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『自然を収奪せず、人を搾取せず』

安曇野パーマカルチャー塾 2017年講演

『自然を収奪せず、人を搾取せず』

◆講師:村上真平さん
福島県の農家の生まれ。
お父様は農民団体・愛農会の創成期メンバーで、70年に有機農業に転換。
日本で唯一の私立の農業高校で、有機農業を教えている三重県の愛農学園で学び、卒業後は実家へ入る。
2年後にお父様と大喧嘩。勘当され、出奔。82年に1年間、インド・ビハール州ブッダガヤにあるガンディーアシュラムに滞在。
農業のあり方を根本から考え直すきっかけとなり、有機農業から自然農業へシフト。
約20年、海外協力NGOを通して、バングラデシュやタイなどアジアをメインに、農村に自然農業を広める活動をしていた。
村上真平さん家族がシャロムを訪れたのがきっかけで交友を深めバングラデシュにぬかクド(臼井式ライスクッカー)を紹介しに訪れたこともある
シャロム・シャンティクティの種バンクの構想は、そちらの活動から得た。
https://note.mu/kenjiusui/n/n4086212bcf4b

2002年に帰国。
福島飯舘村にて『自然を収奪せず、人を搾取せず』を掲げ、エコビレッジを始める。
順調に進んでいたが、2011年東日本大震災によって福島を離れる。
2013年、三重県津市美杉町の池の平高原で耕作放棄地を開墾し、福島で中挫した「学びの場」づくりを再開。

◆なぜ、お父様は有機農に転換したのか。
戦後の食糧難から、食糧増産とか色々やってきたが、60年~70年代は環境汚染の問題が非常に叫ばれた時代である。
食そのものが、農薬・化学肥料によって健康を害するものになってきていた。

愛農会綱領に、こんな一文がある。
1.われらは、農こそ人間生活の根底たることを確信し、天地の化育に賛して、衣食住の生産に精進せん。
(衣食住を成す農こそ、人間を根底から支えるものだ。我々は農業を誇りにしている。天地(自然界生態系のバランス)と共生し、衣食住の生産に精進する。)
見てくれのために農薬・化学肥料を使い、その結果健康を損なう近代農業。
それは綱領に悖る行いなのでは、ということから愛農会は有機農業に転換した。

転換の際、梁瀬義亮(やなせぎりょう)(有機・無農薬農業を日本でいち早く確立した、一人の医師の思索と実践。)という方を愛農会に招いての講演があった。
梁瀬氏は従軍医師も務め、戦後は奈良県五條市で診療医をしていたが、意味の分からない病気が非常に多かった。特に、農家の人たちに。
1万人ほどのカルテを調べていくうちに、これらの病気は農薬からきたものだと氣付く。

当時は戦後、戦時中に使われた毒ガス、爆弾、原爆の平和利用という名目で技術を流用、そして生まれたのが農薬であり、化学肥料(窒素肥料)であり、原発だった。
まさしく、現在では絶対に使ってはならない農薬が、当時は普通に使われていた。
梁瀬氏は60年代から、農薬・化学肥料を使わない農業をしようということで、有機農業を実践する慈光会(じこうかい)を設立、有機農業への転換を呼びかける講演活動もされていた。
このまま農薬・化学肥料・添加物を使い続ける社会を続ければ、60年代の死亡率第5位である癌(1位は脳溢血)が、数十年後には死亡率トップになる、とも明言していた。

◆出奔、なぜインドだったのか。
愛農学園を卒業後、実家に入るも、2年目にお父様と大喧嘩。勘当される。
土下座すれば許して貰えると母から助言されるも、罪を犯しているわけでもないのに謝る理由がないと、これを突っぱねる。
経済基盤も社会基盤も失って、そこからいられなくなるとなったとき、自分には何もないことに氣付く。
父に反抗することで、自身の存在を確かめていた。反抗と同時に、依存してもいた。
村上さんは家を出ることを決め、『世界中のどこに行っても、生きていける自分、自分のことは自分でやる人間になる』と決心。

