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高校3年間旅行

荷造り

僕は、中学校1年生の途中にある1冊の本に出合った。中学校に上がってからは、テストでいい点数を取って、部活も一生懸命頑張ってみたいな感じの生活を送っていた。授業の前の朝読書の時間では、よく新書を読んでいた。分野は歴史や政治経済、自己啓発などこだわってはいなかった。朝読書の本を買いに本屋に行ったときに、ホリエモンの「本音で生きる」という本を手に取った。その時の僕は、「嘘つきはダメな奴だ」的な感じの内容の本だと思っていたが、想像とは違ったことが書かれていた。「自分の気持ちに素直に生きる」。僕は、教科書の勉強を一生懸命して、いい成績を取って、いい学校を出て、いい企業に就くことこそが至高だと思っていた。しかし、この本を読んでからは、「何が正しくて何が間違っているのか」「自分が心からやりたいこととはいったい何なのか」など、常に思考を巡らせて生きるようになっていった。この本をきっかけにホリエモンの本を読む機会も増えていった。

時は流れ、高校受験が終わり、僕は2校の全日制高校から内定を貰うことができた。しかし、僕はそのどちらの高校にも通う気になれなかった。自分にとってどちらの高校も魅力や面白みが欠けていたのだ。そんな時に「ゼロ高等学院」の名前が突然降ってきた。ほんの一瞬で気持ちは決まってしまった。ゼロ校は、魅力も面白みもその時の自分にとっては十分だった。増してや、当時のゼロ校にはまともなことが書かれたホームページすら存在しておらず、説明会に参加するどころか興味すらなかった僕にとっては、ホリエモンの本でふんわりと知っているくらいの未知の領域であった。そんな未知の場所に踏み込みたくなってしまった自分は、親、中学校の担任の先生にその意思を伝えた。しかし残り2日で進路を確定させなければならず、明らかに時間が足りなかった。ゼロ校に自分で直接連絡して、強引に入学に持ち込もうともしたが、結果先生の「一旦全日制の高校に行ってみてからでもいいんじゃない?」という言葉に引っ張られゼロ校入学は一旦白紙に、とてもお世話になった先生だったので、最後は頼りたくなった気持ちもどこかにあったのだと思う。

こうして高校1年生は全日制高校の生徒として始まることになった。

旅立ち

僕はとてもインドアであり普段は全くと言っていいほど外に出ることは無く、たまに友達とサイクリングに行ったり、好きなプロ野球チームの応援に行くくらいであった。

毎日楽しく通っていた全日制の高校生活も夏休みに入った。もちろん僕はお家にひきこもっていたのだが、ある日親に「どっかいってきなさい」という言葉をかけられた。頭の悪い僕は、いの一番に東京に行く計画を立て、1週間、東北・関東・信州に一人旅に出かけた。地理の知識には自信があり、旅行自体には慣れていたため、まったくと言っていいほど困ることは無かった。この旅行で一番頭を使ったのは金銭面だ。今までは、交通費・食費・宿泊費・観光料などは親がお金を払ってくれていた。しかし今回は一人旅、自分で限られた時間と予算で旅行のプランを組むのが難しかった。しかしそれが楽しくもあり、面白くもあった。こうして一人旅の楽しさを僕は知った。

冬には、学校の放課後に青春18きっぷで北東北に飛び出して行ったり、1番好きな新幹線車両である“E4系Max”のグリーン車で東京-新潟を往復したり、しまいにはノリでクリスマスイブにひとりディズニーシーをしたり、行けるときには貪欲に旅行に行った。

冬休みが明け、ゼロ校転入の意思が固まっていた僕にとって、全日制最後の2カ月が始まった。全日制高校に進学し、何度か旅行してきた結果、「もっとたくさんの場所に行きたいと」次第に思うようになっていった。ただ、日本各地を巡るにはあまりにも時間が足りなさ過ぎた。しかしゼロ校なら、この足りない時間を有り余るほどのものにできる。それが転校する一番の決め手になった。

2月の半ば、突如として大きな感染症が現れた。全世界が混乱し、旅行どころか人と接することすら危うい時代に突入してしまった。もちろん学校も休校となった。そのため、1年間一緒に生活してきた全日制高校の仲間にさよならを告げることなく、僕はゼロ校へ場所を移した。
クリスマスイブのディズニーシーの写真
クリスマスイブのひとりディズニーシー

夢空間

高校2年の新学期、僕はゼロ校に転入してきた。ご存じの通り、ゼロ校の活動はオンライン上で行われる。学年がごちゃまぜの班にいろんな地域のいろんな人、なにもしなくてもカオスな空間が完成しているのである。そんなゼロ校に僕がなじむことができたのは同じ札幌に住んでいるMST兄さんの存在がとても大きかった。みんなよりも少し年齢は抜けていて、いつも優しく接してくれたり、場の空気をよくしてくれたり、本当にお世話になっている。

入学早々に地元のローカル線が廃線に、コロナの影響で予定よりも早めに消えてしまった。周りの高校は休校が続く中、ゼロ校は何食わぬ顔で通常運行、通信制の強みを肌で味わった。

