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小説【スペース・プログラミング】第1章:「中学生ライトノベル作家は数学の夢を見るか」

「知ってる? 私ってさぁーー」

 彼女の切り出し方はいつもそうだった。そうやってクラスメイト一人一人に話しかけていった。

しかし彼女は、クラスで僕にだけ話しかけてこなかった。

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↓主要登場人物↓

「おい知ってるか? ラノベで【転生先が宇宙帝王(スペースエンペラー)で侍り侍らせ】ってのあるじゃん、作者まだ中学生らしいぜ」

「確か名前、『宇宙儀そら』とかいう名前だったよな。実際クソ厨二臭ぇんだけど」

「しかもああいうの読んでるのって、実のところ俺たちみたいな中高生じゃなくておっさん達らしいぜ」

「もう転生モノとか飽きた、っていうか転生させる必要があるのかってのも多いよな。な、三谷」

 僕は、教室内の自分の机の近くに座っていた時に、急にまだ名前も覚えていないクラスメイト2人組から話しかけられて、驚いた。

「え、え、え、何が」

 するとそのクラスメイトは呆れた顔をして

「あーもういいわコイツ、ノリ悪りぃ」

 そう言って彼らはそこから去っていった。彼らはいじめっ子でもなんでもないが、今の僕の挙動不審ぶりを見て相当げんなりしたのだろう。

 ただ一つ言えるのは、コイツらに話しかけてもからかいこそすれど、驚きはしないと断言できる。

 その中二病臭いライトノベルを書く「宇宙儀そら」が、僕であることを。


 僕の本名は三谷裕治。

 私立校に入学すればいじめがなくなると思った自分が甘かった。むしろ公立中学校の方が、自身や親のステータスではっきりとヒエラルキーが決まらないことが多いらしいから、平和に見えた。

 總星学園。東京都千代田区のど真ん中に位置する中高一貫名門私立校。表向きは、T大や医学部生を多数輩出するお坊ちゃんお嬢様学校として名が知れているが、その実情はまるで人間関係の闇の部分を凝縮したような世の中の縮図そのものだ。

 ましてや僕が今いる中等部に関しては、いじめはあるわ見て見ぬ振りをする教師はいるわで、僕にとって何も楽しくない。しかも僕の苦手な科目に力を入れている、数学教師が担任だなんて、どんだけ引きが悪いんだ、と思ったりする。

 理数が苦手な僕がこの学校に入れたのは、たまたま父親が国家公務員であることと、先程の生徒の会話にあった【転生先は宇宙帝王で侍り侍らせ】を、タイトルや中身のモラルはともかく「小学生にして世の中に出版物を提供している」という実績があるからである。それがなかったら、普通に公立の中学校に進学していたと思うのだが、先述の通りまだそっちの方がマシだった。

 自他共に認める「隠キャ」である僕の趣味は天文学と地学と読書である。純文学の小説家とかではなく、何をどう間違ってライトノベル作家になんてなったのか。それは小学6年生の時、宇宙をテーマにした小説を普通にライトノベルレーベルの新人賞に応募したからなのだけれど、まさか大賞に選ばれるとは。でも嬉しかったのはその受賞した時だけで、僕は今までにないタイプのジュニア向けSF小説を書きたかったのに、編集者の海王さんという人の意向で、大きく舵取りを変えられ、先程の恥ずかしいタイトル(と中身)のものを書かなければならない羽目になった。また、大ヒットとも言えない程度の中堅レベルの売り上げしか誇れず、しかもまだ3巻しか出せてないため、印税も思ったより多くもらえていない。

 そして、風の噂とは太陽風より恐ろしいもので、どこをどう流れてきたのか、先程のクラスメイトの話でもあったように、書いたのが中学生というところまでアタリをつけられている。まさか僕自身であることまではバレまい。何より奴らもそこまで詮索したりしないとは思うがーーそう、これも彼らの言う通り、僕の本の読者は中高生、ではなく、中高年が多いのである。


 今、5月のゴールデンウィークが終わって初めての中間テスト2週間前。そんないじめられっ子に近い立ち位置の僕であるが、もう一つ憂鬱なことがある。それは今日から数学の家庭教師が来るということだ。生物や地学は好きなのに、数学、そして物理学や化学は嫌いな僕は、母親に強制的に家庭教師をつけさせられたのだ。「出来れば次の中間テストから付け焼き刃程度でもいいから良い点数取るのよ」と言われ、今日の夕方からやってくる。しかも相手は大学生の女の先生で、僕の苦手な工業系だか情報系だかを専攻しているという。全くこれを憂鬱といわずなんと言おうか。

 大体、数学や情報系、特にプログラミングなんて嫌いなのだ。概念が抽象的過ぎるし、天文台を見上げて煌く星空とは雲泥の差だ。光の波長が赤色に伸びていく赤方偏移という天体と僕らが遠ざかる現象と違って可愛げも何もない、ただの曖昧な数字の羅列じゃないか。ましてや僕が専門的に扱っている小説で書かれている、読む人によって解釈が異なる面白さがある文字列ともまた違う。数学やプログラミングは、どこまで突き詰めても答えは答え。そんなの全然楽しめる気がしない。

 午後3時に帰宅して、一応2階の自分の部屋を片付けた。そして母親の言う通り、余った時間は家庭教師の先生に粗相や恥をかくことのないよう、心の準備や予習をしておきなさい、といわれ、その通りにした。僕の口からはとめどなくため息が溢れた。

 やがて、午後5時10分前になって、家中にインターホンの音が鳴った。1階で母親が何か挨拶のようなことを話したりしてお出迎えをしている。そして2人揃ってこちら、つまり2階の僕の自室にやってくる。

 ドアがノックされた。僕はどうぞと言わずに、自分で中から少しだけ開けた。

 最初に僕の目にうつったのは母親で、後ろに家庭教師と思しき人の影が見える。同時に僕に対してこう言った。

「今日からあんたの数学の家庭教師になるお方よ」

 僕は何もやる気がない、というふうに見せつけて相手の家庭教師に対して振る舞ったが、すぐに僕の目は光り、オーロラのように唸りかけた。そして頭の中の細胞をぐるぐると回した。金星に舞う硫酸の雲のように。

 その家庭教師は、一言で言うと、綺麗な女性だった。まだ20歳前だと言うことだったが、端的に言うと僕が最近2番目に一目惚れした女性となった。身長は見た感じ僕と10センチほどしか高くないくらいだから165くらいか。髪型はショートで、落ち着いたカジュアルな服装、そして聡明な目つきと美しい顔立ち。いけない。僕はこの家庭教師の女性の虜になってしまいそうだ。ついさっきまで、僕にだけ話しかけてくれなかった同級生に恋しそうになってたくせに。

「ほら、ボーッとしてないで挨拶しなさい、裕治」

 僕はつい緊張して小声で、しかし相手に聞こえる程度に「はじめまして、三谷裕治です……」と自己紹介した。

 すると、その家庭教師の先生は、女性らしい満面の笑みを浮かべ、僕に右手を差し出した。一見何の合図かと思ったが、握手のことだと気づいた。僕は頭にピンク色を思い浮かべながら、彼女と握手をした。とても暖かくて、柔らかい手だった。と言うか、女性と、それもこんな綺麗な女の人の、手を握るなんて初めてだった。

 そこで、やっと家庭教師の女性が口を開いた。

「はじめまして、三谷裕治くん。今日から家庭教師として数学を担当することになりました。よろしくね。私の名前は桑谷葵」

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