堀江貴文さんの「多動力」を読んでみた。

今更ながら堀江貴文さんの「多動力」を読んでみて感じたこと。
今更な理由を(言い訳)を言うとすれば俺は流行に乗りたくない!!とだけ言ってみた。

堀江さんは本書の中で様々な言葉を発しているがその中で気になった言葉がある。それが下記に言葉。「多動力」を読んだうえで、その言葉を元に私なりに解釈してみる。

「水平分業型モデル」「垂直統合型モデル」「タテの壁が溶けていく」
「会議中にスマホをイジる勇気を持て」「おかしなヤツとは距離を取る」
「原液を作る側と原液を薄める者」

その前に発達障害の多動症という病気があるが私の個人的な意見として、
そもそも病気ではないと考えている。社会や学校が熱中できる環境を作れていないだけではないのか。私も小学生低学年のころは授業中席に座っていた記憶がほとんどない。ただそのころから好きだった算数だけは授業を受けていたし、クラスでもトップの点数をとっていた。
子供なりにやりたくないことから逃げる手段としての行動と考えている。
病名をつけてしまうから病気のように扱われてしまうだけだと思う。

「多動力」の内容に戻ろう。

~意味~
「水平分業型モデル」
・事務次第や自分の行動で違う分野と交わる(例:インターネット)

「垂直統合型モデル」
・各業種で交わることの少ない(例:テレビ業界)

今の時代・会社・学校など、水平分業型モデルが主流になってきており、この状況を「タテの壁が溶けていく」と表現している。この表現がすごくしっくりきており、まさしく堀江さんの行動そのものだと感じる。

「そして各業界を軽やかに超えてく『越境者』=『多動力』」と定義している。
この世の中、今までの概念や普通と呼ばれていたものが通用しなくなってきてきるし、各業界の知識や常識は異業種ではビジネスを成功させるためのきっかけになる可能性が高い。

難しい言葉を並べてみたが簡単に言うと
【自分がやりたいことをやる!ただそれだけ。】

自分の限られた時間を有意義に無駄なく使うために他人に時間を奪われてはいけない。他人の意見や目線に気をとられている時間がもったいない。かといって他人の意見を無視するという話ではない。自分の中に落とし込み自分で判断するという意味だ。

やりたいことにどれだけハマれるか没頭できるか。そしてその時間をつくるために相手や他人に自分が無駄だと感じていることを任せられるか。
→これはごく一部の人のように考えられるがそうでもない。例えば子育てや家事なんかがそうだろう。役割分担と言い換えれば伝わりやすいのではないだろうか。
これができてきたら次のステージへ。自分の時間を奪われないように行動するのだから相手の時間も奪ってはいけない。それは日常のちょっとした意識で改善できる。例えば本当に意味のあることをしている(させている)か、話をするうえで本質的なことをストレートに聞けているのか。

本書の中に出ていて一時期バズった言葉。
「会議中にスマホをいじる勇気をもて」
会議中にスマホをいじれ。ではなく、会議中の脱線した無駄な時間を過ごすくらいなら他の情報を得てプラスとなる時間に変えようという意味だととらえている。

「おかしなヤツとは距離を取る」
これも本質的には同じこと。相手に時間を奪われるな。自分の時間のすべてをどう使うかはすべて自分次第。他人に1秒たりとも時間を奪われてはいけない。

「原液を作る者と原液を薄める者」
0→1人間か1→100人間しかいないという考え方。
この考えは私にはなかった。誰しもが0→1にすることが楽しく誰しもが求めていることだと考えていたが「原液を作る者」は意外に少ないのだと・・・。「原液を作る者」であるだけで希少人材である。
どちらのタイプの人間でも構わないが『自分がどちらの人間か』を把握したうえで、どちらが得意かを理解したうえで当然だが違うタイプの人間を仲間にしよう。

堀江さんの言葉はストレートすぎてわかりずらいところもあるが素敵な言葉ばかりだ。そして堀江さんになぜ人が集まるのかを考えたときに彼は好奇心と興味のみで動いている。自分がやりたいことをやっているときの行動力と体力はとてもすごいことは誰しもがわかっているだろう。好きなことをやっているときは目の前のことを全力でこなす。だからこそ堀江さんは「人生に目的なんてない。目標も夢もない」という言葉になるのかと思った。

本書を読んで私が思う「多動力」とは

多動力=好きなことを好きなだけ好きなタイミングでやる。
この言葉に尽きると思う。
そして自分がやりたいことに対して協力してくれる人を集められるか。

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