やりたいことだけをやる学校徳島

とものあきらさんの文章です
徳島県に、やりたいことだけをやる学校(幼稚園~小学校)がある。ここでは、やりたいことを話し合うことから1日がスタートする。いわゆる授業というものは、一切やらない。本当に好きなことだけをやっていいのだ。子どもたちは、鬼ごっこや釣りやキャンプを日常的に楽しんでいる。5000坪の田んぼと畑で農作物も作っている。いきなりふつうの中学校に進んで、勉強についていけるの? と心配になるが、自発性を育んだ彼らは、充分な成績を収めるという。


組織学習のファシリテーターを生業としていると、なぜ、このような結果になるのか、よくわかるし、そういう学校の作り方もわかる。


事実、ボクが加速学習やファシリテーションを学び始めたとき、何人かの仲間たちが、「寺子屋をやりたい」と言い出した。学校教育に絶望したことのあるボクも、自分たちのようなファシリテーターがいれば、理想の学校が作れるとわかったし、いつか作りたいと思っていた。


このように、指示命令、校則の無い学校は、ある。


わかる人には当たり前の話だが、経営と子どもの共育において、大切なことはまったく同じである。


やはり、指示命令が無く、タイムカードも無い。目標設定も、あえてしない会社は存在する。


それを企んだ者たちは、それぞれが、うまくいくことを証明している。というよりも、もはや、そうでなければ、うまくいかない。


なぜなら、いつも言うように、検索すれば何でも調べられる時代に必要なのは、創造性だけ。そして、問題を対処療法ではなく、創造的に解決できるのは、ヒエラルキーの無い、自律的なチームだ。画一的なこれまでの学校教育で、そんな人財が育つとしたら奇跡である。会社だって、言われたことだけをこなす人は、ますます不要になる。AIロボットにより、多くの仕事が無くなっていくのだから。


話はコースアウトするが、ロボットの進化によってたくさんの仕事が無くなることは、まったくネガティブなことではない。本当に好きなことだけをやっていい、夢のような社会になりつつある。と思えばいい。


あきちゃん! マスクも注射も進んでやる人だらけの狂った世の中で、そんな呑気なこと言って! と叱られそうだが、とっくに魔界のシステムから脱出している立場からすると、関係ないのだ。ただ、お尻ペンペンすればいい。


徳島のスクールのように、そして、いくつかの企業のように、人間が人間らしくいられる場作りに取り組むだけでいい。

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