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80kg あった医師が健幸外来サロンをつくった


 私が開業する前に勤めていた病院で日本最初の「健康外来」を1990年に始めました。もちろん、それまでの医療機関では「健康外来」という外来表示はありませんでした。

クリニック開業と同時に健康外来は 『 健幸外来 』という名称に変えました。

健幸外来 は今の健康保険制度の中には認められてはおりませんし、現在も医学部では、健康科学の教育やカリキュラムはありません。

なぜこのような外来を始めたのかは私自身もはっきりした理由や信念が、実はあったわけではありませんでした。



自分の体験から本業である産婦人科の将来に何か新しいものを取り入れたら、おもしろくなりそうだと思っただけでした。


自分の体験とは80㎏あった体重をカロリー制限というダイエットを一切せずに20㎏の減量に成功できたのと、中性脂肪が1250だった高脂血症を薬の内服もせず、栄養バランスも考えずに成功したからです。

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        90年代の頃の私。体重は人生MAXだった80kg!!

人は、意外に大した理由もなく始めたものでも、私のように次第に自分の仕事の大きな部分を占めるようになることがあり

ライフワークとして自分の一生を決めることになろうとは思いもしませんでした。

 しかし、健康外来を始めた頃は、今ほど医療関係者が健康に対して大した興味がなく、私の病院でも「なぜ病院で健康づくりをするのか」という意見がほとんどでした。

病院は病人が来る所であり病気を治療する場所であるという固定観念が根強く、さらに病院には人間ドックもあり、リハビリテ-ションもあります。その頃の病院は病気の発見と治療、患者の社会復帰が目的だったのでした。なぜ病院で健康づくりをするのかという疑問も当然だったと思います。このように病院職員の多くが健康について何もわからず、健康づくりに消極的であり興味がなかった時代でした。


健康外来を始めるにあたり、私は院長に健康外来開設を報告に行ったのですが、 実はその時、院長に「健康のテ-マは君のライフワ-クになるよ」と言われたのです。

しかし私は「とんでもない」というのが本音でした。

その頃の私は、たとえば肥満治療にしても、今も健康指導者達が信じて疑わないように、腹八分の食事と運動を指導すれば、肥満が簡単に解消するものと単純に考えおりました。 そして当時は健康づくりをしている場所といえば、健康増進センタ-や保健所、民間のフィットネスクラブだけでした。それもあくまでも病気の予防や生活習慣病の改善を目的としていました。

ましてや医療機関が健康づくりに加るなどと夢にも考えておりませんでした。

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               まだ80kg!!の時代

 


 健康外来も世の中に前例があるわけではなく、何をしたら良いのかもわかりませんでした。初めは産婦人科の外来の片隅で、身長、体重、血圧、胸囲、腹囲、臀囲、皮下脂肪、握力、持久力を測定するだけでした。

受診者も最初の1年間は12、3人程度で、産婦人科に来られた患者さんを半ば強引に健康外来を受診させるような状態でした。健康外来といっても一般の患者さんにも馴染みのない耳慣れない外来で、一体何をするのか職員すら分からないし、ましては一般の方々には理解できなかったようです。


そんな中で私の健康外来を認めてくれた医師が2人いました


一人は私が勤めていた病院長でした。                    院長は私の健康外来が多くの職員からも理解されない中でも、自由に外来をさせてくれました。しかし、院長が私にくれた本の中の一行が、私が今まで持っていた予防医学的な健康づくりの概念を打ち壊してしまったのです。その一行で私は「健康とは何か」について悩み始めてしまったのです。その一行に書かれていた言葉は「健やかに生きること、健やかに死ぬことが健康」というものでした。


二人目は当時、聖路加病院院長をしていた日野原重明先生でした。       先生は超多忙の中、私を病院に呼んでくださり「君は良い外来を始めましたね」という第一声を私に言ってくださいました。


そして世の中は大変な時代になりました。

バブル経済が起き多くの人が踊り狂い、健康産業もその時代は大いに躍進しました。会員制医療クラブや高価なフィットネスクラブが乱立し、医療機関でも運動施設を作り始め、健康づくりのうたい文句に公共の健康増進施設も多くできました。

そんなブ-ムの時代でも私の健康外来は、病院の片隅で貧弱な施設で続けておりました。そんな状態でも幸いなことに健康外来も少しは注目を集め、マスコミなどに取り上げられ、一時的には受診者も増加し、病院職員も漸く注目してくれるようになりました。しかしそれも束の間で、合い変わらず何の施設もない状態で健康外来は続いておりました。

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この頃、運動を始め−12kgに


ところが、バブル経済が崩壊すると、会員制医療クラブは会員離れが増加し豪華なフィットネスクラブは存続ができなくなり、公共の健康増進施設も利用者の激減となりました。

 その一方で一般の人たちの健康についての関心が、より高くなったような気がします。単に運動や食事に注意しても、また生活習慣を変えただけではなかなか健康にならないことが、医療関係者や健康の専門家より早く、一般の方々の方が感じられるようになったのです。健康づくりにはなにか他に必要なものがあるのではないか、疑問が生じているようでした。それにもかかわらず、医療機関をはじめとして健康づくりを提供している機関は相変わらずダイエットの指導から始まり、塩分制限などの食事療法と運動の奨励ばかりでした。

さらに滑稽と思われるのは、成人病を生活習慣病としたことです。     


生活習慣などそう簡単に改善できません


このように、健康を専門に扱っている人ほど従来の健康づくりに固執し、    むしろ一般の方々の方が本当の健康づくりが必要だと敏感に感じているようです。そして私も悩み続けた結果、ようやく全く新しい「健幸概念」を創ることができました。
 

そんな中で健康外来は8年経ち、場所を病院から東京港区田町のクリニックに移り「健幸外来サロン」と名前を変えてスタートしました。




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