ケニーの統合失調症体験記(休息期・その2)

その年の3月から7月まで、4か月入院していた。その間、大学は休学していた。すぐに大学に戻るのは無理だった。丁度大学は夏休みだったが、案外元気で友達と映画を観に行ったりした。問題は秋くらいになってからだ。引きこもりがちになり、外に出るのは徒歩15分の古本屋に行く時だけ、という生活が何か月かあった。幻聴といった陽性症状は完全に収まっていたが、反対に抑うつがメインの陰性症状が表れていた。なんとか毎日風呂には入っていたが、それ以外はラジオを聴くくらいの元気しかなかった。

翌年の春だ。高校は付属校だったため、高校の時の友達が大学の音楽サークルのイベントに招待してくれた。その年からその音楽サークルに入ることになった。面白い人が多かったし、何よりみんな音楽に恐ろしく詳しかった。講義が始まっても、服用薬の副作用の影響で行けても週3回しか大学のキャンパスに行けなかったし、行っても講義の内容は全く頭に入って来ず、机にうつ伏せになってるか、途中で抜けてサークルの部室でボンヤリしてるだけの毎日になった。当然単位はほとんど取れず、その年は二年生だったが留年となった。

その一方で、サークル活動には積極的に参加した。楽しいことなら出来るらしい。ライヴやクラブイベント、合宿にも毎回参加した。金はなかったが、親から無理やり貰った。結局大学4年目で2年生までしか上がれず自主退学することになる(うちの大学では日吉キャンパスしか行かずに退学することを「日没」するという)。3年生に上がれても就職活動なんか出来る訳もないと思っていたし、何よりこれ以上留年して学費を無駄にするのは嫌だと思った。退学して何をするかは決まってなかったが、フリーターになるか音楽の専門学校に行きたいと思っていた。

退学してしばらく、親戚の会社にお世話になった。一応事務職という業務内容だったが、やることがないので適当に時間を潰した。その後にやったのが漫画喫茶のアルバイトだ。これも半年くらいやった。基本ワンオペだったので仕事は大変だったが、受付以外は座って漫画や雑誌を読めるのが良かった。ここで浦沢直樹「二十世紀少年」や週刊SPA!などを読んでいた。

退学して二年目、親が僕の通ってる病院の家族会で某区の福祉団体のことを知り、そこに見学に行くことになった。とても自分に合った場所だと思い、通うことになった。ちょうどアルバイトで疲れ果てている時だった。今考えれば、薬を飲みながらよくアルバイトなんかやっていたものだと思う。若いから出来たんだろう。

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