昭仁天皇最後のおことば。時代の変わり目に感じた率直な気持ちを記録。

こんにちは。令和元年5月6日。初めて「令和」と書きましたが、まだ実感がないですね。昭和60年生まれの私は平成になった時の事は小さすぎて何も覚えていないので、初めてきちんと経験した改元でした。全てが初めての事だったので、この時代の変わり目に自分が感じた事をきちんと記録しておきたいと思います。

神話の時代から続く不思議な物語

今回の改元に伴い様々な儀式が執り行われ、その様子がTVで報道されているのを見ていた時に感じたこと。AIが人間の能力を部分的には越え、自動運転車が実用化までもう一歩と迫るこの21世紀、当たり前のように「天皇陛下が神武天皇や歴代天皇に退位のご報告を…」「三種の神器を…」なんて報道をしているのを見ると、あらためて、神話から物語が続いている事になっているんだなぁと不思議な感じがしました。

天皇家の歴史について全然詳しくないのですが、神武天皇って天照大神の子孫で初代天皇ですよね?つまり、昭仁天皇が天照大神(神話の中の太陽神)の子孫であり、だからこそ神話の中で出てくる三種の神器が出てきたり、神武天皇に退位のご報告をしたりする訳で、そういった神話の中の物語がさも当たり前のようにTVで語られている事が興味深かったです。

私は天皇制に賛成ですし、昭仁天皇の事をとても尊敬しているので別に天皇家って何なの?なんて事をあーだこーだ言いたい訳では全然ないのですが、神話から続く物語の儀式が連日テレビで報道され、その事について出演者も何も違和感が無い様な感じでコメントしている事が自体が面白かった。

よくわからないけど、尊敬しているこの気持ち

今日(こんにち)をもち、天皇としての務めを終えることになりました。

ただ今、国民を代表して、安倍内閣総理大臣の述べられた言葉に、深く謝意を表します。

即位から三十年、これまでの天皇としての務めを、国民への深い信頼と敬愛をもって行い得たことは、幸せなことでした。象徴としての私を受け入れ、支えてくれた国民に、心から感謝します。

明日(あす)から始まる新しい令和の時代が、平和で実り多くあることを、皇后と共に心から願い、ここに我が国と世界の人々の安寧と幸せを祈ります。

昭仁天皇の最後のおことば。

こんな機会なかなか無いのでTVの前で待機して見ました。普段「天皇万歳!!」とか「日本万歳!!」みたいな事を言うタイプでは全然無いのですが、この短くあっさりとした最後のおことばを聞きながら、不思議と泣き出しそうな自分がいました。なんなんでしょうかね、この感情。敬意ってこういう気持ちの事なんでしょうか。

ちょっと話は変わって、先日仕事で皇居近くの凄く高いオフィスビルに行った時の事。そのオフィスビルは超絶眺めが良くてすぐ近くの皇居を見下ろす様な形で眺める事ができるのですが、その時に「皇居を見下ろすなんて良いのかしら?」と不思議な遠慮、罪悪感みたいな感情を抱いたのを覚えています。日本人としていつの間にか擦れこまれている感情なのかもしれませんが、天皇という存在に対して「畏敬の念」としか言いようのない感情を持っている自分に気づいた事に驚いた瞬間でした。

その「畏敬の念」と同じような感情だと思います。昭仁天皇の最後のおことばを聞くときの「きちんと聞かなきゃ」という気持ちだったり、陛下が国民に対する感謝の念を述べられた時に感じるぐっとくるあの感覚。普段あまり意識する事のない日本人としてのアイデンティティを感じました。

天皇という運命

即位から三十年、これまでの天皇としての務めを、国民への深い信頼と敬愛をもって行い得たことは、幸せなことでした。象徴としての私を受け入れ、支えてくれた国民に、心から感謝します。

これ、泣けるところですよね。

当たり前の話ですが昭仁天皇のお父さんは昭和天皇。戦前から戦後まで62年間も在位していた方で、人間宣言をする前の「神様の子孫としての天皇」と「象徴天皇」2つの役割を担った方でもあります。

