小鷹研究室の錯覚論争、10年代後半における身体の耐えられない軽さ(第一報)

以下の文章は、「小鷹研究室の錯覚論争2016-20」(オープン・スペース2021 ニュー・フラットランド, 2021.10.30 - 12.19, NTTインターコミュニケーション・センター[ICC])において、壁面に展示されていた3つのパネルに記されていた文章を転載したものである。

本稿は、本格的にアバターの時代へと突入したと言われて久しい2030年以降の現代社会のカオス的狂乱を読み解くうえでの一つの信頼たり得る視座を確保するべく、2010年代後半における小鷹研究室最初期の活動に焦点を当て、その短い期間に、彼らが実際に何を目指し、何を生み出し、それらのうちの何が現代に継承されたのか(あるいは何かが消失したのか)、そのような検討を仔細にすすめようというものである。

周知のように、小鷹研究室とは、現代を特徴づけるソーシャルアバターコンプレックスを舞台とする社会設計のうち、実際には採用されることのなかった“プランKK”の下敷きとなる「小中・小鷹理論」を提唱した研究者集団である。N大学を拠点に「からだの錯覚」の研究活動を行なっていた彼らを一躍世に知らしめしたのは、彼ら自身の活動を永久停止へと追い込むことにもなった、例の「不完全性幽体錯覚定理」の発表に伴う一連のスキャンダルであり、その発表へと至る2020年代以降の活動については、豊富な文献・映像資料に基づき様々な論考が既に提出されている。他方で、2020年以前の彼らについては、活動範囲がN大学周辺に限られていたこともあり、その多くが謎のベールに包まれたままである。本稿の関心は、この時期の小鷹研究室に向けられている。

あまり知られていないことだが、彼らはこの時期に既にして、現代の狂乱を予言していたともいえる「からだは戦場だよ」と呼ばれる展示シリーズを、5年にも及ぶ確信犯的な規模感で開催している。後に詳しく見ていくように、この時期に発表された作品群の主成分に注目することは、近年、アバターネットワークが直面している例の「モンスター・エージェンシー」あるいは「ゼロ身体」と呼ばれるような身体の危機に対して、幾分なりとも示唆を与えるものになるであろう。これは、当時のさまざまな資料を仔細に検討したうえでの、現時点での筆者の見解である。とはいえ、いささか先を急ぎすぎたようである。まずは5年にわたる「からだは戦場だよ」の基本的な歩みについて、とりいそぎ概観してみることにしよう。

からだは戦場だよ。おそらくは、「攻殻機動隊ARISE」のサウンドトラック収録の『外は戦場だよ』を模したと思しきタイトルを冠した展示が初めて開催されたのは、2015年の1月のことである。展示の舞台となったカフェBの証言等をもとにすると、この時点で小鷹研究室を知る者は関係者以外ではほぼ皆無であったと考えてよいだろう。我々の知るところの小鷹研究室的な体験スタイルの展示が本格的に始動するのは、翌年の「からだは戦場だよ2016」(以下、単に「戦場2016」のように記す)からである。ここでは、彼らの代名詞とも言える、筋肉への負荷を介して、手脚が伸びる錯覚を生み出すVR体験の第一弾〈アンダーグラウンド・ダイバー〉が発表されただけでなく、やはり小鷹研究室にとってはおなじみの、鏡や影といった自然現象を取り入れた錯覚も発表されている。何より、「バードウォッチャー・ウォッチング」という副題が与えられていることからも明らかなように、幽体離脱的な主体と客体の相互ダイナミクスがこの時点で既に主題化されていることは注目に値するだろう。平たく言えば、2016年の段階で、我々の知る小鷹研究室のうち、半分程度の主題は既に出揃っていたことになる。

2017年の戦場では、前年のコンセプトを引き継ぎ制作された、小鷹研究室VRの初期の代表作と言える〈Recursive Function Space〉および〈Stretchar(m)〉が発表された。これらの作品が著名な国際展示会で発表の機会を得るなどして、この時期、彼らの活動は少しずつ周囲に認識されるようになる。その後の2回の展示では、過去作品の方向性をさらに深化させた諸体験に加え、全身から頭部のみが離脱するVR体験や、身体から自己感を喪失させるボディジェクト体験など、新たな展開も生まれている。展示前に公開されるこれらの体験の予告映像は、一部の界隈で小さくない話題を呼び、カフェBのギャラリーは、さまざまな背景を持つ無国籍風な訪問者で溢れかえっていたという。展示スペースを一部拡張した戦場2018Δでは、新作と旧作を折り混ぜつつ、3日間にわたって2つの関連イベントが開催されるなど過去最大の集客を記録することになる。ところが、展示の熱量がピークに達したところで、5年間に及ぶ「からだは戦場だよ」シリーズは突如、切断されてしまう。このような事情もあり、とりわけ終焉に向かって疾走する後半3年間の戦場については、当時の関係者にって、事件的な出来事として記憶されている。

