愛はこころを受けとめ、注いでいくもの。

「愛」についての議論はよく目にするものだ。もちろん解はない。こんな大きな題に解はぱちっと定まらない。いつだって「これくらい」という近似値しかない。だから自分なりの答えをもつことに意味がある。


有名な少年漫画『NARUTO ナルト』で忘れられない場面がある。禅僧が正座をし、両手を広げる。その手にはそれぞれ「心」と「受」の漢字が書かれており、賞賛の言葉をうけて、涙しながら合掌する。物語の中では一瞬の出来事にすぎなくても、僕の中で強烈に残っている。

両手を合わせたとき、おそらく「愛」を表していた。そして、「愛」とは「心」を「受」けることだろうとも想像させる。ではいったい”心を受ける”とはどういうことだろう。

受けるということは相手がいて、渡してくれたものを受け取るということ。僕はそれを「相手の心を受け入れる器」なのではないかと考えた。器には形や大きさがみんな違う。スプーン一杯分の小さなものから大きな寸胴鍋、形も丸や四角といった均一的なものだけでなくイビツなものもある。

「愛」を器としたのなら、じゃあ「愛する」とは何だろう。器がすることを考えてみると、何かを入れたり、移したりするのではないか。そうすると、愛するは受け取った愛を他に注いであげることなんじゃないかと思えてきた。

「愛とは相手から受け取り、注いでいくもの。」うん。少しだけ見えた気がする。

僕はネットでも何でも、いいなぁと思ったものには「愛」を持って、注ぐ気持ちでいる。何かいい文章に出会ったら、ありがとうございますと思いながらコメントしたいし、なるべく感動を言葉にとじこめたい。

いいアイデアを友が言ったなら応援したいし「いいね!」を送りたい。それも愛を注ぐということだ。今回書くことにしたのはこの記事が始まりだった。

俺が一番いい意見を出してやる!」ではなく、「おまえの意見、いいな!」と言える人がカッコいいのも、今の時代の特徴だと思います。つまり競争よりも、協業や共同というスタイルが新しい価値を生み出し、面白そうだと多くの人が気づき始めた。

いいね!それ!と相手の言葉や考えを素直にリアクションしていけるのは、やっぱり相手への愛があってこそだし、言葉に残しておこうと思った。



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大岩 憲治

2019 日日是好日 「立 」

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