卒業生に贈られる会報誌に、インドのガンディーアシュラムの責任者が、愛農学園の理念に共感し、
ぜひ卒業生を送って、農業指導をしてほしいと要請があったとの記事を見つけた村上さん。
当時読んでいた中根 千枝(なかね ちえ)の著作の中に、「日本と全く反対の国を挙げるとしたら、私は迷わずインドと答える」という記述があったこともあり、タテ型社会の日本から、ヨコ型社会のインドへ。
『世界のどこでも生きていける自分を目指すなら、日本と一番違う国に行きたい。』という思いがあった。

◆インド・ガンディーアシュラムへ。

日本とは文化的に真逆だという理由でインドを選ぶも、カルチャーショック以前に、山影はあれども木々の一切見当たらない山、川幅500mにも及ぼうというのに、干上がって歩いて渡れる川を目の当たりにし、
日本の豊かな里山で生まれ育った村上さんは、その違いに驚愕する。
季節は4月。乾季の終盤で雨季の前だった。
一番暑い季節で水もなく、干上がった大地では何もすることができず、この地で悟りを開いたブッダについて調べる。

2500年前、ブッダが修行したこの地はアルベーユの森と呼ばれていた。
大変有名な森で、インド各地から修行僧が集まる場所だった。
欝蒼とした森があり、修行僧が1日に何度も沐浴するのだから、ネーランジャラー川は一年中川が流れていたのである。
それが今や見る影もなく、空氣は赤茶け、聖地にわずかばかりの木々があるだけ。
雨季に大雨が降って川が満たされても、すぐに狭まり、あっという間に水がなくなる…砂漠化していく未来が見える場所になっていた。

◆原因は近代農業ではないか?
原因は近代農業ではないかと、村上さんは推測した。
インドで農薬化学肥料が使われるようになったのは、1960年に始まった先進国による「緑の革命」
収量の上がる種と農薬・化学肥料と灌漑のセットで海外協力させることによって、20年後にはインドの90%以上が農薬・化学肥料を使うようになる仕組みだった。
そこで近隣に住む高齢者に、近代農業の影響がなかった子供の頃は、どんな風景だったか聞いてみた。
「今より緑はあったが、大して変わらない」との答えだった。
その時の村上さんの考えでは、有機農業は自然を守って、近代農業は自然を壊すというものだったが、結局は大して変わらなかった。

◆人間の農耕を中心とする、人間のための人間を豊かにするための行為が、結果として人間の住めない場所を作った。
古代の文明が栄えた土地というのは元々は一番豊かな土地だったが、今は遺跡が残っているだけで、全て砂漠だ。
彼らは砂漠で生きる技術があったわけではない。そこはすべてが森だった。豊かな豊かな森だった。
そこに文明が起こって、一番豊かな土地に人間がたくさん住み、より豊かな生活を求めて木を切り、畑を作り田んぼを作り、木を燃やしてレンガを作り、都市を作り、自然がどんどん消費されて森がなくなり、最終的に局地的な気候変動が起きた。
そして、人間はもうここには住めないといって去っていった。
だから文明の後には、砂漠と遺跡が残っている。
ブッダガヤは今、何千年という時をかけて砂漠に移行しているのだ。
そして、古い文明の頃は局地的な気候変動で済んでいたが、今ではそれが世界的な気候変動に及んでいる。

阿呆のような話だが、地球上がだめになったらお金のある連中は本気で火星への移住を考えているらしい。
海外の会社が、何年か先に火星へ向けて、自給自足で生きるための資材と共に、人間を何十人単位で送るという企画を立てた。
ちなみに片道切符なわけだが、世界中で募集したところ、競争率が100倍にも上ったという。
地球という、こんなに豊かな星で自給自足して生きていけない人間が、なんにも緑もない星に行って自給自足なんてできるわけがないのに。

もし歴史や過去の文明から何か学ぶことがあるのだとしたら、問いがあって然るべきだった。
一番豊かな土地に発展したはずなのに、なぜ過去の文明はそこに住めなくなったのか、という問いが。

このまま農業がこういう形でいったら、農業は地球を滅ぼす。農業を永続的に続いていく形にしない限り、地球の未来はない。
なぜなら、農業という人間の食糧を生産している形態が、持続可能なものではないからだ。

