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「アジアリクルートの会」というカオスながらも原点を感じる会を、上海で

上海に来ていました。
今回、アジア中から約60名の現役&元リクルート社員(通称 元リク)が集結するのだ。アジア各国各地で開催して、実はもうこれで16回目となる。

今回、僕は現役Rのベルと、中国ビジネスの長い大西さんと、共に幹事のひとりとして名を連ねていた。第11回の香港大会でも初めて幹事をしたが、その時は基本的に香港在住者と共に進めていたので、大きな負担はなかった。
でも今回は居住者が不在。そして中国の3連休と大学一斉試験の日程とも重なるという、バッドタイミング!
中国では連休に一斉に人が動く。その凄まじさは、日本の比じゃない。そのため大変なことも多々あったが、なんとか皆さんのご協力を得ながら乗りきることができました。


今回は、会場に遊覧船を借りて外灘クルーズ。また昼間はバスを貸し切り、オプションツアーを行った。
ここ最近では、その地域において第一線で活躍する方々をお呼びして、講演いただくのが通例だ。前回のミャンマー・ヤンゴン大会には、なんと現地の大使まで来てくださった。
今回はホットペッパー、ゼクシィの責任者だった方をお呼びし、中国事業の撤退と失敗についてリアルな話が聞けた。愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶとはいうが、こういう学びの場はとても貴重だし、自分の中に息づくリクルートのDNAに気づく…そんなことを感じた。

ふだんの交友関係はもっぱら社内と学生時代の友人、という人は多いだろう。でも、リクルートに限らず、同じDNAをもちながらもタテ・ヨコ・ナナメと多方向な関係性のあるコミュニティは、人生をとても豊かにしてくれる。

僕にとって上海は、27歳で初めてチャレンジした海外の場だ。当時の上海はいち早くリーマンショックの影響から抜け出し、とにかくものすごいスピードで成長する街だった。
そこで僕が痛感したのは「日本人の僕は完全に平和ボケしていた!」ということだった。街と人の成長スピード。周りの中国人社員は、仕事だけでなく毎日自分の勉強もしていた。日本語なんかもすぐ覚えるし、覚えたらすぐ使う。そんなハングリーさに圧倒され、強い危機感を感じた。たぶん、今の僕を動かす原動力は、上海で受けたあの衝撃だったんだと思う。

当時から「あ~苦しい。99%苦しい。でも、残りの1%の達成感や成長感で、全部むくわれる…」、こんなふうに思うことがよくあった。

今回のアジリク会幹事も見方を変えると大会直前は99%苦しかった。でも、外灘をクルージングして、屋外でかの有名なネオンを見て、なんだか全部ふっとんだ。いつもそんな刺激を与えてくれる街、それが上海なのだ。

そして次の都市、深圳に向かう。

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