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羊たちの叛逆 第3章 それぞれの事情 後半 片岡と美緒の場合


【片桐俊の場合 39歳】

片桐俊は、大学卒業後、近畿商事に入社した。
配属後当初三年は輸送機産業部門の部門経理にいた。営業部門の数字の取りまとめのための部署だ。

一通り業務を覚えた4年目から営業部に配属となった。

一部出資をしている自動車メーカーに対して中南米、アフリカでの販売の支援と、欧州生産での部品の調達だ。確かに、グローバルな仕事であるが、通常のやりとりは現地の店がやっており、片桐がいなければならない理由は小さい。自動車メーカーの情報も大きく、このところ新しい提案というのも難しくなっている。なぜなら、直接メーカーに売り込みがあるからだ。近畿商事が取引に入れるのは資本関係と覚書の中で行われているものだった。

こうした業務を続け会社のために利益を残すことに意味を感じられず、29歳の時に、マーケットプレースの後発として参入した、マルプラ(Marpla.com)に社員として参画した。

仕事はなんでもやった。
次から次にやることが出てきて、面白かった。
給料は下がったが、ストックオプションももらえた。
経営陣がベンチャー業界の中でも経験豊富であったこともあり、数年後会社は上場し、片桐の手持ち分は一時期10億円ほどの価値となった。今は、その半分くらいの価値になったが、近畿商事に定年まで勤めて退職金をもらうより多いだろう。

会社の状況は落ち着いてきた。
社員数も一千名を超え、すでにベンチャーというより大企業だ。執行役員という肩書きにも慣れた。マルプラの経営者は5歳年上だ。自分の今の歳にはマルプラの上場準備をしていた。

経営陣で話す際には、上場時の興奮はすでになく、いかに会社を永続させるかがテーマとなっていた。
お金の成功ということだけではなく「なすべきことは何か?」
これが経営会議のテーマだがなかなか答えが出ない。これをテーマに、経営合宿も何度も行っているが、主軸となっている、CtoCのサービスを超える価値を生み出すのは難しい。経営資源の大半はそちらに注いでいる。

仕事にも慣れた、今、改めて片桐自身が自分の中で、そうした想いが芽生え始めていた。
「己の人生を懸けてなすべきことは何か?」
それが何か、片桐自身わからなかった。

そんな時、偶然、貴島さくらの動画を見た。

「これからの時代、「はたらくと暮らす」の分断を前提としたワーク&ライフバランスではなく、ワークとライフと統合し、全人格的に人生を生きる時代。それこそが次の時代のあり方だと思います。」

確かになぁ。自分が、金銭的対価の多寡にかかわらず挑戦したいこと。今ならできるかもしれない。俊は申し込みフォーマットを開いた。


【美緒の場合 37歳】

国際関係の学部を卒業したのち、就職活動した。どこの会社も女性の活用、社会貢献をうたっているがどれも嘘っぽく見えた。

そのため、発展途上国のために、食料、衣料品を寄付する国際NGOで働くことを決めた。組織のミッションはもちろん尊い。最初の数年は良かった。私は、世界を一歩ずつよくしている。そういう想いがあった。しかし、慣れてくると、日常は背景に霞んで行った。

また、この国際NGOは何年もこの活動を続けている。しかし、広報的側面を除外して考えると、短期的に良いことだが長期的に状況が改善しているわけではない。どこかアプローチが間違っているのではないだろうか?との疑問も湧いてきた。

そうしてモンモンとしていた時、今の夫と良い出会いがあり、結婚を機に一度退職することとした。発展途上国に向け建設機械を輸出している事業を営んでいる夫だ。彼から学ぶことも多く、しばらくは夫の会社の手伝いをしていた。そうした中で色々な出会いもあり、彼の後押しもあり、在留外国人への仕事の斡旋をする事業をスタートした。

細々とだが、アルバイト一人、社員一人を雇いながら事業を行なっている。
確かに、国際関係だし、在留外国人のためになる仕事をやっている。だけどうまく言えないが、何か本当にやるべきことをやっている気がしない。これじゃない感が募る。

そんな時、貴島さくらの動画を見た。
「エゴを超えた、人間の根源に根ざした想いは、必ず世界に響くと思うのです。もはや、他人のビジョンの下で働くことから人類は解放され、それぞれの人が、自分らしい人生を生きる時代が来ました。
このTCCにはそうした可能性を感じます。」

普段、可愛いけどあざとさが目に付く貴島さくらをあまり好きではなかったが、このセリフはなぜかスッと耳に入ってきた。
「その通りかも。そうした時代を望んでいたのかも」
申し込みフォーマットを探し、説明会への申し込みを完了した。

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2022年4月、プログラムの最初の3ヶ月は「WaLaの哲学」からスタートする。

