見出し画像

多様性な自分に気づくとき

 社会の仕組みは、マジョリティという社会全体に宿っている認知バイアスを前提にして構成されているのではないか、最近考えています。
 そして、そのマジョリティの属性を意識して、そこに自分を重ねて暮らしていると、世の中の不便さや自分にとっての不都合さを意識せずに暮らしていける。さらに、自分がマジョリティ側に属しているという自己認知を持っている場合、そうした社会の仕組みを是として受け入れ(しかも割と無条件に…かもしれません)、自分自身の価値観や行動を適応させていこうとする、いや適応させることが可能になる。

 しかしながら思うに、このトートロジカルな構図がマジョリティに比較調整された社会を生み出し、維持させる循環を支えているとも言えるのではないか。そして、このメカニズムが自律的に回るから、なかなか厄介なんだと思うのです。

 実は、私たちは本当は一人ひとり多様であるし、価値観だって様々なんだと思う。それにも関わらず、作られたマジョリティのシステムに乗っかることで生きやすさや暮らしやすさを手に入れようと私たちはしているのかもしれません。

 マジョリティというのは 世の中に私たちが作ってしまった(仮想的に作られた)"お化け"なのではないか。ある尺度からはマジョリティでも別の尺度から見ればマイノリティ。それくらい、一人ひとりは多様な要素を持つと考える私は、このお化けを生んでいるのも私たちであるけれども、それを退治することができるのも私たちで、一人ひとりが自分の中にある多様性、もっと分かりやすく伝えれば自分の中にいるマイノリティの要素に気付くことでそれが可能になるのだと考えています。

 普段、あまり意識していない(なぜなら、自分はマジョリティと思っていて日常生活において気にする必要がないと思い込んでいるから)、自分の中にある、多様性に目を向ける。それは人と対話することで気付くこともあるだろうし、時には最も強烈にそれを意識せざるを得ないような、貴重な体験をすることで気づくこともあるでしょう。分かりやすく言えば、そのことで自分が差別されていると瞬間とかです。

 でも、そんな体験はできればしたくないです。心が痛みます。故に、私は、誰もが多様な自分自身に気付き、受け入れて、人はそもそも様々で異なることが当たり前じゃん!と考えて受け止める姿勢を持っている社会になっていきたいと思います。自分の中に潜むマイノリティの要素を解放することができる社会になるといいなと思うのです。

 人はほぼほぼ無意識のうちにマジョリティとしての自分に準拠して振舞っているかもしれません。「ダイバーシティ(多様性)には属性の多様性と認知の多様性がある」とも言われます。ダイバーシティの基本的考え方 | ダイバーシティとは | JDIOによると、
「ダイバーシティが対象とする多様な属性は次のように整理されます。
a)外面の属性:国籍、人種、性、年齢、障がいの有無、働き方など
b)内面の属性:経歴、宗教、価値観、性格、嗜好(GLBT=ゲイ、レズビアンなど性的志向を含む)、生き方など」

とあります。前者はデモグラフィック・ダイバーシティ、後者はコグニティブ・ダイバーシティと呼ばれることもあります。
 私は a)と b)はコインの裏表のような関係でもあると捉えています。あるいは氷山モデルを使って言えば、水面上で見えているのが a)で、水面下にあるが B)という感じでしょうか。b)は水面下にあるのでよくよく対話して感じ取らないと自分のことなのに認識するのが難しいかもしれません。実は、対話こそが自分自身に対する思い込みを解き放ってくれる可能性があると思うのです。

 だから、たまには「正直、よく分からない…」と感じたり思うことがあっても対話する意味がある。その気まずさに耐える心を持ちたい。結構、難しいことではありますが。

 ただ、この内面に潜んでいる多様性も社会の認知が変わってくることで外面化してくるとも考えます。それまでは内面の属性だったものが外面の属性へ移動していくこともあるということです。例えば、LGBTQ+。ここ数年、社会の中で様々なLGBTQ+に関する取組みが進んだことで理解が広がりました。そしてそれはいままでは他者に知られないように隠していたところを周囲に伝えることができるようにもなる前進を生んだとすれば、内面の属性が外面の属性へと変化してきているとも言えるのではないでしょうか。もちろん、それさえも一人ひとりの個人を取り囲む周囲との関係性に依存するので一律的に括ることはできませんけれども。
 ダイバーシティの内面・外面の属性を一律的に区別するのは簡単ではないですが、それは社会全体の認知の状況によって変化していくし、それでも尚、個人によってはまだまだ内面の属性として認知レベルにとどめておきたいということもあるでしょう。それくらい個人の認識と社会の認知レベルは相互に影響し合っているように思います。

 ちょうど先週末、TRP:東京レインボープライド2024 (tokyorainbowpride.com)が開催されました。私も初めてパレードに参加しました。イベントが継続されてきたことで今年は本当に参加者が増えたんだなと感じました。こうして社会の認知レベルが変わることと連動して、自分自身の内面の属性を外面の属性として表現することもできるようになると、互いに多様な姿が見えるようになり、その違いや異なる属性を活かしやすくもなっていくと思います。

 社会の変化はgivenではなく、私たち一人ひとりの認識と行動の積み重ねで変わっていくものだと改めて感じた先週末でした。

 

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?