持続可能な農的暮らし

「持続可能な農的暮らし 臼井健二」-1(小屋番で得たもの)

「僕は山小屋に5年間くらい小屋番をしていましたが、
 その小屋では雨が降ればみんな濡れるし、翌日晴れるとみんな太陽のぬくもりを、
 感じられて、みんな同じ条件で感じられる。
 その素晴らしさ、そして自給自足的なそんな暮らしを感じて、
 そのような暮らしがしたいなというのが始まりです」

「なんで自給自足がいいと思われたのですか?」
「消費社会の中で、みんな細分化されて生きるという実感がないんですね。
 そんな中で自分は作物を作って、どう調理して食べるという、
 その流れがとてもシンプルで、1番幸せな姿ではないかと思ったんです」

「実践するにはなかなか難しい問題があるのではないかと思って…」
「ただ暮らしを膨らませただけだと思うんです。自給自足的でただ百姓をすると、
 それを商品にしなければならないですね。そこに大きな間違いがあったような、
 気がします。商品にせず、自分のところで使って、それを調理してみんなに喜んでもらう。
 形のあるものを売るのではなくて、宿泊という何もないものを提供するということが、
 とてもしっくりしたんです」

「畑のことがあるとか、自足自給するノウハウとか、どのように感じられましたか?」
「その手の本がいろいろ出てますが、しかし、本に書いてあることは、
 間違いが多いと思うんですね。
 しかし、自然界には間違いがないんではないかと思うんです。
 だから自然の許す範囲で暮らしていけば、大丈夫と思うんだけど、それを越えたから、
 4大文明も滅んでしまったと思うんです。今の近代農業においても最終的には砂漠が残る。
 そこに大きな問題があるのではないかと思うんです。だから砂漠を残すのではなく、
 持続可能な緑が維持されるような暮らしが、実践を通して形にしてみたいと思ったんです」

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「持続可能な農的暮らし 臼井健二」-2(足るを知る)

「実際やってみて、持続可能な状態が作りだせているんでしょうか?」
「ぼくらはもっと便利にもっとたくさんという、もっと、もっとという思いで、
 来ていますよね。今の僕らの暮らしをすると、地球が2.5個必要だといわれています。
 地球は1個という日本の文化の中にある「知足(足るを知る)」という考え方が、
 大事だと思うんです。これはありがたい、足りることがありがたい、
 だからその則を越えないこと、自然の中で人間は生かされているということを、
 理解できていない、そんな気がするんですね」

「そういった感覚といったものは、山にいた時にひらめいたというか、山にいたときも、
 それをやらなければいけないと思っていたのでしょうか?」
「僕らは豊かさを求めて今の社会、物質的には本当に豊かになったんだけど、
 でもそれだけではないような気がするんです。心の満足という点においては、
 物があふれていることが決して満足ではなくて、むしろ何もない、
 その中に心の平安があるというのが1番幸せなのではないかという気がするんです」

「実際にこういう場所にいるだけでも、都会にいるのとは違う気がしますよね」
「ぼくらは本当に豊かさを手に入れたかもしれないけれど、しかし、僕らの暮らしぶりは、
 地球が2.5個必要だといわれています。そして温暖化とか経済的発展において、
 そうした暮らしぶりは無理なんだということを気付かされた時代でもあるんです。
 だから20世紀は物を分けて効率を求めたわけなんだけれど、
 これからは、分けたものが再び合う時代だと思うんです。
 分けて合う「分かち合う」 それがようやく完成する時代に来ているように思うんです」

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「持続可能な農的暮らし 臼井健二」-3(いろいろな自然農法)

