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言葉の選択

皆さん、こんばんは。Kenji Onoです。

今回は「言葉の選択」についてダラダラと書いてみたい。

皆さんは人生を過ごす中で、言葉の選択を誤ったと思ったことはあるだろうか?おそらく多くの方は少なからずあるのではないだろうか?
なお、筆者は残念ながら多くある。特に10代、20代前半は失敗を重ね、当時の先生、上司、先輩、友人に叱られたことを覚えている。
幸いにしてその時の失敗から学ぶことができたのか30代以降は記憶に残る失敗はない。ただ、呆れて指摘をされていないだけといった可能性を捨て去ることはできないのだが。

そんな「言葉の選択」だが、ある打合せにて、言葉の選択を誤った方に遭遇した。その打合せは、その方が所属する会社が提供されているサービスに少々難があり、お客さまがご立腹されている状況であった。
(もう少し踏み込むとサービス提供会社側にも言い分がある点は理解出来るのだが、話の本筋とは異なるため割愛する。)
そのような状況下において、「言葉の選択」を誤ったのだ。同席している立場ではあったが、その言葉を耳にした瞬間に驚いて目が見開いたぐらいだ。すかさず別の方がフォローをされてはいたが、打合せ後、当然のようにお客さまはその発言を覚えているわけだ。
マイナスに傾いた感情を解きほぐすには困難が待ち構えているように思えた瞬間である。
同時に「人のふり見て我がふり直せ」ではないが、改めて気を付けねばと思わされた。
本稿ではこのあたりに止めたい。

以上、駄文・悪文を許されたし。

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