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数ある不自由と戦わずして自由は手にできないんだぜ

髙橋ヒロシさん作の不良マンガ「WORST」で、米崎が花木九里虎に言った言葉だ。

感銘を受けたと同時に、共感した言葉だ。

自由を手にしたいのなら、数ある不自由と戦って勝つことからはじまる。それまでは死に物狂いで頑張るしかないのだ。

この春から、大分県豊後大野市に移住した。人生を賭けた新たな挑戦だ。

LIGでは、ゲストハウスを運営している。経営は任された責任者がおこなう。その一人になった。

いままで、経営なんてしたこともなかった。ずっとサラリーだった。

今もサラリーなんだけども。

ひとりの社会人として

今まで話したことがない自分のコンプレックスの話をしよう。

大学を卒業して親のコネで入社した会社に就職した。

そのころは就職氷河期なんて言われていた時代に少し被っていたので、就職難だった。会社の同期に聞けば、40〜50社受けていたのは当たり前だったので驚いた。

俺が受けた会社といえば、10社もないくらい。特にやりたいこともなかった。そのころは右も左も「社会」という世界も知らない若造(いまもだけど)だった。

たかだか10社くらいで自分を信じられなくなるなんてバカなんじゃないか、といま振り返ればそう思うけれど、当時は不安しかなかった。

受ければ、落ちる。面接に行ったのは3〜4社くらい。大した数字ではない。

もちろん、全滅。不安をかき消すように親に紹介を頼んだ。

で、見事合格。同期はたったの7人。おそらく入社試験を受けた人数は、説明会を合わせると300人〜350人。その中の一人だった。もちろん入った同期はみな優秀。当たり前だ。コネで入った人間よりも、難関をくぐりぬけてきた奴が優秀じゃないわけがない。

コネで入ったつもりが、コンプレックスに変わっていた。

「結局、コネだ」「みんなよりできない男」

まるで十字架を背負っているような気分になった。

一方で、恵まれた部署に配属した。そこはまるで”学校”のような雰囲気の部署だった。社会人だけど、学校にいるみたいだった。部活動の先輩、後輩のような言葉遣いしか使わない。まったく敬語ができない。騒がしい教室のように大声で笑う。課長職の上長も注意することもあったが、叱られるというほどではなかった。

ある日、先輩と話をしていて、くだらない話が盛り上がって大笑い。

課長に大声で怒られた。

「ここは学校じゃねーんだよ、仕事しにきてるんだよ」

社会人になって、学生じゃないと思っていた気になっていたけど、中身は半人前にも満たないクソガキだった。

「すみません。気をつけます。」

そんな言葉しか出てこなかった。

今も当時怒られたことは鮮明に覚えている。

社会人とは学生ではない。ここにいる仲間は地元の友達や友人でもなく、同僚なのだ。そして、俺の面倒や俺の責任を追ってくれている人は俺の上司なのだ。

俺たちの生きる「社会」というものは、甘くない。

言葉遣いや態度一つで評価されることもある。

その一つ一つが、信頼できる相手なのか、判断される。

非常識であれば、そういう人間に見られる。

そういう人間に見られてもいいなんて言う奴は、論外どころかまだまだ青いと言われる。

ビジネスマナーも言葉遣いも、失敗を繰り返して覚えていくものだ。だれも最初からできる奴なんていない。なぜなら、学生と社会人では雲泥の差があるからだ。学生なら使う場面なんてそうそうない。使ったとしても、敬語を話しているフリをしても、聞いている社会人側は、「学生だから仕方ない」と見ている。それが、社会人になったらそうはいかない。上司や先輩、他の人たちと同等にみられる。自分自身の失敗は組織や会社、先輩にも迷惑をかけることになるのだ。それを自覚して行動していくのだ。

それができなければ、その先の独立や事業を興すなんてことは到底できないのだ。

そんなマナーができないやつが、パートナーはもちろん、お客様にすら相手にされることはまずない。

ビジネスマナーは「経験」をすることで、自然と覚えていくものだ。マナーというものは、自分では気がつけないものだ。指摘されて初めて気がつく。時には自分を見失いそうになりながらも、進むしか方法はない。そうしているといつの間にかビジネスマナーはある程度身に付いているはずだ。

新たな挑戦

話をもとに戻すと、今回移住した豊後大野ではゲストハウスを運営する。

いわゆる「経営」だ。

ゲストハウスでは、社員は俺だけ。地域おこし協力隊という肩書きがあるが、信頼したスタッフが1人。直接面接をしてとった弱冠20歳の男の2人。(これから増やす予定だが)

ここでは、すべて自分で行う。やったこともない経理関係から舵取り、右も左もわからないことばかり。だから、すべて失敗から学ぶしかないのだ。

会社からはありがたいことに社員でいながら「経営」を学ばせてもらっている。

すべてが初めてなので、この歳にして恥ずかしいぐらい何もできない。

まるで今までの10年が無駄だったのかと思うほどに。

ただ、このビジネスを成功させたら自分はもっと成長できるはずだ。

しかし、それは簡単なことではない。多くの犠牲を払いながらも、戦うのだ。

小規模ながらも、単体でみれば会社を興したようなものだ。

会社にとっても挑戦だし、俺自身にとっても挑戦なのだ。

スタッフを育てること。事業をスケールさせること。小規模単位の”会社”を動かすこと。舵取りをすること。

一つ一つが挑戦でしかない。成功するかしないかなんて誰にもわからない。だからこそ思いっきりやって失敗して、学んでを繰り返すしかない。

必死になって死に物狂いで考えて、数字による頭痛に悩まされながらも続けるしかない。

男としてのプライドもある。負けを認めたくないし、まだ勝負すらしていない。

これが上司に見られようものなら「まだ何もやってねーじゃねーか」って笑われるだろう。

そのくらいまだ「何も始まっていない」し、「何もやっていない」のだ。

俺の挑戦は、これからだ。

最後に

結局書いたらまとまりのない文章になるのだが、結局何が言いたいかというと、自由にやりたいのならば、数ある不自由と戦って勝たないと「自由」というものを手にできないということ。

半人前のうちに逃げれば、どこに行って何をしようが絶対に通用はしない。

10年以上、「社会」というフィールドで戦ってきてそれだけは言える。1人前になって失敗を繰り返して、やりたくないことも不自由なことも楽しくないことも辛いことも自分自身葛藤しながらそのすべてと戦って乗り越えた先にしか自由という世界は広がっていない。そうでない「自由」は自由を履き違えていて、「自由」ではないのだ。

「自由」とは、1人前の、人として、「社会」というフィールドにいる人間として認められた人が手にできるものなのだ。

逃げるな。

迷い続けろ。

戦え。


その先に、自由は待つ。

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