更良いてマ?いや新しいとか草 /今から手のひら返されても わら /全盛期時が過ぎ振り返りがち /え?え?え? /music loverならeverythingが全盛期

ほんと、おめでたい人間ですよね。

賢二

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