NPO法人日光門前まちづくりnote部が運営する「門前日誌」です。日光門前にまつわる「暮らし」について、各々の視点で綴ります。
ken okai | 界隈創造舎
日光の門前町。大きな光に照らされて光が当たってきた部分もあれば、まだまだ知られざる暮らしや文化があります。それらについて調べ、考えたポストを集めます。
twitterでつぶやいたことを少し増幅して書いてみます。
様々な環境に身を置き、そこで考えてみたことを綴ったものを集めました。
下野新聞の「しもつけ随想」に寄稿したものと、各テーマに関係したものをマガジンにしてみます。連載は2021年7月〜12月まで、5回に渡って掲載予定です。 概ね、まち・まちづくりについて毎回テーマを変えながら書いています。
気がつけば、節目の年を迎えることになっていた。 二つある。 一つは、日光門前の東町地区で進む街路拡幅整備事業が着工から20年という節目を迎えること。 全体で6つの工区(※)があり、現在は4つ目。折り返しを過ぎたあたり、と言って良いだろう。 一つの工区に平均5年。 歩道は拡がり、電柱は無くなり、電線は地下へ。 特別な街路灯も設置された。 東武日光駅前からの眺めも大きく変わった。 (※今後の整備予定区間は当初予定されていた二つの工区が一つの工区として進行する可能性がある。)
昨年、日光金谷ホテルが創業150年を迎えた。 「現存する日本最古のクラシックホテル」という枕の通り、寛ぎと共に時間旅行を体験できる、まさに“日本を代表する”クラシックホテルだ。 今回、創業150年を記念して記念誌「金谷ホテル150年」が出版された。 #日経COMEMO #NIKKEI 150年、と聞いてどんなタイムスケールを想像するだろうか。 人それぞれだろうが、明治から大正、昭和、平成、という幾つもの激動の時代を経験して今なお生きた空間であることを考えると、貴重さが一
《この記事は2023年の年末に書き始めるも、結局アップできず、今に至ります。恥。》 先日、年末というのもあって気忙しく車を走らせていた。(だがしかし、安全運転!) 近所の広い公園で7、8人の子供たちが元気に遊んでいる様子を見つけ、ああもう学校は冬休みに入ったんだな、という年末感と、自分も子供の頃よくここで遊んだな、というノスタルジーの二つでなんだかグッときてしまった。 この公園、昔は市営のグラウンドだった。今は防災公園として再整備されているのだ。 目抜き通りに対し、町の裏
年明けから、大きな災害や事故のニュースに胸が痛むことになった。しかも、毎日のように。 なんだか年が明けたような気がしなくなってしまったまま、「松の内」もあっという間に過ぎて行った。 何度も書いているが、日光の門前町は「祭(いのり)のまち」というまちづくりのコンセプトを掲げている。 信仰や祭りを語ると長くなるので、ザックリと申し上げると、これは年間を通して「祭り」が多い地域特性と、社寺ひいては山々への参詣と共に発展してきた門前町には「祈り」が集まってくる、という主に2点を鑑み
まちあるきガイドツアー「日光ぶらり」では、冒頭で日光の概略としてガイダンス的にお話することがいくつかある。 そのうちの一つが“日光のターニングポイントとなった時代”について。 大きく3つあるのだけど、そのうちの3つ目は今から約150年前の明治期のこと。 長らく続いた江戸・徳川幕府から明治の近代化へと進む中、日光がどうなったのか、というところ。 江戸初期以降は「徳川幕府」の象徴たる存在だったことは、言うに及ばす。 それがどれだけ手厚く守られてきたかということも想像に易い。
【発展的解散】 【第三次ワーキング発足へ】 「日光東町ワーキンググループ」というまちづくり組織がありまして。 自治会長(町内会長)さんたちの組織「東町まちづくり推進委員会」にぶら下がった組織なのです。 ちなみに、東町(ひがしまち)というのは、概ねJR・東武の両日光駅から社寺前の神橋までの地域を指します。この中で各町内が分かれています。 これまで、第一次ワーキンググループ(2002〜2004)第二次ワーキンググループ(2012〜現在)と活動・議論を続けてきて、それぞれ規範の
下書きまで書いて、滞る。 その繰り返し。 これはいかんということで、久しぶりの #門前日誌 を。 ご存知、龍の街路灯。 新しく拡幅された大通りの区間に立ち並んでいる。 この街路灯、プラン中には紆余曲折あったと聞くが、最終的には住民の意見が反映された形になったそうだ。 当時の熱意と、それを受け止めてカタチにした行政のやる気と知恵も感じ取れる。 最初の工区(松原町)が終わって、除幕式を開催したのが2009年なので、早14年。 除幕式アーカイブ↙︎(他の写真はこちらから)