「この場所は、その完成に近づいた場といえるのでしょうか?」
「いや、未完成です。完成というのはないような気がします。どこか欠けているから、
 次の行動があり、新たな方向に向かうということで、完成するということは、
 神の世界だと思うんです。僕らは人間界で生きているのですから。
 欠けている者同士がいい悪い、愛し合い憎しみ合い、そういうものがたくさんあるから、
 学ぶことができるんです。
 そんな中で生きていて、自分の心がコントロールできた時に幸せがやってくるので、
 環境が変わって云々ではないような気がします。
 自然栽培にはいろいろな方法があるような気がするんです。
 森の中でそんな農業をする森林農法だとか、福岡正信に代表される無の自然というか、
 いろんなことをしなくても生かされているんだという、まさに福岡正信は神の世界で、
 生きているように思います。
 また川口由一の農法というのは、神と人間の中間にあるような農業だと思います。
 僕ら人間もその中で生産する、生産可能な方法のような気がするんです。
 最近は炭素循環農法という考え方があって、森のような環境を、
 畑に再現しようという考え方で、注目を集めています。それは落ち葉が溜まって、
 地中に有用菌が生まれ、その菌が微生物や小動物の発生をうながします。
 この有用菌を積極的に畑に入れたり、シイタケのホダギなども入れて、
 その上に炭素分である枯葉やワラやウッドチップをまきます。
 そうすることによって草も生えない状態を作りだします。
 この方法はある意味では生態系に近いけれども、
 どこかグローバルな経済によく似ているような気がします。
 フィリピンの木材を取ってきて日本に家を作るようなものだと思います。
 でもそれも自然栽培の方法として、生産性の上がる方法だと思います。
 川口由一の方法は、むしろ草を活かしながら耕さないという方法で、より自然に近く、
 人間も許される範囲で手を出せる、そんな方法だと思います」

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「持続可能な農的暮らし 臼井健二」-5(自然の許容範囲内で)
 
「両面性があると思うんですね、こちらから見ると豊かで、
 反対側から見ると自然破壊かもしれない。だから僕らは同じ次元で見るのではなく、
 もう1つ別の次元に上げてみる。第3の目というのでしょうか。
 それはきっと神の生き方だと思うんですね。
 ガンジーは銃を突きつけられて「奴隷になるか、あるいは武器を持って戦うか」と。
 しかし、ガンジーはどちらも選ばなかった。第3の道を選びます。
 それは無抵抗、不服従でした。そこで彼は次元を1つ上げたと思うんです。
 そのことによって戦わずにすむ事が可能になった。
 僕らはいつも、いい悪いという二者択一の相対界にあるけれど、
 本当はこれでしか選べないけれども、絶対界という神の世界を確認することで、
 また違った選択ができるかもしれないということですね。
 僕らは物質的な豊かさが最良のように思うけれども、古来からそうではないのだ、
 ということに気付いていた人はたくさんいると思うんです。
 これはしなければいけない、でもやらない。ここに本来の大きな答えがあるのかもしれない。
 僕らはエデンの園で分別という知を知りました。しかしそれを僕らは忘れてしまった。
 そんな気がします。やはり神に寄り添った農業なのです。
 自然は千差万別で、人間が自然に良い事だと考えても、本当はよくないことが、
 たくさんあります。人間が自然をコントロールするということが、まず間違いだと思います。
 自然に寄り添って自然の許す範囲内で僕らは生かしてもらうという、そんな謙虚な気持ちが、
 大事なような気がします。僕らは人間の我というものを押し付けて、
 あたかも王様になったようなつもりでいます。そうではないのですね」

「自然とは強いものですか? それとも怖いものですか? どんなものなんでしょう」
「自然というものは許容範囲がすごく広いと思うんです。それを僕らははみ出して、
 そして、人間が王様のように振る舞っている。ただそれだけのような気がします。
 もっともっと自然にゆだねて、その自然の中で生かされていることに気が付けば、
 きっと人間は夜11時まで働かなくても、ネイティブのように3時間ほど働いて、
 後は祭りごとをして生きるのが1番幸せなのかもしれないと思ったりしますけどね」

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「持続可能な農的暮らし 臼井健二」-6(草や虫との共存農法)

「この畑を見ていると、自然の営みというのは、虫1つとっても素晴らしいと思います」
「今チョウチョがいっぱいいますよね。花があって草があってその多様性の中で、
 関連性の中で生きていると思うんです。
 あそこにバジルがありますけど、あのように草を刈ってしまったから保水力を失って、
 枯れてしまったんです。草は保水力を保ってくれ、虫をためてくれるプランツであり、
 コンパニオンであるかもしれません。しかし、僕らは草を敵のように全部取ってしまう。
 つまり自然の許容範囲を越えているのではないかと思うんです。
 非常に一面的な見方をしているような気がします。
 そういう問題児を生かしてあげる。草だって虫だって役割があるはず。
 その役割を全うさせてあげつつ、我々にもいいような知恵を生み出していくのが、
 自然農法とか森林農法とかの究極ではないかと思います。
 それで最終的には「足るを知る」。ありがたい、自然の中に生かされていることの、
 ありがたさだと思うんです。だから作物を取ることを目的とするのではなく、
 作物を作ることをベースにしながら、本当の自分のやりたい人生を表現していくというのが、
 1番幸せなことだと思います。
 そういうものを全部人にまかせて、いわゆる土台がなくて暮らしているのが、
 今日の人のような気がします。
 都会はそれでいいのかもしれませんが、本来人間が生きるところというのは、
 生産するところがある場所だったんですね。都会とは毎日がお祭りのような気がします。
 そこで生産し、収穫があってお祭りをしている。六本木ヒルズ屋台というのがあって、
 そこは毎日お祭り。しかし、どこか帰るところが必要だと思うんです。
 それには生産する畑があり、収穫する畑があるような…」

