「流れに従って生きる」ー大学生活編ーACT7:建築学科時代の私


建築学科に「とてつもない運」で進んだ私でしたが・・、時間が経つにつれて真実を知って笑ってしまいました。

 私の成績は、建築学科に進んだ中では、ドンケツから1番か2番だったということでした。



 私のドンケツ対抗馬が牧田という友人で、実は、現在、仙台にある当社と同名の(株)木の香の家の代表(現在は住文舎に改名)です。



不思議なもので、建築学科に進んだ仲間のうち、30歳前後で独立して会社をやっているのは、このドンケツの2人だけなのです。



学校の成績が低いほど怖いもの知らずで独立するものなのでしょうかね・・(^^;)





この牧田とも、その後、不思議な腐れ縁でつながっていくことになります。 




 私は、3年生の終わり頃に、結局、アルバイト先のN建設に就職することを決めました。




親には「もう少し有名なところの方が給料いいはずだ!」と反対されましたが、「流れ」を感じたので、それに従うことにしました。




ちょうど同じ頃、牧田も、零細企業の都市計画事務所へ就職を決めていました。



こちらも薄給確実な会社で、給料優先ではなく、流れで動く不思議な2人でした。



   しかも・・誕生日も一緒・・という、不思議な縁です(^^;)

(365分の1の確率・・成績の悪さの対抗馬を考えれば、もっと低い確率です)




4年生初期の就職ガイダンスで建築学科の生徒が全員集められたとき、




担当の教授が・・


「みんな、白鳥と牧田のように、自分で勝手に就職先を見つけてくれれば、俺の手を煩わせることもないのになぁ・・」


とグチを言ってたのを覚えてます(^^;)。




よくわかりませんが、人に就職先を決められるより良かったような気がしてました。




多少、自慢にはなりますが、机上の勉強はできなくとも、
建築学科での設計力は「四天皇」の1人と言われるくらい、
そこそこは出来ました(^^;)。



漫画を描いていたせいか・・、頭の中で3次元に空間を構成する力がついていたようで・・、漫画研究会に行ってて良かったとつくづく思いました。





ここから、超不思議な卒業試験へと話は展開していきます!


事実は小説よりも奇なり。

お天道様は見ています。






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