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ポストGDPはどう設計すべきか

GDPで何もかも計測していいわけではない。経済というものが、極めて重要であるに関わらず、常にこの指標を中心に語っていいのだろうか?ノーベル経済学賞のスティグリッツ氏も述べている。GDPは、環境問題、不平等の是正、民主主義の崩壊に、なんのヒントもくれないと。

考えてみると当然のことだ。

まして、この指標がとんどん伸びる時代ならまだしも、人口減少速度より高い成長率は望むべくもなく、GDPは下がっていくことが目に見えており、また、経済成長=幸福の増大でもないなら、人口減少の速度の早い先進国は「戦略的に」より高い次元の指標を打ち出し、世界標準に向けロビー活動まで含めた外交努力をするのが、安全保障上も重要だろう。答えは見えなくとも、我が国はGDPを重要指標としないという宣言だけでもインパクトはあろう。日本のことを言ってます。

さらに、こうした動きがヨーロッパの富裕層の若者から起きている。

「飛び恥」という言葉は日本人には新しいだろう。「飛行機に乗らない、肉は食べないと言い出した消費者で、実際にその信念を貫く人は少ないだろう。それでも、そうした人々が革命を起こすことは可能だ。従って企業にとって彼らを無視することは危険だ。」

こうした流れを考えることもなく、国家がGDP至上主義で、企業がそのサブシステムとして動いているなら、人々は、機械論的世界の部分となることはあっても、今後人間が幸福に近づくことは永遠にないでしょう。

もちろん、我が国の政策運営がGDPを中心に運営されているわけではないですが、一旦、否定しない限り、中心に存在し続けるだろう。そもそも国家の運営に定量的な目標はあるのだろうか?さて、自分が運営する立場だとすると、何を基準に考えるべきだろうか?抽象度が高い問題ゆえに、難しさは理解するが、例えば以下のような指標はどうだろうか。

1)健康資本(心と身体の健康)
2)人間関係資本(重要な人間関係(家族、友人関係)が円滑)
3)社会関係資本(経済的(物質的豊かさ)、社会的存在(自尊による精神的豊かさ)のための環境)
4)知的資本(知的向上のための資本)
5)運資本(上記のバランスにより、不確実性 においてもGood Luckが一定以上の確率で起こるよう環境設計されているかの確認指標。Bad Luckにより破壊されないかの検証)

他にもあっても良いだろうが、個人レベルで、または、集団としても、これら資本のROEを高めるような暮らしが、充実につながるのではなかろうか。
となると、例えばGDPは、上記3)の部分ということになる。

理想状態は異なったとしても、どういった座標を持つかくらいのガイドラインは必要に思われる。仮に、それぞれの資本における理想状態は異なっても、それらにおいて、理想を目指すことが自身の幸福に近づくというくらいの社会的コンセンサスはあってもいいように思う。

例えば私の場合、個人として上記5つをもう少し細目にし、8つに分けて重要な項目と決めている。

1)心
2)身体
3)家族関係
4)友人・仕事関係
5)経済状態
6)社会的実存状態
7)知的状態
8)運に向けた状態

この8つをさらに8つに分けて、64の指標で理想状態をイメージしており、それらと比較して日々どうであるかを検証している。こうしたことは、人生における地図とコンパスとなる。

WaLaの哲学においても、徹底して伝えることですが、こうした自分自身の基準と向き合わないことには、人生において、どこに向かっていけばいいのかわからないまま日々を過ごし「生まれて、死ぬ」人生となってしまう。ただ「生まれ死ぬ」人生か、自分自身がハンドルを握り「行きたいところへいく」つまり「生まれ直す」人生を生きるかは、まさに私たち次第。

一方で、国家および企業、あらゆる人間の集団は、個々の人間の幸福度がより一層増すように運営されるべきだろう。であるなら、個の幸福指標と国家運営指標、もちろん、企業運営指標も、基本的には同じであるべきだ。

ポストGDPは、個の幸福を測る指標として適用可能なものでであるべきであろう。この概念を政策レベルで議論するには、もう少し深めていく必要がある。しかし、個人の人生を豊かにするために取り組むことは容易だ。
あなたが決めれば良い。

WaLaの哲学では、こうした、ことを曼荼羅を通じて教えています。

ほぼ全ての社会人が、今一度、立ち止まりこれらを省みるべき時期にきている。それほど、ものすごいスピードで世界が変化しているからだ。

1)人口問題

2)環境問題

3)経済的不平等

4)ポストマテリアル社会

5)テクノロジーの発展

これらが重なることで、指数関数的に変化の速度が増し、否応無く私たちは生活の見直しを迫られている。しかし、私たちの思考フレームワーク自体がこうした環境変化に付いて行っていないのだ。その不整合が私たちを少々苦しめているようにも思う。だからこそ、新しい時代を生きる私たちにふさわしい哲学が必要なのだ。こうした、現象面での変化はますます早くなるなか、相対的な変化ではなく、絶対的な視点を持たなければ、対象が変化しているのか、自分が動いているのかさえわからない。こうした問題意識にたち、2019年は、WaLaの哲学を皮切りに、いくつかのプロジェクトをスタートすることができた。

□WaLaの哲学

2019年は、4月からWaLaの哲学をスタートし、0期、1期、2期とやらせていただきました。2020年は1月、年明け早々から3期が始まります。*オリエンテーションは終了しましたが、まだ若干名参加可能です!

□BAC(Born Again Club)

0期、1期の修了者向けに智のファイトクラブとしてアドヴァンスのクラスもスタートしました。こちらは、実践知の道場でもあり、21世紀に重要となる「意識の場の研究所」のようなものです。

□WaLaの哲学 in House Program 

JT(日本たばこ)様にWaLaの哲学を、企業プログラムとして導入させていただきました。人事、経営企画、事業開発の経営層向けに実施しています。ビジネス手法ではなく、こうした「人間個人の認識水準こそが、企業価値の源泉である」と気づかれた上での実施であり、相当進んだ問題意識をお持ちの企業と言わざるを得ませんが、一方で、2020年代の終わりまでには、これは当然の前提となるでしょう。

□Understanding of Meditation from Wala Philosophy

瞑想に特化して、ここを切り出したプログラムを、英語で外国人向けに実施させていただきました。哲学を研究するのではなく、哲学を生きる。それを外国人に向けて英語で行うのは、私にとっても挑戦ですが、おかげさまで成功しました。これから、英語でも行なっていきたいと思います。

2019年は、おかげさまでこのように良いスタートを切ることができました。2020年、こうした哲学を学び、深い自己と繋がるなかで、それぞれの人が自分の可能性を最大限発揮できる社会のために、できることを精一杯やって行きたいと思います。

Walaの哲学 座長

屬 健太郎


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