「内側ではいろいろ批判しても、外に対しては仲間を守る」というポリシー


note(ノート)で書く文章をどのようなテーストのものにしようかと昨日走りながら考えたが、一つは自分の「本音」のようなこと、もうひとつは、LINE BLOGでは批評的なことが多いので、もう少しproactiveなものにして行こうかというような方向性は見えてきた。

案外自分の「本音」の部分は書いていないので、そういうことを書けば、(広い意味で)ファウンダーの加藤貞顕さんの言う「ファンクラブ的に使う」ということにもつながっていくのかなと思う。

今日は私にとっての「日本を愛する」ということについて考えてみたい。

私は教育や政治、メディア、社会システムなど、日本の現状を批判的に見ることも多い。

すると、最近の「日本凄い」潮流に乗った方々なのか、「日本が嫌いなのか」などと言われることも多い。

私は、日本を愛するということと、日本の現状に対する批判的思考は両立するし、むしろひとつながりだと思っている。

絵にしろ彫刻にしろ、自分たちがつくっているものに対する批判的精神はよい作品をつくる上でどうしても必要だ。

すぐれた作家は、同時にすぐれた批評家でもある。

日本をよくしようと思ったら、その現状に対して批判的な思考をするのは当然であって、むしろ現状をそのまま受け入れてしまうこと自体が日本を愛していない、無関心である、思考停止であるように私には思われる。

もうひとつ大切にしているのは、Yes, Ministerというコメディの中で、主人公のJim Hackerがあるエピソードで言った「内側ではいろいろ批判しても、外に対しては仲間を守る」というプリンシプル。

私は、2017年に、イギリスの出版社からThe little book of ikigaiという本を出した。
英語で最初から最後まで書いた、最初の一般書だった(当然のことながら英語の論文やブックチャプターは今まで書いているけれども)。

幸いにして、30カ国での出版が決まっている。

これから、日本のことだけでなく、人工知能や、意識、さらには小説まで、さまざまなことを英語で書いていきたいという希望と将来指針を持っている(どれくらいうまくいくかはわからないけれども)。

この件について、日本語のIkigaiという概念について、今まで、イギリスやアメリカ、ドイツ、フランス、オランダ、オーストラリアなど、いろいろな国の媒体から、20件くらいの取材をメールやスカイプで受けた。

BBCのラジオには2番組ゲスト出演した。

そのような時、私は「日本代表」となって、日本人にとってのikigaiという概念がどういうことなのか、それに連なる日本の文化や伝統はどういうことなのかを説明する。

もちろん、日本の良いところ、魅力的なところを強調しながら。

一方、外国に対して、日本の社会の問題点や課題をラウドスピーカーのように宣伝するということは通常はしない。

少ない例外として、たとえば数年前に世界大学ランキングを発表しているTimes Higher Educationに、日本の大学はもっと言語政策をきちんとやった方がいいというエッセイを寄稿したことがあるけれども、これだって未来に向けての前向きな提言だったと思っている。

学会やTEDでの会話やパーテイーでの雑談などを含め、私は全体として「内側ではいろいろ批判しても、外に対しては仲間を守る」というポリシーを貫いているつもりだけれども、日本語の私の発言だけを見て(英語での発言はアクセスしにくいし、そもそも私の英語圏でのプレゼンスが日本語圏に比べればまだまだ未熟なので、それはある程度仕方がないことだけれども)、「お前は日本を愛していない」と言ってくる人に対しては、「それはちょと違うんじゃないですか」と異議を唱えたい。

これまで、このような「本音」は、私はシャイだからあまり敢えて言う気になってこなかったけれども、このnote(ノート)という媒体だったら、なんとなく書けるような気がしている。

場の持つ力というものだろう。

それなりに忙しいのでそんなに頻繁には書けないかもしれないけれども、時々書いていくことにします。

note(ノート)に誘ってくださったみなさん、改めてありがとうございます。

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