平野直己さんインタビュー(北海道教育大学札幌校教授) 生涯発達の心理を語る

●このインタビューはもともとは思春期、青年期の発達に関する「自立」について、その際に起こるつまづきなどの問題などを含めて伺うのが主目的でしたが、当時から自分が老いた両親を看ている過程で「自立とはそもそも何だったのか?」という新しく湧いてきた問題意識が生じつつありました。そこで精神分析理論を軸にセラピーなどの臨床心理カウンセリングを行なっている北海道教育大学教授の平野直己先生に率直に想いを伝えてそれについて語っていただいた2014年夏のインタビューのラスト部分です。全体を読んでみたい方は、このnoteの最後にリンクを貼っていますので、そちらで確認をしてください。(ちなみに私はいま認知症の母親を看ている最中。このインタビューで語っていただいた内容は現在も心に深く刻まれる、導きの糸になっている内容です)。

生涯発達の心理を語る

ー さて、もう一つだけお聞きしたいのですが。ぼくがいまだ自分の中で収まりのつかないことをお聞きしたいと思うのです。実はウチの父親が最近急に年老いまして(2014年当時)。もしかしたら亡くなるかもしれない可能性が近々あったんです(2017年4月死亡)。そのとき急にふといままで意識しなかったんですけど、「終末期」ということを意識したんです。そこは全然準備して考えて来なかったので、慌てふためいてしまったということがありまして。そこで無理やりのようですが、若者自立支援とか。元々はその辺から質問の意図があったんですけれど、自立支援というとやはり就労とか、経済的な自立とか、そういう側面が現実的にはあるではないですか?何か人生の光へと。勿論若いわけですから、人間の自然として成長として光に向かって坂を上るという。そこでおずおずと日陰に居ないでさ、という。ちょっと後押してもっと日のあたる場所に行ってみよう、みたいなことだと思うんです。でもふと思ったら青春期、成年期ってほとんど年取ってる親のこと忘却してるというか。それが自然といえば自然だと思うんですけど、同時に何か欠落してる、大事なことを忘れているんじゃないかなと思い至った感じなんです。
 そういう時、若い天才的な芸術家とか宗教家は自分の内面に「老いの意識」みたいなものを何か直感的に感じている。そういう人たちはけっこう普遍性をもって居るような気がして。宗教家で言えばお釈迦さんが完全にそうですよね。「生老病死」みたいな。早く、若い段階でそこにこだわり持っちゃってその呪縛から逃れたい、って修行に入ったわけですよね。だからそういう人もいる。そういった人たちもたしかに特殊かもしれないですけど、あるかもしれない。どうなのかなあ?と。

平野 そっかあ。

ー 言語化もぼく、まだ上手く出来てないんですけどね。

平野 僕はね。ええと、僕らの世界では「ワーク・スルー」って言うんだけど。何回も何回も自分の課題を修正していったり、もう1回振り返ってみたり。また同じ課題にぶつかってみたりね。それを繰り返しながら人って生きていく気がしてるのね。例えば一つは「死」という問題はそうだよね。死と言ったって児童期に感じる死のイメージ、青年期に感じる死のイメージ、今度は自分の父や母を本当に具体的に看る段階ね。みんな違うわけだよね。
 だから最初は親から離れる、身体的に離れて学校に行ける身体的な親との間の別れがあるでしょ?次は精神的な別れでしょ。そのうちに今度は何か?といったらさ。生命としての別れでしょ。それから自分との別れで。そういう「別れ」の中で生きていくわけでしょう。でさ、基本的に人生というのは「別れ」と共に生きているわけよ。これも精神分析的な考え方でね。常に僕たちは対象喪失のために生きているわけ。生まれた時から死ぬことだけは決まっているわけだからね。で、それは僕はね。ずっと幼児期からあると思うよ。だけど僕らの年代、僕と杉本さんの年代は自分の親の老いを見るんだよね。

ー はい。そうですね。

平野 そうだよね。で、そうすると今まで自分たちが否認してたことに気づくわけだよ。

ー そうそう。そうなんですよ。

平野 いろいろね。感じないようにしてきたわけだけども。

ー 極めて具体的な形で。

平野 そう。極めて具体的な形で来るんだよ。だからさ。自分が持っていた親のイメージと違うものをどんどん目の当たりにするわけだ。今度は僕らが介護する側に立つわけ。でもそれって、新しい問題なんだよね。フロイトの時代は多分、人生は60年か70年だよ。20歳くらいで結婚して。40くらいまで子どもを次々産んで。そして残り20年なんだ。だから末の子が成人する頃に死ぬわけだもんね。つまり子どもである間に親と別れるんだよ。だから大学生の頃に親と死に別れするというか、死別したわけ。でもいま違うんだよ。僕たちが60になって、親が80~90で死んでいくんだよ。そうすると僕たち自身の老いを感じながらその親が衰え、朽ちていくというのは新しい問題だと思うんだよね。

