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パリのノートル・ダム大聖堂の火災に思うこと

夜の19時前、ニュースアプリの速報でパリのノートル・ダム大聖堂に火の手が上がっていることを知りました。その時はまだ、数時間後にテレビの生中継で見ることになる光景を想像することさえできませんでした。

この日は「黄色いベスト運動」を受けて始まった全国規模の討論のまとめとして、20時からフランスの大統領がテレビで演説をする予定でした。そのため、テレビでは19時半まではその特集を組んでいました。

しかし、火事の深刻さが現実のものになると、それ以降はずっとノートルダム大聖堂が燃え続ける映像、そして涙声で心境を語る人たちの姿が交互に映し出されることに。ついには演説は中止され、マクロン大統領自らが現地に赴く事態にまで発展しました。

その間、火は木でできた大聖堂の骨組みの部分を焼き尽くし、ついには高くそびえる尖塔に燃え移りました。そして、倒壊・・・。

赤く染まった大聖堂の姿を見ながら改めて思ったのは、月並みながら毎日見ている景色も永遠ではないんだなということでした。形があるものにはいつか終わりがやって来ます。変わらずそこにあるということは、つまり、変わらないように気をかけている誰かがいるということを意味します。

修復と再建

パリのノートル・ダム大聖堂はカトリックの宗教建築という枠組みを超え、フランスの文学、演劇、建築などに大きな影響を与えた文化財。そして、もちろん、パリだけでなくフランスを象徴するものであり、国の数多くの歴史的場面を見てきた生き証人でもあります。

大聖堂では火事になる少し前から修復作業が行われていました。それは、変わらない姿を保つために、その姿を保つための技術を伝承するために必要なことでもあります。寄付だけでなく、建物の中で売られている商品などもその費用に充てられています。

昨夜、大統領は必ず大聖堂を再建すると明言し、フランス国内外では早速再建のための募金活動が始まりました。再建には巨額の費用と長い時間がかかります。火事の前と同じ姿を見ることはできないでしょうが、数年、数十年後にはかつてのように尖塔がそびえる姿を見ることができるでしょう。

そんな知らせを聞いて少し気分が和らいだ一方で、脳裏をよぎったのは、資金不足で災害にあっても修復されることすらなく、ひっそりと忘れられ廃墟になって行く歴史的価値のある建物のこと。

大きな文化財は知名度も手伝って資金が集まりやすく、修復・再建へと比較的スムーズに進んでいくのですが、小さな文化財では重要文化財であってもそう簡単には物事が進まないのです。フランスにはそんな建物が多く存在しています。

今回の火事はとても悲しい出来事ですが、テレビの向こう側でなく、身近の文化財についても一人一人が考えるきっかけになればいいなと思います。災害を前に人は無力ですが、日常の中で文化財を大事に思う気持ちは、国や世代を超えて伝えていけるはずです。


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