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医療過誤はかなり多いのでは

医療過誤は、実はかなり多いのではないかと考えています。
卑近な事例で、高齢医師が心臓に近いところにカテーテルを行う手術で国立系病院で亡くなっています。脳腫瘍が疑われたという中年の方も検査のために生検して、家族は検査のつもりが予後が悪く亡くなっています。

その他にも、葬儀に出る機会も多くあったころは、「今朝元気に病院に検査に行くといって出たのに…」と聞き及んだお通夜や葬儀に案外多く出くわしました。

いずれも訴訟にはなっていないようですが、本当はやれるものなら病院や医師を訴えたい、納得していないという身内のかなり厳しい声を聞きました。

医療過誤でも立証責任

しかしいざとなると、立証責任は訴訟を起こす側に求められます。
何の医療的知識も持たない家族は、悲しみのうちに途方に暮れています。
とても訴訟ではないということでしょうか。

過剰医療は医療過誤ではないのか

医療の裁量はおおむね医師に任せられています。
通常行われる医療というのは大抵ガイドラインをつくり、それに基づいて行うことになります。ガイドラインに沿わないと、何か患者に不都合が生じた場合に医療機関が訴えられた際に訴訟に勝てないからだといわれます。

ではセカンドオピニオンを求められたとき、日本ではほとんどのケースで学会などがつくったガイドラインを鵜呑みに措置されるようで、どこを尋ねても同じ答えしか返ってこないケースが多いようです。

なかにはもう青白い顔で意識もなく寝たきりの方を見舞ったり、遺漏の方の様子を見に伺ったことがありますが、何とも日本独特の様子で痛ましい気持ちになりました。

医師は「俺が生かしてやっているんだ」みたいな雰囲気を感じたのはわたしだけでしょうか。どこか過剰な医療だという認識はないのでしょうか。あるいは患者の死は敗北だとでもいうのでしょうか。身内も、医療者も共にうら悲しくならないのでしょうか。

おじが95歳で亡くなった際、もう亡くなるという間際に病院に駆けつけると、亡くなりそうだというのに間際に家族や身内は病院の措置室を追い出されて死に目に会えるどころか、わけのわからない蘇生措置のポーズを取ります。お芝居をやらないと、不都合でもあるかのように感じてしまいます。

これは過剰な医療ではないのでしょうか。
日本では9割程が病院で亡くなるという、異常な世の中になっています。病院で亡くなるということは、静かな死、安らかな死、厳かな死は叶えられそうにありません。

「大往生したけりゃ、医療とかかわるな」というタイトルの本がありましたが、医療過誤というばかりでなく、著者が医師だという点からも過剰医療となっている現代の医療体制の問題点を指しているようです。

昭和初期ならいざ知らず、現代における病気の多くは生活習慣病です。
生活習慣をあらためて、自分で健康寿命を延ばすほうが賢明なようです。

宜しければ、サポートお願いします。「生活習慣病は、自分でしか治せない」と考えています。運動と食事での貴職の生活習慣病の治癒体験を教えて頂ければ幸いです。また、わたしの考え方の不足な点があれば、ご遠慮なくご指摘頂けると幸いです。どうか宜しくお願い致します。