ー そうですよねえ。新しいですよ。

平野 そう。でね、それについて体系的に語れる人はまだいないんだと思うよ。

ー ああ。そうなのか。

平野 僕たちが、僕たちの世代というか、ちょっと上の世代。いま介護をやっている人たち。老老介護をやっている人たちが語れることなんだと思うよ。ウチの祖母、90なんぼで死んだけど、そんなつもりじゃなかったって言ってたもん。もう60だと思ったらまだ30年ある。「フルマラソン走ったらまだ20kmある」って河合隼雄先生言ってたけど、そんな感じですよね。

ー そうですよねえ。いやあ~、でも半分安心しましたし、半分難しいと思いました。ええ。

平野 難しいよ。何故かっていうと僕らが、つまり何と言ったらいいのかな?僕らの近い未来を見ることになる。
 20の時に50で親亡くすのはまだ頂上に行く前に親を失うわけだから。対して下山し始めているときに下山先の親を失うわけだから。だいぶ違いますよね。上り坂で親との別れを体験、生命的な別れを体験するのと、下り坂で体験するのとちょっと違いますよね。

ー だから僕の中で感情の収め所の言葉というと「生老病死」という言葉しかないんですよ。老、病、死というものが四苦の中にあるんだというのが本質的なんだという。それが正しいんだというしかないんですね。でもそれ以外の言葉は特に見つからないんで(笑)…。

平野 ああ~。でもそれはお釈迦さんもキリストも知らないことだと思いますよ。何故かというとね。若い弟子に彼らは看取られながら死んでったんだよ。その意味で違うんだよ。いま亡くなっている人たちは老い衰えている弟子たちとともに死んでいくわけ。

ー ああ。そういうことか(笑)。

平野 言ってる意味、わかります?

ー わかります。

平野 だから20の子が見送る親と、50代の大人が失う親はちょっと違うんだよね。そこの心理学について語っている人はあまり見たことないと思うんだよなぁ。

ー これからの分野かもしれませんねえ。

平野 そうだと思う。

ー 壮年期の人が老いた親を看たときに。

平野 壮年期の子どもがね。親をどう看るか、ということね。

ー やっぱり子どもなんですよね。その意味ではね。

平野 そう。だからもう一度自分の中の、子ども時代の自分に出会うでしょ?

ー だからそこで。果たして本当の自立って何だろう?とちょっと思ったというか。そんな感じでしたねえ・・・。

平野 それは俺にはわからない。でもそれはもう現実的な問題だから。

ー そうですねえ・・・。

平野 どっか否認してるし。何故かといえば、僕は東京に残してきているから。

ー う~ん。

平野 あと、むかしはね。楢山節考なんだよ。基本的に捨ててくんだよ。能動的に捨ててくんだよ。姥捨て山。

ー でも泣きながら、ですよね。

平野 そう!そうそうそう。だけど、それをさ。親は受け入れていくわけ。で、それは何を意味しているかというと、自分もいずれそうやって捨てられる存在なんだということを「引き受けていく」ということでしょ。

ー ええ。いまのお医者さんって、インフォームド・コンセントで全部言うんですよね。だからウチの親が胆のうとらなくてはいけないと。開腹手術しなくちゃいけないって言われて。親父は心筋梗塞やってるんで、そうすると今度は薬の作用で出血死する可能性もあるかもしれないのでね。輸血とか、親の面前でそれを全部説明して。

平野 そしてサインしてください、でしょ(笑)。

ー そうそうそう。それでね。僕、最悪の場合のリスクって何ですか?って聞いたら笑顔の割と接しやすい消化器内科の先生に「いやあ、術中死です」って言われて。割と明るいニュアンスだからその時は全然キツく響かなかったんですけど、あとで”え?そんな深刻か?”みたいな感じになったんですね、僕は。でも親父は。その時全部聞いてて、胆のう炎とは何か?とか全部質問してて。頭がしっかりしてますから。で、「わかりました。すべてお任せします。これは天にお任せですから」って言ったんですよ。その時初めて、僕、”親父ってすげえなあ”って思ったんですよ。

平野 強えなあって思ったんだね。

ー ええ。

平野 へえ~。

ー 本当に。あんまり尊敬してなかったんです。恥ずかしながらずいぶん小馬鹿にして後悔もしてたんですけど。そうやって引き受けるんだなあって。でもちょっといまは元気になって退院しそうなんで。またワガママになってきて。