◆「持続可能」とはなんなのか。
国連や海外でも多用されているが、本当の持続可能がどういう形で、どういうものなのか考えていない。
持続可能を語るなら、持続可能なモデル、イメージを持てずして、なにが持続可能だと言うのか。
この地球上の中で、持続可能な生態系モデルというのは何なのか。
生物がちゃんと生きて続いている生態系。
それは、自然の森だ。
自然の森が、何万年と続いてきた持続可能なものであり、多くの生物がいられるところであるのはなぜなのか。
なにが持続可能にしているのか。

◆循環・多様性・多層性
持続可能の意味は、ずっと続いていくということ。
円環状に巡り続ける循環だ。スタートと終わりが一緒だということ。
生命というのは循環であり、循環しているから持続可能である。

多様性はなぜ必要か。循環を一つのものに任せないからだ。
一つのもので循環を担っていたら、それが壊れたら循環しなくなる。循環が壊れたら生命は終わり。
生命は、植物・動物・微生物。その循環を守るために、多様になる。
松くい虫で松が死んで、山全てが松なら生態系はそれで終わりだが、多種多様な木があるから、ちゃんと機能は保っている。
多様性とは安定性。
生命は安定させるために多用になっていく。
多様性を持つ循環であるために、そこにあるものはお互いにすべて必要な形になっていて、不必要なものは何もない。
植物にとって要らないものは動物にとって必要で、葉っぱや糞や死骸は微生物が食べて分解して腐植土を作り、それがまた肥料になって植物が育つ。
こういう循環が、地球上で最も安定しているのが自然の森だ。

自然の森は循環している、多様である、他にもうひとつある。
ヒントは、植物は動物のように動けない。植物は何をもとに、自分たちを育てているか。
水と太陽の光。
それらを最大限に活かすため、多層性を持つ。
土は落ち葉で覆われて、そこに草が生えて、小さな木があって、中くらいの木、大きな木が生える。
この多層性が、太陽の一番強い光を大きな木が使い、少し弱まったものをその次が、さらに弱まったもの、すごく弱まったものを順々に使い、最後は草や苔が使う。
つまり森は、ただ単に木が生えているのではなく、生命というものは自分たちの生命を維持するための環境を作る。
森の多層性というのはまさに、太陽の光を最大限に使えば、それだけ植物も育つし、動物も育つ。その両方が育てば、微生物も豊かになる。
循環する毎、豊かになるようにできている。
それから、水。雨。
綺麗に耕した畑は、雨が降ると流れる。雨が多ければ、泥水になって流れる。
地上から20cmにある、土の栄養素の95%を占める表土が流れ、豊かなものがなくなってしまう。
有機物をたくさん含んだ土というのは、循環の中で蓄積されたもの。
自然の森というのは、それを徹底的に守るために上に葉を落とし、雨を多層構造になった木々で少しずつ弱め、地面に落ちた葉で受け止めるから、雨が地面に到達するときには、ほとんどショックがない。
柔らかい肥沃な土には細かな穴があり、穴を通って水が入っていくと、浸透して地下水ができる。
地下水は井戸や川、湖に出て、人間を含めた動物たちの飲料水になる。どの動物だって、雨が降ったといって空に向かって口を開けたりしない。

そういう風に自然の森の持続可能性を徹底的にきちっと持続可能にさせるものが、少なくともこの三つ。
循環でなければならない。すべてのものは、そこで循環していかなければならない。だから、土は豊かになっていく。
そして太陽の光と雨水を最大限に使って、より豊かになるため、成長するための多層性。
安定性を作るための多様性。
この三つは、必須。この三つがなければ、持続可能性はない。

