日常日記を毎日あげるのは割に合わない 1

2023.8.14 月
・毎日日常の日記をあげるの、やっぱ面倒だしやめるべきかもな、というターンに入った。

・前書いた、「ネットに日記をあげる理由」
「他の誰かが、自分を可愛がるあまりに日記をネットにアップしていたら、それはいじらしく愛すべき行為であり、ぜひ続けてほしいと感じる」

・これに対する今の反論。
そもそも日記をアップする行為を「いじらしく愛すべき行為」とは思えなくなってきた。
日記を公開することが途轍もない手間だからだ。
「人に見せる文章を書くこと(※1)」「公開ボタンを押すこと」
が非常に面倒臭い。
「誰かに読んでもらう」というリターンに対し、明らかに合っていない。
※1 「自分用の日記をネットにあげてるだけ」と言い訳していた時期もあったが、自分用の日記は自分だけが分かれば良いのでメモ書きになる。
それを人が見れるようにするのは面倒だ。
リターンは、微かに可能性はある。
誰かが読んでくれる可能性は、無いではない。
しかし、誰かに世間話を聞いて欲しいのなら、知人(家族、友人、職場の人、趣味や地域の集まりの人、SNSの知り合いなど)に話しかけた方がよっぽどリターンが大きい。
 知人が一人もいないのなら新たに作れば良い。日常ブログの純粋な読者を探すよりよっぽど成功確率は高い。

・逆に言えば、知人に言えないような話(深い悩みなど)についてはブログに書く意味はあるかもしれない。
ただ、だとしても毎日日常を書く必要はない。

・「日常を聞いて欲しいのではなく、聞いて欲しい内容があるのだ」としたら、それこそ毎日は書かない方が良い。
 ノルマ化して質を下げるくらいなら、聞いて欲しい内容だけ、時間をかけて質を上げて書くべきだ。

(つづく)