その後は、北陸・道内・京都・新潟などなど、平日をかませた旅行をたくさん重ねていった。

中でも一番の思い出になったのが「カシオペア紀行」だ。カシオペアは、かつて上野と札幌を往復していた寝台特急で、このほかにも同じ区間を走っていた“寝台特急北斗星”や札幌と大阪を結んでいた“寝台特急トワイライトエクスプレス”などがあり、僕は寝台列車が大好きだった。しかしこれらの寝台列車は、新幹線や料金の低くなった飛行機に淘汰され、次々と姿を消していき、僕が中学に上がった時点で定期運行されている寝台列車は2種類のみになってしまっていた。カシオペアは比較的新しく豪華な作りだったため、引退後もツアー専用列車として運行されおり、そのツアーが「カシオペア紀行」である。寝台特急カシオペアで過ごした一晩は、小さい頃からの夢が叶った瞬間であり、最高だった。これも平日がらみのイベント、ゼロ校に入学したから叶ったものである。
寝台特急カシオペアの写真
寝台特急カシオペア

出会い

年明け、ゼロ校のFacebookに内藤さんがある投稿をしていた。「Discord導入します」。これまでゼロ校の人とワイワイする機会はとても限られていたがゼロ校にDiscordが導入されたことで、これまで関わったことのない人や少ししか関わったことのない人との接点ができたので、いろいろな人と気軽に繋がることができるようになった。この機会に何人かのゼロ校生と仲良くなることができ、一緒に出掛けたりすることがあった。今までずっと一人で旅行してきたが、久しぶりに誰かと出掛けたことで、自分以外の人と出掛ける楽しみを感じることができた。この人と人との繋がりを今後も大切にして生きていきたい。

死灰復燃

高校3年生の新学期が始まり最後の高校生活を精一杯頑張ろうと張り切っていた春、やりたいことを徐々に始めていくもタスクオーバーで逆に何もできなくなってしまった。学校の課題をはじめ、勉強にお仕事、校内のイベントやプロジェクトなどなど、全てのモチベーションがどこかへ消えて行ってしまった。そのとき僕は、「なにかはやらないといけない」という焦りの気持ちに駆られていた。が、あえて何もしないことにした。下手に動くよりはゆっくりでも時間をかけて何かを見つけたほうが自分にとっていい方向に動くのではないかと考えたからだ。この何もしない期間で僕は、自分がゼロ校に入った目的を見直すことができた。やりたいことがたくさんあることは良いことだが、抱えすぎるのも良くない。そして何かを見失ったときには、立ち止まることも大切だということを学ぶことができた。

今しかできないことを今やる」だから僕はゼロ校を選んだ。残りの高校生活も半年も無くなってきた時期、小さい頃から好きだった新幹線が引退。もちろん乗り納めに行ってきた。今年度限りでの引退が決定している国鉄時代からの特急列車、岡山まで足を運んできた。ずっと見たかった紅に染まる清水寺の夜の紅葉もみることができた。気持ちが前を向いてからはとても早かった。やりたかったことは11月までに一通りこなすことができた。満足のいく経験、思い出を残すことができた。やりきることができた。
清水寺夜の拝観の写真
清水寺 夜の拝観

終点の先

僕はこの2年間のゼロ校生活で無事にやりたいことをこなすことができた。ここまでできたのにはいろいろな要因があると思うが、「何かを成し遂げたい」という気持よりかは、「後悔したくない」という気持が強かったのがカギであったと思っている。僕は小さい頃から寝台特急が大好きだったが、現役時代の寝台特急には1度も乗車していない。幼稚園生・小学生の僕は乗りたくても自分の力で乗ることはできない。仕方のないことだ。そんな幼き少年にも、1度だけ寝台特急北斗星に乗るチャンスがあった。しかし、他の大事な予定とダブルブッキング、チャンスを逃してしまった。そのたった1度のチャンスを逃したことにより、一生経験することのできない幻と化してしまった。この後悔の気持ちを胸に高校生活の目的を達成し燃焼しきった今、目的なき新たな旅の始まり。僕は旅人、通りすがりの誰かだ。原動力は自分の命、一生旅を続けるだろう。

あとがき

この文章は、11月26日の京都のすき家と12月27日の大宮のマクドナルドで“深夜”に書きました。読み返したらおかしな部分や意味の分からないことを書いているかもしれませんが、そんなの知らん。読み返すのもめんどくさい。

僕は、SNさんをはじめとしたサポーターやスタッフの皆さん、MST兄さんや卒業したロビーさんなどの先輩たち、同期・同学年・後輩のみんなに支えられてゼロ校で活動することができています。いつもありがとうございます。

残り3カ月の高校生活、何かしたいですね〜(笑)

ここまで長々と読んでくださった方、ありがとうございます。これからもよろしくお願いします。

サムネイル:永平寺(福井県) 2020年7月2日撮影


編集履歴
21/12/27 執筆
22/01/14 編集
22/01/27 編集
22/02/20 編集

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