「こういうところに暮らしていると、都会のゆがみというのもよく見えますか?」
「都会は都会のよさがあり、田舎は田舎のよさがあり、それを比べてはいけないと思うんです。
 都会では水洗トイレが絶対必要ですが、でも田舎は水洗トイレは必ずしも必要はない。
 そんな中で本当に心豊かに暮らすには、どちらが本当にいいのかは、
 人それぞれで僕はいいと思います。僕には田舎暮らしの方がたくさん悦びがあると、
 感じているだけですが…」

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「持続可能な農的暮らし 臼井健二」-7(終)(自然に学ぶ社会)

「臼井さんは幼少のころどちらでしたか?」
「ああ、僕はここが地元なんで、穂高です。大学の4年間は都会で過ごし、
 商社に1年務め都会暮らしをしていました。しかし、どうも違和感があって、
 違うなぁと感じていました。都会に馴染めなかったんですね。
 そんな中で、北アルプスの山小屋で管理人を募集していたものものですから…
 自分は旅も好きで山も好きで、いい条件だったので5年間、その山小屋をまかされました。
 それは人生において大変有意義でした」

「それからこちらの世界に?」
「そうですね」
「いろいろ勉強されたと思うんですが、その中で読まれた本で印象に残られるものは?」
「いろいろな本を読みましたけど、印象にあるものに「僕をさがしに」という薄い本とか、
 「カモメのジョナサン」など、ああいうシンプルな本の中には、
 本来持っている素晴らしさがたくさんあるように思います。
 もちろん哲学書なども読んだんですけど、心に残るものはシンプルなものに、よりあります。
 人が言っていることって、僕は間違いが多いような気がします。
 だから僕がいっていることもほとんど間違いだと思います。
 それよりも自然の生態系がどうなっているか、それに添ってどう暮らしていくのがいいか、
 各自が見つけるその作業がとても楽しいことだと思うんです」

「ミツバチを飼い始めて…。それを見てどんなものが見えてくるんですか?」
「ミツバチって本当に可愛いですよ。個では自立があるんですけど、集団での動きがあって、
 あっという間に仲間通しの伝達手段があるようなんです。巣箱に大きなハチがやってくると、
 みんなで取り巻いて威嚇し守るんです。凄いなと思いますよ。可愛いですね」

「ここの畑には虫がいっぱいいて、ハチだけでなくチョウチョも毛虫も…」
「僕らは虫も敵のように思いがちなんだけど、その虫たちも、それぞれ役割がきっとあると、
 思うんです。草もいつも敵で問題児のように思いますが、
 しかしその問題児に光を当ててあげ、人間もそうですけど、光が当たらないから、
 悪いように見えるだけで、それをうまく照らしてあげると、
 雑草も神のような働きをしているんです。自然農におけるタネのまき方なんかは、
 問題のある社会を救えるような現実を見ることができます。
 自然農のタネマキは本当に面白いですよ」

「どんなまき方なんですか?」
「例えばレタスとキャベツがあったとします。今の近代農法では、他を排除しますよね。
 草1つなく、虫1つなく。しかし、当然虫もやってきます。
 ニューヨークという街があって、タワーが2つあって、タリバンはいらない、
 フセインはいらないと。そして虫がやってきて9.11が起こりましたね。
 自然界も、そのニューヨークと一緒のような気がします。草も虫も生かせる、
 そういう環境さえ作ればいいと思うんです。自然農の畑には、そういうところがあるんです。
 草がいっぱいあるのはマイナスイメージがありますが、
 しかし、その草を刈って伏せてあげると、今度は草が出てこようとした時に、
 日が当たりませんから、草は育たないんです。草によって草を押さえることができる。
 そして、その草は微生物、小動物によって分解され、太陽エネルギーを固定していますから、
 よい肥料分になるんです。しばらくしてそこをかき分けて、タネをまいてあげると、
 その野菜しか芽がでない。自然農は、そんな素晴らしい農法なんです」

(おわり)

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