『Breakout』と『Asteroids』に対する日米の反応の違い

 自分のお気に入りの昔のツイートを転載しておきます。
 2016年3月に「あそぶ!ゲーム展」へ行ったときのツイートです。

 先日行った「あそぶ!ゲーム展」で『Breakout』と『Asteroids』を見て思ったことがあって、どちらも初期Atariの傑作なんだけど、この2作に対する日米の反応の違いが、その後両国が進む道を端的に表していたのだなと。一面的な見方に過ぎないかもしれないけど。

 『Breakout』は日本で大きくヒットして、その後も亜流がたくさんつくられた。何よりあれを元にして『スペースインベーダー』が生まれ、それがおそらく「単方向シューティング」というその後の日本におけるメインストリーム(の一つ)の方向性を決定づけたといってもよい。

 他方、『Asteroids』は日本ではあまりウケなくて、追随する作品もほとんどつくられなかった。でも、アメリカではヒットして後に続編もつくられている。全方向に目を配り、自機を回転&移動させて、画面をフルに使って戦うという遊び。全方向シューティングの原点の一つだ。

 アメリカではその後『Robotron2048』が生まれたりしていて、それらに見られるような“空間に対する自由度を求める感性や好み”が、やがてFPSやオープンワールドのような遊びにもつながっていったんじゃないのかな。

 Atariには『Centipede』という単方向シューティングもあって、これもヒットしているのだけど、不思議とこっちはあまり広がっていかなかった感じだよね。『Breakout』系の亜流もあまりないのでは?(書いていて『Warlords』なんてのを思い出したけど、あれも全方向指向の遊びだな)

 こうした流れは歴史の必然だったのではないだろうか。もしも何かの偶然でちょっと違った黎明期のゲーム史があったとして、最終的には現在のリアルと近いところへ収束しただろうと思う。 了

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?