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自分で考えること、考え続けること。

考えることはやっぱり大切だ。

僕が日課のようにして読んでいるものに、糸井重里さんの「ほぼ日刊イトイ新聞(ほぼ日)」がある。今日の投稿が考えさせられた。

北海道の方から、こういうメールをいただきました。
 「ほぼ日さんは今回の北海道の震災について、感じること、思うことはないのでしょうかね?東北の震災のように、津波があったり、仙台のような大きな街が大きく被災しないと、反応はないのでしょうかね?昨晩から通電して、やっと久しぶりにほぼ日を見れるようになって、でもなんかがっかりした気持ちになりました‥‥。ほぼ日は心の灯かと思っていましたが、何事もなかったようにいつも通りなんですね。」 どうしていたらよかったのか、考えたのですが、なかなか、ほんとにいい答えは見つかりませんでした。

難しい問題だなと思った。たくさんの人に届くものだから、いろんな声があるだろうし言っている人の気持ちもわかる。

読んでいると、最近ほぼ日で対談していた幡野広志さんの投稿を見つけた。

僕もつい2週間前には北海道にいたから、同じように想像してゾッとした。

どうすればいいのか?

現場の状況や気持ちは、いくら想像したところで当事者にしかわからないものがある。でも、だからといって距離をとるのは違うだろうし、離れた僕たちも考えないといけない。

あのとき北海道で訪れた地は本当に美しい景色だった。人も温かかった。

考えること、考え続けること。それは言い換えれば思い続けることと言えるかもしれない。

思ったことをこうして残しておくことは大切ことだと感じた。やっぱり人は忘れてしまうから。少しでも思い考えたうちに残しておく。

幡野さんの投稿には終始共感した。

北海道にまた行って何を見て、何を感じるのか。そのときにまた書き残したいと思う。


おわり


サポートは心の安らぎであり、楽しみである読書のために書籍代にしたいと思います。それをまた皆さんにおすそ分けできたら嬉しいです。