今回も記事掲載いただきました。感謝。 #門前日誌 引き続きどうぞ宜しくお願いいたします。 . https://www.shimotsuke.co.jp/articles/-/777892 . https://note.com/kouyatakahashi/m/m63497cb07a69
船禅頂に初めて参加した。 “日光開山の祖”として知られる勝道上人(しょうどうしょうにん)は、船で湖畔の霊場を巡って修行の祈願をしたと言われる。 これが現在まで続く。 8月4日、天気良好。(出発時は) 僧侶はボートで。参拝者はフェリーでそれを追う。 中禅寺湖の湖上の風に、響く読経。半島や島をめぐる。 (知らなかった霊場もあった) 男体山の頂からの美しい稜線。広大な湖水と繁る樹々の蒼。 このロケーションを感じること、また、自然から受けるものを感じ取ろうとすることについては、
twitterでぶつぶつ言っていることを少し掘り下げてみよう。という。 それだけの記事である。 ↑これはもう何年言い続けていることやら。 こんなことをぶつくさ言っていてもはじまらないのだけども、でも、「だから、今辛い」という状況はアルアルで。 しかし、これは裏返せば逆手に取れるということでもある。笑 ただ、それにもまた経験は必要になるわけで。 結果的には、コツコツ積み上げた信頼やら実績に勝るものは無いという平易なもの。 けど、それを評価して、話を聞いてくれる人こそ大切にすべ
アイコン変更。 どうだろ笑
休日。 奥日光へふらりと。 「ふらりと」と言う表現は、途中いろは坂が待ち構えている行程に相応しいかどうか。でも、車で2~30分で天空の湖畔に到着するのだから、表現としてはまあ良いのかな。 来るたびに、この自然環境の中に社寺と門前町があるということを再認識する。 ダイナミズムと信仰。 人はかつて、この自然の中に親しみや喜び、感動の他にも畏怖も見出したのだろう。 自然環境、風景から受ける印象やそれを起因とする心の動きによって住環境がかたちづくられる。 住は即ち生業。生業は町を
日光門前に関わる若手が綴る「門前日誌」。 めでたいことに、書き手が増えました! 新たな書き手はトウカイボウ氏で、社寺等の修復を本業として、プライベートでは修験にも関わる若者です。(なんと貴重な存在だこと!) そのトウカイボウ氏のデビュー記事がこちら↙︎ 何というナイスなタイトル!笑 お祭りを通して、彼の興味やパーソナリティが充分に垣間見えて面白い記事です。 各町の会所をまわる、というかまわらなければならない大きなお役目を果たしながら、それぞれ町内の会所(かいしょ)で拝
この春でコロナ禍のフェーズが大きく変わり、日光の門前町の観光が再始動した。 大通りをゆっくりと歩く外国からのゲスト、たくさんの修学旅行生のバスの連なり。 観光産業が主とはっきりと言い切れるこの街には、慌ただしくも安堵が漂っているように見える。 ただ、以前からの課題は何ら変わっていない。 ある時期ある時間帯には人で溢れて、そうでは無い時には全く別の街のように静まり返って。 相変わらず、それを繰り返している。 数年前に、下野新聞のコラムで観光と“伸び縮み”について書いた。
コロナ禍は続くも、社会は、世の中は、まわり出した。 一進一退がありつつも、昨年後半からは、特にそんな実感が大きい。 いや、もはやコロナ禍が続いているのかどうか。 移動や経済活動は確実にのびているだろうが、よく考えればコロナ禍以降の様式も残る。 慣れとは怖いものだ、などとふと考えている。 恒例の行事や習慣など、停止・停滞してしまったものも多かろう。 それらも徐々に戻って来ている。 暮らしの変容は時にジワジワと、時に急激に訪れる。 パンデミックは、否応にもその両方を実感させら
またもや久しぶりの門前日誌になる。 レビューの途中ではあるが、最近またもや強く感じていることを。 この6月に、コロナ禍以来の八坂祭(町内のもの)があったり、7月に入ってテレビで京都の祇園祭(前祭)の様子を観たり、あるいは、門前のまちなみを修景していくプロジェクトの準備が本格化したりと、日々過ごす中で、常に考えねばならぬこと。 それが、タイトルにした「伝統と革新」だ。 都市、まちは常に"誰か"によって編集されていく。 時代の大きなうねりやそれによる暮らしの変化だったり、技