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日本文化は侵食されるのか、呑みこむのか。

日本文化という全体像はとてもじゃないけれど語れないし語るものでもない。でも興味は日に日にましていて気になってしまう。


先日ツイッターを眺めていたときにパッと目をひかれたのがこちら。


もちろん侵食されるのを意識して作られたものではないけれど、アメリカやヨーロッパの文化に染まっていってしまう日本を想像してしまうのも分からなくはない。文化庁ホームページにはシンボルマークについてこう書いている。

平成30年(2018年)9月に決定された文化庁の新・シンボルマークは,円型と伝統的な市松模様の組合せにより,多様な文化芸術の様相を表現しています。二種類の円の重なり合いが,文化芸術の無限の可能性も感じさせます。

東京オリンピックのエンブレムが市松模様だから文化の象徴として合わせたところもあるのだろうか、印象深い。

侵食なんてのはやっぱり物騒な言い回しのようだけども、デザインは何かの特定のイメージを伝えるものであり、どう伝わっていくかも重要で、考えてみるのは大事なことだ。

105歳をこえながら現在も美術家として活躍する篠田桃紅は、『103歳になってわかったこと 人生は一人でも面白い』(幻冬舎)の最後に「着物の文化、ひいては日本の文化は末端の方から途絶えています」と書いた。着物を日常的に着る人はめっぽう減ってしまったし、日本文化には歌舞伎や能や和歌、独自のものがたくさんあって目を向けると楽しいなぁと最近思えるようになったけれど、機会がなければ新しい今風の、海外ブームに流れていくのは十分しょうがないことのように思えてくる。

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何か外からの文化にのみこまれそうになったり、流されたりというのはどうやら昔からあったようだ。日本美術に親しい白洲正子の著書『花にもの思う春』は教えてくれた。

本によれば、八世紀終わりに奈良から京都に都が移されたとき世の中は一変したという。三大和歌集とされる古今集の撰者になった紀貫之は、様子が変わって中国の文物ばかりをとりいれている朝廷に対し「万葉集がだされたときのような”やまと歌”の形はもうなくなってしまった」と嘆いた。それを受けて白洲正子はこういう。

思えば日本の文化は、何度もそういう危機に直面し、その度毎に新しいいぶきを得て、蘇ったように思われる。もし、中国文化の波にさらされなかったならば、言葉はもちろんのこと、文字も発達しなかったに違いない。漢字から仮名を発明した人々は、天才的な仕事をなしとげたので、その萌芽は万葉集に見られるとはいえ、まだ不安定な時代がしばらくつづく。例えば平安初期の人々がどんな風俗をしていたか、そんなことも正確にわかっていないのは、世の中が混乱していたことの証拠であり、言葉の問題と切離して考えるわけには行かない。そういう暗黒時代に、やまと歌のか細い糸は切れることなく、中国文化の蔭でひっそりとつむがれていたのである。

波をうけて、その度にその波をも受けいれて新しい何かを創造する。本来外のものだったものを飲みこんで、新しいものに変えてしまうのは今も昔も日本の強みなのかもしれない。

日本文化に興味が湧いて、少しずつ日本を知って日本のすごさを改めて感じる日々だ。

楽しい。

もっと知って感じて、好きになりたい。

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