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百年安心ラジオと革命的端末時代

去年秋の地震で2日近くに渡る長時間の停電の際、情報源として大きな力になってくれたのはラジオだった。
それまではラジオ単体で聴く機会が本当になかったので、いざ震災後の停電の際、たまたま大昔の小型ラジオが見つかり、電池も消耗していなかったのは偶然の幸いだった。(そもそも停電が40時間も続くとは思わなかったので、見つかって使えると気づいても最初はごくごく、「ああ、良かった」程度だった)
それにしてもそのラジオは僕が少年時代からのものなので、実際聴けるものかも不安だったから、ちゃんと聞けたのは素直にすごいと思った。

そのラジオは僕が中1の頃、家族でキャンプに行ったさい、海辺で深夜に海外放送や関西の放送が聴けることでファンタジーを広げてくれる初めての体験を教えてくれたものだった。海から遠いところに住む生活者が、波の音と音波の波を遠くから近くへと、近くから遠くへと、運んでくれた深夜。子ども心にロマンを感じないわけない。

それにしても、あれからもう40年以上だから、当時のラジオ、日本製ラジオの丈夫さ、堅牢さに感心しないわけにいかない。半世紀というもはや歴史的時間の中で今の不安に応えてくれる家庭のミニラジオ。すごい。当時の日本のモノ作りの、ユーザーのためへの心がけの素晴らしさを思わざるを得ない、特に電化製品は。
今の電化製品は安かろう、悪かろうで製品の回転率を早くして構わないみたいな感じだから。当時の製造業者にその思いがあったか、偶然かはわからないが、もしかしたら70年代までの日本の電気製品であるベーシックなラジオは「100年安心」のものを作る意気込みで製品を作っていたのかもしれない。
相応な値段はしているはずだが、現代まで通用することを考えれば、コスパ(この言葉は嫌いだが)は値を遥かに超える価値がある。

現代ではこの安心感はアップル社のiPadにある。そしてiPadは良くも悪くも一体の中で生活全般に自分を能動的に発信し、現実の自分を動かしもする(通販や、予約など)。その意味ではラジオの機能を遥かに越えてぼく自身を変容させた。

Windowsのようなハードディスクの機能劣化の早さに比べると、断然、比べられない立ち上がりでストレスレスは半端ないし、映像、音楽、コミュニケーションを全て賄うのだから。デジタル時代のぼくの宝物だ。しかもポータブルラジオ並の大きさで、奥行きもない。薄い。値の高さを越える価値はある。
問題は充電が頻繁に必要なこと(それでもスマホよりもよく持つ充電対応力だが)その点に関しては超アナログである電池で持つラジオには勝てない。停電で負ける。
だが今後、何らかの技術で電池などで賄える時代がくれば、このタブレット端末の時代は人間社会の大きな展開に資したと言われるのだろう。


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