拓海も、これまでも複数の研修プログラムは受けたことがあるが、いずれも、良き会社員になるためのものだ。

しかしこの「WaLaの哲学」は全く異なる。殺人的な情報量で、既存の価値観を一掃される。そのまっさらな状態で、「自分とは何者か」「この世界はどういう世界か」を定義する権利は本来私たちが生まれながらにしてもつ自然権であるにもかかわらず、それを奪われており、その奪われているということにすら気づいていない。という強烈なイントロダクションから始まる。それは、普段会社に通っている感覚とは全く異なる意識状態をうみ、まるで宇宙旅行をしているような気すらした。

講座は全部で7回。隔週で行われおおよそ3ヶ月だ。通常、平日の夜に行われる。今回は、実証プロセスとして3回目で、25名のクラスが4つ同時にスタートした。

講座の最初の3回は、座学だ。学生時代は、学力には自信があったはずが、哲学、心理学、認知科学、生物化学、量子論、数学、あらゆる知識をマッシュアップした座学は、脳がパンクしそうでパソコンのように脳内が熱くなる感覚があった。殺人的な情報量に、脳が全くついていけなかった。

ただ、動画で復習するうちになんとなく、世界観を掴むことができた。何度も神崎が言うように、「細かい情報は後でいい。身体感覚で掴め」つまり、なんとなく理解しろと言うことだろうと考え聞いた。ただし、神崎の話し方がトークライブを聴いているようで面白くもあった。

4回目は、臨死体験だ。
肉体的痛みを伴うモノではないが、心理的に死を体験するというものだ。
リアルに自らの死を感じ、その死の後も意識が残ることを体感する。
多くの人は、死をリアルに体験したことがないため、鮮烈な体験になる。また死後も意識があるということを体感する。そうすると、いかに普段、本当の優先順位と異なることで生きているかを思い知る。

ラスト3回は、前半で学んだ座学を活かし、自らがよってたつ世界と、そこで生きる自分を考える。日々仕事をしている世界とは全く異なる世界観を描いている自分がいることに驚く。つまり臨場感のある世界は、意識が変容することで現れてくるのだ。まず、このことに驚いた。自分自身の中に、こんな立派な自分がいたのか。

こうして「内省の基本の型」を学ぶ最初の3ヶ月は終わる。

次の3ヶ月は当初3ヶ月で覚えた型を活用し、より深く自己を掘り下げる期間だ。最初の3ヶ月は全員でのクラスだったが、次の3ヶ月はエグゼクティブ・コーチングによる伴走を伴い掘り下げていく。

通常は経営者らが受けるようなコーチングを、事業を始めてもいない我々が受けるのはとても贅沢だ。

そこには、真に人生をコミットできるアイデアを生み出すには、事業をスタートする前にこそ意識を耕すことが大事だという考えがあった。それは起業予定者本人及び出資者、ひいては社会の全てにとって一番大事な、意識という土を耕す時期という考え方だ。こうして丁寧に土を耕すうちに、可能性世界が変化するのだ。起業家、出資者、世界の全てにとって。

この期間、高い視座を保つために全員での集まりもある。この集まりはBAC(Born Again Club)と言われている。界隈では、「知のファイト・クラブ」と言われているようだ。ここでは、普遍性があり、新しい時代を考えるに必要なテーマが討論される。例えば、ポスト資本主義、従業員と社員の関係、新しい時代の教育 などだ。ここ、BACでは、現在常識とされていることと異なることであっても、それを実現するような「ナラティブの力」を学ぶ。もちろん、社会に不要なことが実現されるわけではない。社会に有用で必要なことで、まだ未熟な現代社会で実現されていないことを、物語の力で出現させるということだ。そのためには、そうしたBPF(Background Potential Force)という万物の背景にある力が自らのうちにあることを気づき、それを活用し、社会を洞察するためのコンテキストを学び、それを、人と話しても、人の話を聴いても実現する力だ。

集まるのは月に2〜3回だが、それ以外の時間も毎日内省が求められるため、1ヶ月があっという間に過ぎていく。

この半年で、受講生は、これまでの人生で、いかに自分と向き合ってこなかったかを容赦無く突きつけられる。最初の3ヶ月で自分が出した答えにすら、日に日にしっくりこなくなってくる。最初は高揚感から立派な事を言ってみるものの、高尚になりきれない自分も現れてくるのだ。何か教科書のようなものを探しても答えは書いてない。答えは自分の中にしかないのに、その答えが見つからないという苦悩と3ヶ月間向き合うことになる。

内省に慣れていないと、顕在意識で批判的に思考することが内省のように思う。それに伴い自己を世界から切り離す感覚がいっそう強まり、自己を見失う者も多い。そのため、変えたいと思う世界と自分が一体であることを体感覚で理解するため瞑想が薦められる。

エゴに囚われていては、深い動機を見出すことができない。エゴによる精神の濁りが消えた時、深い自己が自ずと立ち上がってくるのを感じろと、神崎はいう。

こうした雲を掴むような話が最初は本当か疑問だったが、拓海は、神崎に教わった瞑想を続けるうちに、なんとなく心の奥からエネルギーが立ち上がってくる力を感じられるような気がしてきた。半年が過ぎた頃、参加者のそれぞれが内発的動機と言えるような力を見出すことができるようになっていた。



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