◆自然の破壊は農業の始まりからだった
循環と、多様性と、多層性。
持続可能性には、この三つが必須である。
この点から農業を見れば、農業が持続可能でないのが簡単にわかる。
農業をするとき、一番初めに何をするか。森の木を切ります。多層性をなくすんです。土を裸にするんです。
これで大雨が降ったら表土は流れてなくなるし、洪水になる。日照りになったら、土は乾いてカラカラ。
そして、自分の好きなものだけ作るから、多様性から単一性になる。
アメリカのコーンベルトなんか行ったら、車で何時間走っても、両脇全部コーン。度肝を抜かれる光景だ。
人間は自分たちの都合のいいことだけやると、多層性を壊し、単一性にして、収穫したものは全部取って、循環させない。
人間が人間のために他を考えないでやる行為は、森が持っている循環性であり、多様性であり、多層性を全部壊す。
だから、その農業が永続するわけがない。

自然の破壊というのは、1万年前に農業が始まった時から始まっている。
1万年前までの人間というのは、森の中で生きていた。森は恵みの元であり、深い森は怖ろしいからこそ、信仰と畏敬の対象でもあった。
森から全て、生きるために必要なものを得ていた。
しかしある時、自分達が食べたものを捨てた場所から作物がよく出てきているのを見て、土がこんな風だったら、小麦がたくさんできるのではと、試していったのが農業の始まり。
そして土地を拓いて、木を切って、試してみたらたくさんとれた。そこから、人間の意識が変わった。
今まで恵みを与えてくれる場所であると同時に、信仰と畏怖、畏敬の場所であったのが、それからはあの森は自分たちにどれだけ食糧を与えてくれるのか、自分たちのものにして、それをコントロールできる、所有という意識を持つようになった。
自然を破壊するということ=自分たちが豊かになるということをやっていった。
古代であれば、森は地球を覆っていたから、人間がいくら頑張ったって勝てないことだったが、
結局それが文明の時代になると、文明が滅びるまでの一千年、二千年の間に、徐々に徐々に人間の力が勝っていって、人間が完全に自然に勝ったときに、人間はそこに住めなくなったのだ。

◆自然=パーフェクト、人智=浅知恵
村上さんはインドに行ってそれに氣付いたときに、これは大変だと思った。
今まで農業で当たり前だと思っていたことが、全然違う。
そしてその時に、インドに行く前に読んでいた福岡 正信(ふくおか まさのぶ)のわら一本の革命”の意味がよく分かった。

福岡氏が言う自然農法の原理は、4つの無。不耕起、無肥料(有機肥料も使わない)、無除草、無農薬。
有機農にとって一番の仕事は、除草。除草剤のない大変さがわかんないのか!その次の仕事が堆肥作りで、畑を耕すことも大事だった。
有機農で大事な仕事を全部やらないと頭にきながらも最後まで読んだ。
彼が言っていたのは、人間の知恵・人智は、限界があって、自分のちっぽけさを全く分かっていない馬鹿なんだ。
自然を滅ぼして、自分が滅びるんだ。自然の地は、パーフェクトなんだ。

一番いい土は何処にあるって聞いたら、森にある。自然の森。雑木林の土が、一番いい。
物理的特性においても、肥料においてもバランスにおいても。
そしてこれも世界中のどこの農民に聞いても、みんな同じことを言う。森の土が一番いいと。
だけど森は、自然の森は誰が耕した?誰が肥料をやった?誰もやっていない。だけど土は、放っておけばどんどんどんどん豊かになっていく。
今でも森は、土を作り続けている。
一方人間は、科学的な知恵とかなんだかんだ言いながら、畑は耕して、肥料をやって、いろいろやるけど、土はどんどんどんどんダメになる。
人間の知恵はいかに愚かであって、自然の知恵はパーフェクトなのか。
一つ例を挙げると、土手の土というのは、すごく柔らかくなっている。
畑を柔らかくするって言って耕しといて、その脇の草が生えた土の方がよっぽど柔らかい。
福岡氏に言わせれば、土固くしといて、耕して柔らかくしたって、馬鹿だと。何無駄なことをしてるんだと。元々土は柔らかい。

