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日本人は外を向き、外国人が日本を見ている

日本を知らなさすぎることが、これからの楽しみでもあり悔しさでもあった。

先日、日本文化はどうなっていくんだろうかということを考えていた。

外に目を向けどこかを真似し、波に乗ることは決して悪いことではない。ただ内のことにあまりに頓着ではないかとも思ってしまう。

これは16日に名古屋で行われたイベント「NAGOYA INNOVATOR'S SPECIAL EVENTS」に株式会社umariの古田秘馬さんとジャスティン・ポッツさんが登壇した場面で改めて強く感じることになった。

ジャスティン・ポッツさんは、日本に来て日本酒に出会い魅了され、今では利き酒師に利き酒を教えることができるほど、日本のお酒に詳しくなったという。イベントでは、知多半島にある日本酒「白老」の伝統的製造方法の大切さや「三河みりん」を実際に試飲してみるという体験を通して、「地方にある日本」を熱く紹介してくれた。

とても有意義な時間だった。

ただ、残念なのは僕も含めてそこで出される地元のお酒の話題や日本に関する質問に全く答えることができなかったということだ。

シアトル生まれの彼は言った。「日本人は四季があって良いというけれど、僕の住んでいたところにも四季はあったし規模も大きい。そこに感動するわけじゃない。日本には桜の中で花見をするし、四季に合わせた行事がある。それは他の国ではできない日本でしかできないことだ。大事なのは四季があることじゃなく、その中で”何をしているか”を目を向けるべきなんじゃないか。

しっかりしてくれ!と言われているようだった。

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思い返せば同じようなところに惹かれていた。

編集者の松岡正剛が運営するブックナビゲーションサイト「千夜千冊」に紹介されている『もし、日本という国がなかったら』(ロジャー・パルバース著 坂野由紀子訳 集英社インターナショナル)の内容をブックマークし何度も読み返している。

とてもとてもそこいらの日本人が感得している日本ではない。いやいや、日本の多くの知識人にもこういう日本文化は、なかなか身についていない。パルバースを得た日本は幸いなのである。「もしもパルバースがいなかったら、日本はもっとつまらなくなっていた」!
パルバースは、日本人があまりに“insular”(内向き)になっていることを心配する。自国の文化を海外に向けて自信をもって語れないまま、産業的なグローバリズムの波にだけ乗ろうとしていることに危惧を向ける。


長いが全文読み応えがある。ロジャー・パルバースが日本人より日本を愛し、日本を鋭く分析し、自慢をしている。日本のいいところが見えるのは嬉しくもなんだか悔しい気持ちになる。

京都でサムライ体験ができる「kyoto samurai experience」に行った時も、来ているのは8,9割が外国人で日本人の方が珍しいという。

日本にいて、僕らは何を語れようか。

僕はまだ語れるものを集めている最中だ。

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