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マハトマガンディ生誕の集い

記念講演
マハトガンディーに学ぶ なぜ糸車をチャルカを回すのか
宮本薬祥

みなさま、こんにちは。
本日は、ガンディー翁の生誕祭でお話をさせていただく機会を与えてくださった
浅井お上人さまはじめ、サルボダヤ交友会関係者の皆さまに深く御礼申し上げます。

なぜチャルカを回すようになったのか 私は北アルプスの麓、安曇野の北の端、池田町というところから参りました。
そこでワークショップ、パーマカルチャー、自然農、シードバンクなど分かち合う場所として シャンティクティというゲストハウスがあります。

今日はそのシャンティクティから私のお手伝いに、臼井朋子さんが駆けつけて下さいました。 そこでのワークショップで「ガンディー自立の思想」や「教育論」など書かれている片山佳代子 さんと出会い(2010年)と糸紡ぎを教えていただきました。糸は簡単には紡げないと実感。

90年からインドの旅をしておりますが、インドに行くと必ずガンディー翁と出逢います。(場 所、ミュージアムなど) そして紡げなかったチャルカのラベルに書かれていたのはセワグラムという地名。 その頃、今もですが、不思議なご縁によってつながった日本山妙法寺デリー道場にお世話になっ ていました。

カンディー翁が亡くなられた1月30日には、毎年デリーでセレモニーが開かれ 私たちも参加させていただいております。 そして、デリー道場の堀内克庵主さまから、ガンディー翁と日本山妙法寺の深いご縁についてお 聞きしました。
ガンディー、セワグラム、ワルダ、チャルカが繋がっていく瞬間でした... 必要なご縁はいつも用意されている「ご縁」の不思議

自分たちの暮らしを見つめた時、糸と同時に消費される様々なものを(衣食住) 大切にしなければ...大切に使わなければ...という思いが強くなる
もともと僧侶の衣は、ふんぞうえ 糞掃衣といわれ布をつなぎ合わせたもの。 お釈迦さまも、糞掃衣を身につけていたと伺っております。 継ぎ当てや刺し子、パッチワーク、刺繍など 織った貴重な布や衣類を大切に、長く着るための智慧 新しく買うより、修理して再び使えるようになった方が喜びが大きい。
衣類はデザインやブランドを守るために大量に捨てられています。
年間に捨てられる衣類は、世界中の人全員に配っても余る量だそうです。
でも、あらゆる資源には限りがあります。
もっともっと、ほしいままの欲望を満たすだけの量はこの世界には存在しません。
今の先進国の暮らしは、食べきれないほどのご馳走を、飢えて死にそうな人の目の前で食べ、捨てているようなもの。
胃薬を飲みながら、さらにご馳走を食べようとしています。
でも、食べることをやめれば、胃薬は必要なくなります。

その欲望を愛と思いやりに置き換えると、足りないところへ必要なものが行き渡るようになります。
先進国とは、人から奪うことではなく、分かち合うこと。
チャルカをインドからわざわざ買うのではなく、自分たちで作れないか?
竹チャルカを作ったりいろいろ試行錯誤の結果、
身近にあるものでできる今の形スピンドル(タクリー)に。

チャルカは素晴らしいけれどそれでも機械!という事がタクリーを使うことによって気づきました。
場所もとらず、音も出ない。
掃除機は便利だけれど、箒と雑巾が静かで丁寧に掃除できるのと同じ。

वराज््svaraaj スワラージ:独立、自由と自治(自らが光り輝くこと) ✳大地と繋がり生産手段を取り戻して経済の仕組みを変え、お金のための労働から、幸せをもたらす労働へ。
वदेेश svadesha スワデーシャ : 自給と地産地消(自らの国や土地で)

✳スワデーシャという小さな村単位での地産地消の先に、 スワラージ(自治・独立)が見えてきます。売るためではなく、 使って喜びを分かち合うため。

सय ह satya graha
サッティヤ グラハ : 不正にNOという責任。 権力の脅しや暴力に屈せず「私は従わない」ということ。 グラハとは「宇宙」「気づき」という意味があり、真理の追求を表しています。 愛がなければ、非暴力は成り立たない...と ガンディー翁に教えていただきました。
でも私たち人間は欲望によって、自然界からさまざまなものを略奪しています。
自然界を破壊することによって起こる大雨、地震などの災害は、本来ともにあるべき自然界から離れることによって、自分自身の敵にしてしまいました。

糸紡ぎが私に教えてくれたこと 全ての人が平等に必要なものを何かから奪い取る事なく 受け取る事ができるために...

こころを添えて丁寧に生きる 糸を自らの手で紡ぐことで、さまざまな繋がりや支えあいによって生かされている本質が見えてきます。
細く頼りない一本一本の綿毛(私たち一人一人)も、たくさんの綿毛と繋がり、紡がれ、依を (縁り)をかけることで切れない強い糸(絆)となります。
その場だけの安易な関係(便利さからの使い捨てなど)ではなく、さまざまな支えによって紡ぎ だされた奇跡「いま、ここ」を丁寧にこころを添えて生きることMindfulness
正念によって繋がり を深く丁寧に見ること

手作りの楽しさ
自然界は本来多様性を持ち、循環することでつながりあっています。 その循環とつながりを断ち切るのが、一方通行の消費経済、そのグローバル化。
買うことより、自分で作ったり修理したり、分かち合うことの喜びによって消費社会の呪縛を解 くと
そこには不動自在、揺るぎない自由=至福があります。

ॐ पणू मदः पणू  मदम ् ...
すべてはすでに満たされている...というマントラがありますが、満たすもの は欲望ではなく、慈しみと愛=平和。

見える範囲の消費
誰が作ったか、何から出来ているか。
自分で育て作ることが一番だが、全てはできないので
作り手がわかること。
今スーパーに売られているものは、作り手が見えることがほとんどありません。 みなさんも、今着ている服が、今日いただいた食事が、どのような場所で、どんな方法で、誰に よって育て、作らたのかわかるでしょうか?

野草〜
一番身近にある天からの贈り物
野菜や穀物の原種

すべてに薬効があり、不必要なものは一つもない...と実感。 災害時の食べ物や薬として役立つ。 自然界を観察するうちに自然界が無償で与えてくれる愛に気づきました。

みんなの役立ちたい...欲望を愛に置き換える...とは、こう言う事なんだ!と気づかされました。 私にとって糸紡ぎと野草は同じなのです。

開教偈というお経の一節に「冥に薫じ 密に益すみょうにくんじ みつにやくす」という部分があり ます。
密でゆっくりで変化が無いように感じるけれど、必ず利益する時がきます。 たとえ少しでも、ひとりでも、しないよりはしたほうがいい。
デリー道場の克庵主さまに「こころを添えることと、無常の利益」を教えていただきました。

本日ご参加されました皆さまお一人お一人に、よきご縁の糸が紡がれますようお祈り申し上げ、御礼とさせていただきます。
本日はありがとうございました。




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