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[夏休み読書]/『焦土に立ちて』岸田日出刀(1946年)

 建築家である著者が、タイトルから連想できる通り、戦禍の様子や終戦後の「復興」についてどう考えるかを綴ったもの。前半は戦火が迫る東京と、戦前の東京の「醜さ」や「汚らしさ」が延々と語られ、嘆かれる。

 これをどのように解消するかが元来の都市(東京)の課題であったことが力説される。

 意外であった。

 明治から昭和はじめ頃までの東京は、関東大震災があったとはいえ、江戸を引き継ぎつつも、モダンな建築も増え、良い街並みが形成されていたというイメージを(勝手に)強くしていたので。

 

 「家屋密集地区の街路建築では、建築の個人主義ともいふべき割據主義は、街区や都市の全体といふ上から、まずあっさりと清算されなければならぬ。自分だけよければといふやうな考えは、建築の場合にも通用させてはいけない。」

 本文からの引用だが、相当の問題意識といえよう。

 

 ヨーロッパの都市と比較して嘆き、アメリカのニューヨークの摩天楼のスカイクレイパーを見上げて、日本の科学技術が自国に「活かしきれていない」と肩を落とす。

 当時の建築家たちが考えていたであろうこと、また終戦後にあらためて思いを強くしたであろうことが語られる。

 

 後半では、東京の復興にあたり、建築家としての視点で都市計画が提案されている。

 不燃化、立体化(高層化)、空地の大量確保、高度な造形美の四つを帝都再興の指標として挙げている。

 その都市像とは、街区を広く取り、街区周縁はRC低層の店舗併用住宅、街区中心部には、高層の住居棟を計画し、その間の空間はコミュニティスペースとして考えるというもの。

 この連続が好ましいとのこと。広場は一定距離ごとに設け、通りにも街路樹を。

 …はやり、浮かぶのはヨーロッパの都市のイメージである。

 また、ここで、東京における河川の重要性と、水辺の美観を活かすべきという提案が挙げられているのが興味深い。(これも主に景観・眺望の視点から語られる。)

 さて、この書は終戦後1年の機に出版されている。(発行の日付は昭和21年8月15日)

 終戦後1年かけて書かれたものと言って良いと思うのだが、“都市の「更新」には好機である”というような意思が全編を通して感じ取れる。

 もう少し違った視点も持てなかったものかと私は思う。つまり、日本の都市の文脈をどのように継いでいくか、という視点が希薄、薄弱である、という点である。

 歴史から学ぶ生活様式や文化もあろうと思うが、そういうところに比重は無い。

 確かに、都市をつくりなおすチャンスではあるとは思うのだが、それは果たして「リセット」で良いのだろうかという疑問は生まれる。

 

 焦土から立ち上がり、高度経済成長期、バブルとその破綻を経て、今の東京がある。もちろん、1964のオリンピックも今の東京の姿に大きな影響を与えていることは言うまでもない。

 その骨格は、江戸期にあることも忘れてはいけない。

 

 時代が変われは、優先される事項も視点も変わる。

 日本橋の上を走る首都高の一部が撤去される事になったのは、それを象徴的するようなトピックスだと思う。

 

 焦土に立って戦災と向き合い、建築家が「当時の価値観と視点をもって」何を考え方のかの記録としては重要なものだ。

 また、ここに書かれることは、その後の都市、東京の姿を予見するような部分もある。

 

 都市のリスクはどんなに科学技術を駆使しても、経済発展をしてもつきまとう。特に日本の場合は自然災害のリスクは大きい。自然災害と戦争による焦土化は当然ながら言うまでもなくまったく別のものである。

 都市の「更新」の際には都市の文脈を。そのように心得たい。

 

 尤も、まずは焦土となるような人為的な原因をつくらないことが最重要事項だとは思うが。

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