それは虫も同じ。
害虫とか、病害虫とか、病気の菌は森にいないのか。
いるんですよ、はらぺこあおむしのモンシロチョウもいる。でも増えない。
モンシロチョウが幼虫から成虫になって卵産むまで、1か月。1匹が生む卵の数は、約100個。
もし仮に卵のすべてが成虫になったら、1か月後には100匹、半分が雌だとして、1匹100個卵産んだら、2か月後には5000匹。3か月後には25万。
そんな爆発的な繁殖力を持っていても、森の中に毎年モンシロチョウがいる場所に行けば、例えばそこに10匹いるとすると、毎年同じくらいしかいない。
よく蝶を採取する人曰く、スポットがあっても、毎年10匹、8匹、11匹…とだいたい同じくらいなのだそう。
それって何となく当たり前のように思っているけど、蝶の生態を知ったら、1匹から3か月後には25万になるのが、1年後に1匹ってどういうことだ。
10匹が10匹って、どういうことか。結局、1匹のモンシロチョウは、1匹しか残せない。
つまり100個生んで1か月でサイクルさせなければ、森の多様性の中では、彼らは生き残っていけない。でも、きちんと持続可能で続いている。
これを思うと、なぜ彼らは害虫にならないのか。
多様性だ。

植物が多様であり、動物が多様であり、虫が多様であることで、1種類が一つの土地をコントロールするということがない。
これをエコロジカルバランス(生物と自然環境の間にある均衡関係)というが、何によって成り立つかというと多様性。
多様性なくしてバランスはない。

だから畑にキャベツばっかり作って、くる虫はすべて殺してやろうなんてやっていると、ちょっと農薬をやめたり遅れたりしたときに、大発生する。
2,3日のうちにキャベツの苗が全滅するっていうことも実際にある。
そうすると、ほら農薬やらないから虫がつく。農薬は必要だって言う人がいるわけだが、本来の森の中では、誰も虫のコントロール病気のコントロールはしないけど、全ての植物はちゃんと成長して次の世代ができている。
本来の森に行って、虫食いの葉っぱ、病気になっている葉っぱを探すのは大変です。

人間の知恵が浅知恵で、本当のことがわからないために、結局一生懸命やって土を悪くして、一生懸命やって虫を増やして、一生懸命やって病気を増やしている。
なぜダメか。
そもそも、自然の生態系の持続可能性はどこから来ているか。
それを知らないから、一時的にいっぱいできているけど、バランスがすごく悪くて、何かがあって崩れてしまうと、土が流れてしまったり、土が硬くなったり、病気になったりしていく。
森には洪水とか表土流亡とか、日照りっていうものはない。でも人間は畑で同じ気候の中、今年は日照りだとか、大雨だとか騒いでる。
森は、水が多いも雨がないも言わないし、一定した生産はほとんど年間同じ。なおかつ、畑の生産の2倍は持っている。
生産量っていうのは、いわゆるバイオマス(動植物から生まれた、再利用可能な有機性の資源)の量で、畑の2倍。
そうなってくると、福岡氏の言っていることは、知れば知るほど間違ってないと実感する。
彼は一時期こうも言った。
「自分は間違ったことを言った。自然に神があるといったが、自然こそが神だ」と。

◆戦前まで続いていた伝統農法
文明いくつか滅ぼしたら人間も考えるようになり、
必ず堆肥を作ったり、あんまり広く耕さないで、周りには土が流れないように生け垣を作ったり、毎年同じものを作らないでローテーションしたり、多様なものを作ったりするようになった。
自然が持っている循環性を何らかの形で保管し、多様性を色々な形で真似て、太陽の光と雨を逃がさないで農業内で使っていくような形を考えていた。
それが、生産性はすごく上がらなくても、安定させてずーっとやってきた、第2次世界大戦の前まで主であった伝統的な農業だった。

有機農法の4,50年の動きは、みんなそういう流れです。一生懸命堆肥を作って、緑肥を作って、とにかく有機物を土に返せと。取っているんだから、返せ。
自然のものは自然に返っていくけど、人間は一度取ってしまう。
だからちゃんと返していかなきゃならない。
だから堆肥や緑肥という形で返す。
里山の時代は、山から落ち葉を取ってきてやっていたけど、里山の落ち葉が全部きれいにされてしまったがために、松林では松茸がいっぱいできましたけどね。
松茸の菌というのはシロを作って繁殖するが、上に葉が溜まっていろいろな雑菌が来ると、松茸菌はあまり繁殖しなくなる。
農薬化学肥料使うようになって、松葉を採取しなくなってから、松茸が減った。
そういうことで、日本の里山は人間が関係していくことで一つのバランスをとりながら、それでいて松は滅ぼさない形を作ってきたわけです。