平野 ははは、ははは(笑)。

ー まあ、日常性が戻ってくるとまたね。「面白くねえな」と思うんですけど。でも、その瞬間の記憶は”すごい”と思いました。

平野 だって、30年後の自分だもんね。

ー そうなんですよねぇ。

平野 その時に僕らも同じように死について考えるわけでね。

ー 88の米寿なんですね。ウチの親父。で、前から、今年の3月くらいから食べれなくなって「死にたい、死にたい」って言ってたらしいんですけど。母親に。で、心気症じゃねえか、気分障害じゃないかと。でも、たまたまあるお医者さんに話したときに、「いや、たいがい高齢者の場合は身体のほうでそういう言葉が出るんだ」って。身体のほうの疑いが大きいのかな?と思い始めていたら案の定、胆のう炎があってという。でも未だに食べれないんですけど。まあ、昔ふうに言えば老衰ですよね。まだ老衰でも生きなくちゃなんないというのが今の時代のちょっと難しさでもあるかな、と。

平野 そうだよね。生命をいかに存えさせるかが何か医学の課題だからね。だからこの世からあの世へ送り出すのとは少し違う。

ー そうですね。だから父も、新しい課題に向き合ってて悩ましいし。

平野 そうだよ。だってお父さんが経験していることは人類が経験していないことだから。これまでの人類が。人生80年も生きる時代なんて人類が今まで直面してない問題だから。

ー おなかも治った。身体も問題ありません。でも食べれません、動けません、という。でも頭だけはしっかり・・・。

平野 それでも生きれます、みたいなさ(笑)。薬を入れれば大丈夫、管を入れれば大丈夫みたいになるわけでしょ。だからそういう時代だからさ。多分、人類も、地球上の哺乳類も誰も経験してないことだから。それがこころにどんなものをもたらしてくるのか。わからないよ。

ー だから、若い人の心理も変化してきてるけど、中年も、高齢者の心理も新しい変化の時代を迎えているのかもしれませんね。

平野 そうそう。だから心理学も「発達心理学」って昔は赤ちゃんの心理学だったのね。だけどいまはね。高齢者も入るの。だから「生涯発達心理学」って言われてるの。それがこの20年、30年くらいだよ。まだ若い学問。つまりそういうことを考えなくちゃいけない時代に入ったのよ。つまり”老いていく発達”ね。

ー うんうん、なるほどね。

平野 こう、下り坂の心理学ね。下り坂の発達というか。「下山の心理学」というか。

ー なるほどね~。だから親父の孤独も深かろうなあって。思うんです。だから新聞でいいコラムを書かれている奈井江の方波見先生みたいな、そんな家庭医さんみたいな人がいたらいいんだろうなあと思ったり。願望的にですけど。

平野 ああ。だからそれこそどういう風になっていくかね。

ー いまのところ外科の先生も消化器の先生にしろ、若いですからね。

平野 でも、それって大学で研究しにくいんだよ。何故かって大学で研究している人たちってバリバリの仕事をしている人たちだから。そっちの方になかなか目を向けにくいよね。やっぱ右肩上がりの心理学が良いんだね。下り坂の心理学はなかなかね。親なんてのは下り坂の人だからね。離れて捨てられなきゃいけない人たちだから。お別れ。別れなきゃいけない人たちだから。

ー別れを含む、ということなんですね。

平野 そうそう。だって青年期の子どもと別れたら今度はさ。夫婦での暮らしになるわけだよ。これがまた大変な道。

ー そうですよねえ。共通の話題がなくなっていくわけですよねえ。

平野 そうそう。長いこと父親、母親として一緒に生きてきた人が「妻」と「夫」になるわけだ。

ー そうですね。うん~。

平野 まあ、難しいよ。いや、だからね。自分の親見てると俺、凄くいいなあと思うもんな。いつまでも寄り添えて。しかも俺の親父は自営業だから一緒に居るわけだよ。職住接近だから。だから最近そういうのは昔は嫌いだったけど、良く一緒にいられるなあ、と。

ー 仕事があるからじゃないですか?

平野 いま仕事ないもんね。だってもう70代後半だもの。

ー そっか。う~ん。

平野 80に手が届く年だし。そうなってくるとさ、「まあいまさら別れたってねえ」、なんて風になるのかねぇ。

ー (爆笑)。

平野 (爆笑)まあ、そうだよねえ。ははははは。

ー 日本人的かもしれませんね。何となくこう、空気みたいに。

平野 その歳で、そこら辺でベタベタされたりチュッチュされたら気持ち悪いしさぁ。嫌でしょう?そういうの。それも勘弁して欲しいし。だからすげえなあと思うよ。日本の老夫婦なんてさあ。

ー 上手いのかもしれませんねえ。そういう意味では。寡黙に二人でいても何ともないという。

平野 そうそうそう。笠智衆とかの世界だよ。

ー まさにまさに。

平野 ああ~すごいね(笑)。ひきこもりから老老介護の話まで。

ー (笑)。

平野 あはは(爆笑)。

ー (笑)すみません。何だか。

平野 いえ、だいたいもう良いお時間で大体いいですか?こちらこそご免なさいね、何だかね。

2014年8月取材 (取材協力:吉田 言)



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