聖ニコラウス

安曇野シュタイナーこども園おひさま

青い布、蝋燭とマッチ、星、もみのリース、聖ニコラウスとくるみとみかん、アドヴェント・カレンダー、トランス・パレント

「太陽の誕生日」として古代人が祝った冬至が、クリスマスになりました。原始キリスト教ではイエスの誕生日として、一月一日、一月六日、三月二七日などが候補にあがっていたのですが、四世紀にカトリックで一二月二五日と決定されました。
 樅のリースに四本の蝋燭を付けて、待降節(クリスマス前の四週間)の日曜ごとに蝋燭に火を灯し、宗教的な話をして過ごします。

 クリスマス・ツリーは、古代ゲルマン文化圏で冬至~新年に常緑樹を飾る習慣があったのが、近世になってキリスト教に取り入れられたものです。一七世紀以前からアルザス地方で、部屋に樅の木を立てて、林檎や薔薇を飾っていました。薔薇や林檎を三三飾るのは、とてもきれいです。
 シュタイナー学派では、独特の飾り付けのクリスマス・ツリーを作ります。人間を表わす五芒星・三角・四角、そして星々のしるしが螺旋状に配されており、古代の神話に登場する原初の「宇宙樹」を思い出させます。

 聖夜は世間の喧噪から離れて、自分の心のなかに神が誕生するのを体験するような気持ちで過ごしたいものです。子どもたちが蜜蝋蝋燭を付けた林檎を手に持ち、樅の枝で作った渦巻き形の道を通って、中央の蝋燭から火をもらってくるのは、古代の奥深い森での秘儀のような印象を受けます。

 サンタクロースは聖ニコラウス祭(12月6日)の行事に由来します。聖ニコラウスは、四世紀~五世紀の司教で、一二月六日が命日です。この聖ニコラウスが12月6日に、子どもたちにプレゼントを配ることになっています。

 子どもを殺して塩漬けにした肉屋に行ったニコラウスがその店にあった桶に指を触れると、殺された子どもたちが生き返って出てきたという伝説があります。また、貧しい親が娘三人の持参金を用意できずにいたとき、ニコラウスが金貨を煙突から投げ入れると、暖炉に干してあった靴下に入りました。こうして、娘は三人とも結婚できたそうです。これらの伝説から、彼は子どもの守護聖人、婦人の守護聖人になりました。
 日本では今のアメリカと同じく、サンタクロースはクリスマスにやってくることになっています。子どもたちとクリスマスを楽しく過ごすことが大事なのであって、子どもの関心がプレゼントに集中しないようにしたいものです。
 わが家では、サンタクロースを天界の霊魂存在と捉えています。子どもが寝ているあいだにサンタクロースがプレゼントを持ってくるのではなく、親がサンタクロースと相談して、子どもの願いに応じるようにしています。
 春分のあとの満月のあとの日曜日が復活祭です。ギリシャや小アジアで神の死と復活が春分のころに祝われたのと同じです。ユダヤ教で、祖先のエジプト脱出を記念する過越祭のころでもあります。死と復活というテーマは子どもには難しいものですから、大自然の春の生命を喜ぶという感じがよいでしょう。
 ヨハネ祭(6月24日)は夏至のころです。古代ヨーロッパでは、夏至の前夜に火を焚いて、太陽に力を与えました。この夜には川や泉が治癒力を発揮する、と言います。
 ミカエル祭(9月29日)は収穫祭のころです。素朴な農夫の祭りでした。
 以上が、キリスト教文化圏の四季の祝祭です。

サイババのメッセージより
クリスマスの季節はクリスマスのおじいさん、サンタクロースを連想させます。「トコヴァン」というのがサンタクロースの元々の名前です。
彼はトルコで生まれました。彼は聖職者としての生活を始め、少しずつ霊性の卓越を獲得していきました。彼はどうやって霊性の巨匠となったのでしょうか? それは犠牲の精神によってでした。彼は出会った子どもたちすべてにチョコレートや人形やプレゼントをあげていました。生涯にわたって彼は絶えず与え続けました。クリスマスが近づくと、子どもたちは皆、サンタクロースのあとを追いかけました。サンタクロースは贈り物をすべて一つの袋に入れて持ち歩き、あらゆる子どもたちに配りました。
彼はどのようにして贈り物を配ったでしょう? 
彼は「これは神様の愛のしるしだよ、これは神様の愛のしるしだよ」と言い、そのようにして贈り物は配られたのです。その結果 、彼はクリスマスのおじいさんと呼ばれるようになり、もともとの名前は忘れられてしまいました。
私が今日伝えたい重要なメッセージは、イエスも伝えていた、愛と慈悲というメッセージです。ですから、少年少女の皆さん、この神聖で聖なる日に、かの聖人の誕生日を祝うとき、私たちはイエスのメッセージに則した行動をとらなければなりません。誕生日を祝うことは容易ですが、誕生日を祝う人物の純粋さとメッセージもまた、見失わないようにしなければなりません。

サンタクロースはトルコの聖人、聖ニコラウスの事です。

聖マリアをサンタ・マリアと言うように聖ニコラウスをサンタ・ニコラウス、 サンタ・クロースと呼ぶようになりました。

聖ニコラウスはギリシア南部の港町パードレ(パトラス)の 裕福な家庭に生まれ育ち、のちにトルコ南部のリュキュア地方のミュラ、 現トルコのイズミルの司教となりました。

西暦271(または280)年から、342(350年頃)年12月6日まで 生きたとされ、六世紀に聖人に列せられた後、 12月6日が聖二クラウスの祭日となりました。

聖ニクラウスにはいくつかのお話が残っています。

ニコラウスがまだ司祭になる前、ニコラスの近所に3人の娘のいる家族が 住んでいました。たいへん貧しく、上の娘は結婚したいと思っていましたが その資金のアテがありませんでした。それどころか彼女は娼婦にならなければならない状況に追い込まれて いました。そのことを知ったニコラスは、その夜、隣の家の煙突から 金貨を投げ入れました。ちょうどその金貨は、暖炉のそばに干してあった 靴下の中に入って、そのお金で娘は救われ、結婚することができたのです。聖ニコラスは、同じことを下の2人の娘のときも繰り返し、 その家庭を救いました。三女の時、両親はもしかしたら又誰か金塊を放り込んでくれるかも 知れないと考えました。その人に会って、必ずお礼を言わなければと考え、 夜ずっと待っていました。そしてついに三度金塊を届けに来たニコラウスを 見つけ、それが隣人の若者であったと知り驚き、感謝しました。しかし彼は誰にもこのことは言わないようにと言い、立ち去りました。

クリスマスに靴下を下げておくと、サンタクロースが煙突から入って 贈り物を入れてくれるという習慣は、ここから生まれたと言われています。

クリスマスまでに少しずつ飾り付けをしていきます。
クリスマスが楽しみです

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