◆農業と科学と人間
農業というのは、自然破壊性を帯びた人間の本質そのものが出ている。
短絡的に、他との関係性を見ない。自分の必要なものだけそこから取れればいいという本質が。
農業は人間が自分の都合ばっかり考えてやっていくと、自然が持っている循環を壊す宿命を持っている。…だから循環を戻さなきゃいけない。
多様性をなくして、自分の好きなものだけ作りたがる。お金になるものだけ作りたがる。…だから不安定になる。
そして多層性を壊すから、太陽の光と雨をきちっと使えない。…だから、日照りや洪水という害になる。

自然を収奪するということが何なのか。
戦前の伝統農法では、土がダメになったとき、自然にあるものをどう使って、どうやってよくしようかと考えていたのに、戦後、兵器の平和利用という化学肥料、農薬によって、成分で言えばNPK(窒素・リン酸・加里)だから、工場で作って入れたらいいだろうと、いうことになってしまった。
何でダメになったか考えようとしないで、入れたらいいだろう。
虫や病気が出たら、作物を変えるなどして必ずバランスを取ろうとしていたものが、そんな面倒くさいことをせずに、自分の好きなもの作って虫は殺せばいいだろう。病気は全部農薬で治せばいいだろう。
これが科学発展の元になった。
科学が環境問題を解決するなんて絶対にありえない。技術的な話ではない。
人間の科学が、人間のエゴを通したいがために発展したものだからだ。
より便利に、より多く、より早く。
科学の発展が、自然のバランスをどういう形で捉えよう、どこから学んで農業に取り入れようなんて一度も考えたことはない。
土を本当に科学的に調べたならば、化学肥料では到底土はダメになると分かっているはずなのに、そのことを声高に言わない。
全部、より早く、自分の嫌いなものは消してしまえ、ないなら新しく作って入れたらいい、効率的に、合理的に、そんなことばかり考えている。
その問題自体を考えず、科学が物を解決することは一切ない。
問題をより複雑化しているだけである。

今現在、遺伝子組み換えの技術はさらに進み、合成植物、合成生物が台頭してきている。
合成生物を、科学者たちは、遺伝子組み換えとは言わない。
遺伝子組み換えは、他のものの遺伝子を使っていろんなものに組み込むことで、それそのものが持っている遺伝子を、その中で組み替えてしまうことを、遺伝子組み換えとは呼ばないのだそうだ。
それが今やパソコン上でできるようになってしまっている。

村上さんは、人間が滅びるとしたら、この遺伝子操作と核によってだろうと考えている。これらは、エゴイズムの表れでしかないからだ。
なぜなら核という原子も遺伝子も、地球が生まれて50億年、そして生命が生まれて何億年かの中で、様々なものを通して、やっと今の形態ができている。
それを人間が、高々何十年かの考えや価値観で変えようとする。
これがどれだけ危険なものか。どれだけ何も見ていないか。
目の前のお金のためだったら何でもしてしまう。
そういう形でやっていくがゆえに核に手を染めて、平和利用だという原発が福島で爆発して、多くの人が住む場所や命を失った。
結局人間が化学の発展で、本当に豊かになり、平和になるということは絶対ないということだ。
それは根源的に人間は、エゴイズム、自分のことしか考えないから。
その問題を抜きにして、ことをバラ色に見ている。合成生物は何兆円産業になる、病気が治る、さもいいことだけしかないように語る。
病気が治るなんて言ったら、誰も文句は言わないが、合成生物技術はいくらでも生物兵器が作れる。
自分の都合のいいようなものはいくらでもできるようになる、いずれは人間も作るようになるかもしれない。
そういう意味で、人間が滅びるとすれば、科学の発達によってだと思っていると、村上さんは語った。

