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文化じゃないよね。

マッサージで、生まれてからずっと京都にいるという、生粋の京都人のお客様がいらっしゃいました。

まさに京都人というように、あの独特の喋り方と、なんとなく排他的なニュアンスをそれとなく漂わせていました。

ちょっとピリッとした雰囲気になりますが、悪い人ではないのは確か。僕自身、道にいるキャッチだったり、ビラ配りの人、寄付を求める東南アジア人達につかまりやすい人種ですので、とっつきにくい雰囲気を醸し出せるのってある意味羨ましいな〜と思ったりします。

京都市長選挙が終わり、現職の門川さんの続投が決まったこともあって、今の京都のホテル建設ラッシュが止まらず、外国人観光客ウェルカム何だろうな〜と思い、その方に、今の京都の外国人観光客がたくさん来ている現状を伺ってみました。一回聞いてみたかったんですよね!生粋の京都人の方に。僕自身は外部の人間ですからね!

「僕、ゲストハウスの清掃の仕事もしているのですが、本当にたくさんホテルやゲストハウス建設されましたよね!しかも、清掃の仕事も耐えなくて、清掃員が足りないくらいなんです。それくらい観光客が来てるって事ですよね〜!僕自身はこんな感じで後はどうなるのかな?何だかな〜と思うのですが、それで京都が潤っているのも確かだからこれはこれで良いのかな〜と思ったり。どうお考えですか?」

「まぁーね。迷惑だよね〜。うるさいしね!外国人観光客云々というより、ゲストハウスだったり、ホテルが街に立ち並ぶ事って全く文化にはならないよね。京都の財産にはなっていないよね。」

「文化」にならない!!!

そういう発想で物事を考えたことはなかったので、衝撃が走りました。

確かに、建物の造りに関してみれば、ホテルやゲストハウスは京都っぽさを醸し出しているだけ。和の要素、竹だったり、畳だったり、庭園があったり。

それは「京都っぽさ」であり、「みりん風」と一緒。

京都に住んでいる人の暮らしのためというよりは、刹那的に京都に来る人のためのもの。目先のお金のためにみたいに感じてもしょうがない気がします。

それが未来に残ったとしても、一体文化となるのだろうか?

京都の住居って「うなぎの寝床」と言われ、入り口は小さくて、奥行きがものすごくある、細長い造りをしているのです。

町家を改造してお店にしたり、ゲストハウスにしている所に入ると、この家の造りに不思議な感覚を覚えます。

正方形の家の造りに慣れていたので、この細長さはものすごく落ち着きませんでした。

姓名鑑定の先生から教えてもらったのですが、そういう造りになっているのは京都という土地が天皇のお膝元であったからだそうです。

いつ天皇や公家といったお偉い方に会うか分からないので、みっともない格好じゃダメだと思っていたそうです。

ですので、西陣織りがあるように、着物を豪華にしたそうです。

しかし、庶民の家すべてがお金持ちとは限りません。いや、お金持ちではないですよね。

なので、家の玄関部分を豪華にして、あとは屏風みたいなので奥は隠せるような造りになっているのだそうです。

玄関は立派でも、奥はかなり質素。

立派な着物を着ていても、生活もぶぶ漬けを食べているみたいな感じ。

喫茶店が多いのもこういう事情から、家の中に他人を入れることはしないのです。玄関だけ立派で、中は質素なんですからね。

なので、喫茶店でお話をするというのが一般的だったようです。

排他的なニュアンスを漂わすのも、京都人ならそういう事情を理解しているの察する事ができるが、外から来た人はそういう事を知らないので察する事ができない。

こんな事を私の口から説明させないでちょうだいよ!みたいな感じなのかな?

人からよく見られたい!!!とかじゃなくて、天皇に失礼が無いようにという発想からこういう事になっているんですね。

それが、今の京都という街になって、文化になっているのです。

面白い!!

必要から生まれるものが、文化となっていくんですね!

お金、経済のためも必要かもしれないけれど、文化となるかと考える事って判断基準に置いて趣があるなと思います。

今の京都が魅力的であり続けるために自分たちができる事って何なのでしょうね?そう考えてしまいます。

佑治郎



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