スクリーンショット_2019-06-04_17

動的平衡、生命、愛、そして新時代

私たちの皮膚や骨、内臓は、代謝によって細胞レベルでは日々入れ替わっている。生命は、原子レベルで見ても部分の全てが入れ替わりながら、全体の同一性を担保している。私たちは、常に解体しながら生成しているという福岡伸一さんの「動的平衡」のコンセプトであり、生命とは何かと言うことに対する一つの答えである。
この考え方は非常に洞察が深く、またその他多くのことに援用できる優れたコンセプトだ。

生きる     解体=生成

成長する   解体<生成 

死に近づく  解体>生成


放っておくと、エントロピーの法則に準じ、バラバラになってしまう多細胞生物を一つのまとまりとして、発展させる力こそが生命の力。それこそが私たちの存在を担保している。もう少し踏み込むと、解けていくの物理の世界において、繋がろうとするのが生命の力。それは「愛の力」と言えるかもしれない。

そして、これが奥ゆかしいのだが、その生命のエネルギーは、我々の目には見えない。このコンテンツを読んでいるかたは生きておられると思いますが、あなたを生かしている力があなたに見えないのだ。だから私たちはそれがわからない。しかし、そもそもエネルギーというのは目では見えないものだ。見えないからわからない。見えないものは存在しない。だから、命が何か分からないと言うのが、近代的機械論的ものの見方の帰結です。

一方で、見えないが存在するものをたくさん発見したのも科学です。特に20世紀になっての素粒子物理学や、物理の4つの力(重力、電磁気力、強い力、弱い力)など、いずれも見えない力そのものを活用することで発展してきた。

しかし、現在社会において、科学者・技術者を除く多くの人が、この見えない力を信じない古い世界観の中で生きている。これこそ近代の呪縛といえよう。その結果、人間という存在の意味を社会制度の部分に自ら貶め、組み込み、自らの生命の尊さを毀損している。この呪縛からどのように逃れ、私たちは幸せに向かって生きるべきか。これこそが、金融資本主義の限度とバランスを見つけなければならない私たちが問うべき質問だ。これが、経済発展の先に意味を見出せない理由であり、今一度、宗教・哲学→政治制度→経済的発展というサイクルを、近代の成功の上に築かなければならない。

このような問いに答えるには、洞察力を上げるしかない。
まず最初に、私たちは機械ではないということ。そして、機械に当てはまることは生命には当てはまらないことが多いということ。そして、「生命全体の部分でもある私たちとは何か?」という問いに、生命科学、分子生物学、素粒子物理学などを統合した理解・把握力を持つこと。また、それらを、頭脳だけではなく、身体知化すること。これらを、個人としてだけではなく、集団として、社会として、種として学ばないことには、深く、広く、普遍的な意味で「愛の力」を理解できずまた、社会に活用することはできないだろう。

それができない場合、私たちは、自分たちが作った「不安と恐れ」をエネルギーにして動く、資本主義システムという社会システムによって滅びることになるだろう。

もちろん、私は、そうならないと信じる者であり、そうならないための活動を進めていきたい。私たちも、自分を守るための古い殻を脱ぎ捨て、世界にDive in する時期なのだ。

令和時代に、私たちが挑戦すべき課題の輪郭がようやく見えてきたように思う。それは、修正資本主義であり、社会をHuman-Centricに向かわせる運動であり、

自由→資本主義

平等→民主主義

という西側諸国の基本となる二つの力が、その逆効果により互いに矛盾し始めた今、私たちは、近代が自由と平等という双子の価値観ではなく、三つ子の価値観であったことを思い出す必要がある。その価値観こそが、自由と平等の双方に、限度とバランスをもたらす。

そうそれこそが

博愛(Fraternity)→Be in Flow of LIFE

である。

20世紀栄華を誇った二つの概念を弁証し、新たな21世紀を歩むため、私たちは、この概念をより深く学び直し、再定義する時期に来た。これは、ワクワクすべきことなんだと思います。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?