◆問われる「人間」の在り方
発達というのは、神はこの宇宙というのを描いたのは数学であると誰かが言っていた。
今や、数学で宇宙の流れが見える。
アインシュタインが解き、核の元となった数式E = mc2 (エネルギーの相和は、重さ×光の二乗の速さ)
アインシュタインが100年前にこれを導き出すまでは、誰も知らなかった。
しかし次の世代からは、論理があるから誰でも使えてしまう。科学というものは数学で書かれているから、誰でも使えるように蓄積されていってしまう。
誰もアインシュタインの苦しみでもって公式を考えることはないのだ。

けれど、イエス・キリストが説いた愛や、ブッダが説いた慈悲は違う。
科学をコントロールできる心を養うための叡智や愛、慈悲といったものは、いくらブッダやイエスが語っても、それを聞いた人間はもう一度、ゼロから自分で本当に理解しなければ、理解したことにならない。
根源的に科学的な知識というものと、人間そのものの叡智には圧倒的な差があるのだ。
コントロールするための叡智の養われていない状態で手を出せば、その結末は火を見るより明らかだ。

なぜ人間は、収奪するか。
自分のことしか考えていないからだ。
収奪するもとになった自分たちを支えてくれる物は何なのかが見えていない。見ようと思えば見えるのに、見ようとしない。
なぜ搾取するのか。
搾取する相手のことが見えていない。搾取すれば、それが自分の元に帰ってくるというのが見えていないからだ。

◆感想
今回村上さんのお話しを聞き、今までパーマカルチャーの前提として、さらっと流していた知識に血肉が通ったように感じました。
それと同時に、根っこがしっかり大地に根を張っていないと、木がしっかりと立っていられないように、
人間も、根っこになる心や精神といったものが育っていないと、あっという間に傾いて自滅してしまうのだということを改めて実感しました。
ですから、パーマカルチャーと自然農業の実践に加え、道徳や倫理を介する心を育て、広い視野を養い、
自分で疑問を持ち、自分で考えることのできる知恵を持つ人間を育てることが急務であるのだと思います。
そういう人間を養うのに絶好の場もやはり、自然の中なのでしょうね。

レポートパーマカルチャー安曇野塾生
西沢由梨

村上真平さん講演
「自然を収奪せず、人を搾取しない」というテーマでお話を聴きました。あくまでも穏やかに誠実に語る真平さんの言葉には、計り知れないほどの人生経験とものごとの遠くまで深く洞察する視座が詰まっていました。塾生は自然とその話に聞き入り、それぞれに感ずるところ多き時間となりました。

このままの暮らし方を続けていれば人類は滅びるしかない。その未来を変えるには、自然の摂理を知り「農」を中心に据えた「森」を取り戻す文明にするしかない。淡々と語るその言葉は、聴くものを脅すわけでもなく静かに胸に到達するのです。現代社会への憤りを超えた「普遍的な愛」と、ぼくには感じられました。

真平さんは福島県飯館村の農家に生まれ育ち、三重県にある「愛農会」やバングラディシュ、タイでの自然農業アドバイザーなどを経て、飯館村に自分の理想とする拠点を作りつつありました。そして10年経った3.11、あの原発事故が起こりました。状況を冷静に判断し、真平さんは迷いもなく家族と共に福島の地から脱出したのです。

農場という物は無くなったけれど、野菜を育て物を作る手段を自分は持っているので大丈夫だと思っている、「食べる物を作ることができることほど、安心と思えることはないのです」そう語る真平さんは、ご縁のあった三重県で放棄された限界集落の地を新たな拠点として整えている途上ということです。

お話を聴いたあとは、塾生からの質問に村上真平さんと臼井健二(シャロムコミュニティ代表)さんが応えるオープンセッションが行われました。お二人それぞれの応えから、社会が目指すべき指針を確認することができ、この時間がもっと長く欲しかった塾生も多かったと思われます。 西尾元レポート

NHK 心の時代 その壁を超えて 村上真平
ききて 山 田  誠 浩
http://h-kishi.sakura.ne.jp/kokoro-582.htm

バングラデシュを一緒に旅して 臼井健二
http://shalomusui.blog90.fc2.com/blog-entry-1732.html

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