1933年生まれの昭仁天皇は中学生位の年齢で日本の敗戦を経験し、天皇の役割が「象徴天皇」と変わっていくのを知った事になります。

そんな大きな時代の変わり目から、何を考えて、どんな風に生きてきたんだろう?そんな事をさいごのお言葉を聞いた後で考えていました。

神である父が人間になり、大日本帝国が日本になり、象徴天皇という新しい役割が生まれたのを思春期に目撃してきた昭仁天皇。そもそも、天皇家の長男として生まれ、将来天皇になる事が約束された人生を歩む事にどんな気持ちを抱いていたんだろう?きっといろいろな葛藤がある筈ですよね。だって、私たち一般人が当たり前にできること何ひとつ出来ないんですよ。

銀ブラ事件(wikipediaから抜粋)↓

高校生時代のエピソードとして、「銀ブラ事件」が有名である。学習院高等科3年の試験が終わった日、学友の橋本明、千家崇彦と3人で周りの人間を出し抜き、銀座の町をぶらついた。高級喫茶店「花馬車」で橋本の交際関係であった女性と合流し、皆で所持金を出し合い、一杯99円のコーヒーを飲み、洋菓子屋「コロンバン」でアップルパイと紅茶を楽しんだが、ほどなく発見される。連れ出した学友は、警察と皇室関係者に厳しく叱責されたという。

これ凄いエピソードだなと。
ただ、高校生が学校帰りに銀座の街を散歩して喫茶店に入っただけの話が「銀ブラ事件」と呼ばれているんですよ。微笑ましい気持ちと共に「どんだけ自由無いんだよ…!」とちょっと辛い気持ちにもなります。

本当に色々な事を考えて、悩みながら自分の運命を受け入れてきたんだろうと想像します。だって「象徴天皇」って良く分からない存在じゃないですか?突き詰めて考えたら「それって本当に必要なの?」ってなってもおかしくない存在だし、当然そんな事も考えたんだろうと思います。それでも自分に与えられた運命を受け入れて、人生を懸けて全力でその役割を全うした方が話す最後のおことばが

即位から三十年、これまでの天皇としての務めを、国民への深い信頼と敬愛をもって行い得たことは、幸せなことでした。象徴としての私を受け入れ、支えてくれた国民に、心から感謝します。

「象徴としての私を受け入れ」のところ、本当にずっとずっと「象徴天皇って何だろう?」「どういう存在でいなくてはいけないのか?」を考え続けて、それを実践してきたんだろうな。泣けます。

日本人皆のおじいちゃん、おばあちゃん

昭仁天皇と言えば、皇后陛下と一緒に被災地を訪問し、ひざをついて被災者に優しいお言葉をかけている様子がすぐに目に浮かびます。

なんでしょうかね、この優しそうなおじいちゃん、おばあちゃんは。

失礼な表現になってしまうかもしれないのですが、私は勝手に昭仁天皇、美智子皇后を「日本人皆のおじいちゃん、おばあちゃん」だと思ってきました。私自身の祖父母がとても優しい人たちで、でも既に亡くなってしまっているのもあり、両陛下をTVで見ると「あぁ、皆のおじいちゃん、おばあちゃん、今日も可愛いな。素敵だな。」と自分の祖父母の姿を重ねているようなところがありました。

象徴天皇って不思議な存在です。

具体的な役割が良く分からない、けど多くの国民から愛され、尊敬される存在。毎日沢山の人と会って話をし、様々な行事、儀式に参加する多忙な日々を過ごしながら、世界の安寧と人々の幸せを祈りつづける人。

どこかで自分達の幸せを祈っててくれる人がいる、それってとても素敵な事な様な気がします。

新しい時代に向けて思う事

さいごのお言葉を終えて檀上から降りる際、昭仁天皇が美智子皇后の手をそっと取ってエスコートする姿がとても印象的でした。

上手く表現できませんが、令和という新しい時代を、昭仁天皇、美智子皇后が人生を通して示してくれた「善く生きるとは?」をきちんと見つめて直して、それを実践していけるような、優しく、微笑ましく、そして気品のある時代にしていけると良いなと思います。


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