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安曇野のタネバンクの始まり

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安曇野たねバンクのはじまり        

とんがり屋根のたねバンク。
固定種や在来種の種が200種集まっています

きっかけは
バングラデシュの旅

 シャンティクティの一角に「安曇野たねバンク」があります。とんがり帽子のような屋根の建物に、らせん状の階段と棚があり、各地から寄せられた、在来種の種が入った瓶や封筒が、たくさん並んでいます。
「たねバンク」のはじまりは、2012年の冬。私たち夫婦と、20年前までバングラデシュで有機農業の指導をしていた村上真平さんとで、「ぬかくど」作りを紹介しようと、現地を訪れた時のことでした。
 バングラデシュでは、「緑の革命」以来、F1の種、化学肥料や農薬漬けになっていた農業から、有機無農薬農業への転換を図る「ノヤクリシー」というムーブメントが起きていました。その中のひとつに「シードバンク」があります。それは、洪水で代々受け継いだ種を流されてしまった村に、他の村が種を貸したことがはじまりです。
 緑の革命以前のバングラデシュには、水の深い田んぼでも、ちゃんと丈が伸びて水面の上に穂ができるコメ、ポップコーンのように膨らんで弾けるお菓子用のコメ、米粉用や香り米など、多様なコメの品種があって、季節や用途に応じて栽培されていました。
 ところが、緑の革命で収量の高いハイブリッド米が席巻。個々に受け継がれていた、在来種が消え去りそうになっていたのです。そんな中で、失われかけた種を集め、貸し出すシードバングが始まりました。
 活動の拠点の施設では、在来種のコメが1000種以上。国内に55ものシードバンクがあるそうです。
豆や野菜の種が保管されています。これを農民に貸し出して、収穫が得られたら2倍にして返す。そんなシステムが生まれていました。
 私たちが訪れた小さな村にも、シードバングがありました。種を管理しているのは、村の女性たち。代表の女性は助産婦さんでもありました。「種を守るのは、女性の仕事。一人ではできないから、村の女性たち12人でやっています」
 と話していました。また、子どもたちにも手伝わせて、種の大切さを伝えているそうです。現地では種を素焼きの瓶に入れて、大切に保存していました。

貸し出した種が
2倍になって里帰り
 日本に帰り、「安曇野たねバンクプロジェクト」をスタートしました。これはバングラデシュのやり方を見習って、集めた種を有志で管理し、希望者に貸し出し、2倍にして返すというシステムです。私たちはお金で種を取引きせず、自然界と同じように分け合い、与え合うシステムを築いていきたいと考えています。
 種を保管しているのは、この年のパーマカルチャー塾の建築実習として、みんなで作ったアースバックの家です。畳やもみ殻を断熱材として使用し、種を並べる棚がたくさん作れるように、らせん状の階段をつけ、軒下には種を乾燥できるスペースを設けて、地下には芋類を保存できるよう、ムロも作りました。
 また、シャンティクティでは、種まきから野菜づくり、種採りまでを学べるワークショップも開いています。「田んぼの会」では、長野県在来の古代米である白毛餅を栽培。みんなで餅つきをして、伝統種の味わいを楽しんでいます。
 今では約200種の在来種、固定種の種子が集まっています。中には「嫁入りの時に持たせてもらった豆でずっと種採りしています」というおばあさんや、「嫁入りの時から育てているモチモロコシがおいしいので、孫のために育てています」という方もいます。定期的に開いている「たねカフェ」を通じて、参加者が好みの種を持ち帰り、それぞれの畑で栽培。野菜や豆、種になって「里帰り」しています。
 種採りをしてみると、種の交雑をいかに防ぐかなど、課題もいろいろありますが、日本にも小さくても意義のあるシードバンクが各地にできています。そことつながりながら、持続可能な農業とともに歩んでいきたいと考えています。

詳しくは
http://www.ultraman.gr.jp/perma/seedhause.htm

【01】とんがり屋根のたねバンクは、パーマカルチャー塾、受講生たちの作品。
【02】壁面にも種。
【03】たねバンクの利用者心得。
【04】らせん階段のまわりに、種の入ったガラス瓶が並んでいる。
【05】種類ごとに区分けして整理。
【06】種を整理する朋子さん。
【07】フダンソウの種。
【08】天王寺カブがルーツの野沢菜。
【09】模様がユニークな穂高いんげん。

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