戦場で発表された錯覚体験は、研究室の主宰者である小鷹研理の整理に従うと、4つの種類に大別される。具体的には、身体伸縮・幽体離脱(一人称視点と三人称視点の往復)・頭部主体・ボディジェクトである。頭部主体(身体の頭部球体化)およびボディジェクト(身体のモノ化・ゲシュタルト崩壊)は、現在では比較的よく見聞きする概念となっているが、2020年以前の検索システム(当時は未だgoogleが主流であった)を解析すると、これらの語は小鷹研究室に関連するものが少数出てくるのみである。とはいえ、上記の4つのカテゴリーは、総じて、1998年に国際学術誌に発表されたラバーハンド錯覚を源流とするものであり、当時の錯覚研究やVR研究のパラダイムの中から大きく外れるものではない、という点については確認しておいた方がよいだろう。彼らが、自身の研究テーマを「からだの錯覚」と標榜していたのは、このような学術的な背景に対して一定の敬意を抱いていたことの表れと考えられる。いずれにせよ、そのような表面上の分類にこだわることは、小鷹研究室の固有性を決定的に取り零すことになる。本稿では、異なる分類の錯覚体験を貫く、小鷹研究室における錯覚設計のコアとして、この時期の小鷹が幾度となく公言している「きもちわるさ」に対するある種のフェティッシュにこそ照準を合わせようと思う。

ここでの「きもちわるさ」とは、もちろん酔いや触感のヌメヌメといった次元とは異なる、自己の現実性に関わる存在論的な不安と関係するものである。小鷹は、特定の体験を展示会に出展するか否かを判断する明確な基準として、「きもちわるさ」の体感の有無を挙げている。当時の発言によれば、錯覚に伴う「きもちよさ」も「きもちわるさ」も、身体像の編集による主体感の増幅、および、それに伴う万能感の獲得に関わる点では事情は変わらない。重要なのは、この二つの主観的なレベルの違いが、身体像の編集的局面における可逆性と不可逆性のスペクトルの差異に対応するという点である。遊戯が遊戯として閉じずに、「とりかえしのつかないあそび」の様相を呈するとき、元の状態に戻れなくなるかもしれないと直感する時、はじめて「きもちわるさ」が立ち現れる。戦場とは、まさに、とりかえしのつかなさが過剰となる場であり、実際、戦果としての「やけのはら」とは、この種の不可逆性が象徴的に発露する位相であろう。そう、小鷹が「からだは戦場だよ」という実験的な場を仮組みして、その上で集中的に志向していたものは、錯覚体験における自己の不可逆性への開かれであったのだ。

このような志向性は、必然的に、現代において支配的な「主体性こそ正義」の類の態度に対する懐疑を生むことになる。なぜなら主体感とは、身体編集の局面において、自己の位相が常に上位に優越するという信念に支えられているためである。実際、小鷹研究室の作り出す錯覚体験のほとんどは、他者や環境とのインタラクションを通じて、主客の判然としない運動に“巻き込まれていく”ことによって、相関する身体像の変形が内発的過程に転ずることを重視している(小鷹によれば、これは運動の中動態的な側面を重視することでもある)。あるいは彼らが注目する幽体離脱とは、自己が身体の主人として振る舞う状況からの突然の切断であると同時に、三人称的自己における身体の透明性の否定でもある。なぜなら、夢見の状態とは異なり、幽体離脱中の意識は、現実の身体から発せられる引力を完全には引き剥がすことができないからである(小鷹はこれを「幽体の後ろめたさ」と表現している)。

当時の小鷹研究室にみられる、この種の「肥大化する主体感」に対する決死の抵抗は、現代に限らず、当時の工学のトレンドから大きく逸脱するものであり、実際のところ、小鷹研究室が後に学術世界のマジョリティーから追いやられ、孤立的な存在となっていったこととも大いに関係していると思われる。とりわけ、(やはり現代と同様)当時も身体拡張というキーワードが全盛を極めていたところで、彼らは、むしろその真向かいに陣を張る「身体の極小化」を目標に掲げていたのである。頭部主体において、体験者は、せいぜい首を上下左右に回すような形でしか世界に対して能動的に関わることができない。しかし、そのようなミニマルな形態に堕ちることによって初めて、生物間の形態学的な差異は無化され(一般身体への共感)、さらには身体とオブジェクトの中間的な位相であるところのボディジェクトに身を預けることが可能となる(モノへの共感)。すなわち、身体の極小化とは、身体の完全なる消失と引き換えに主体感のモンスター化を果たすのではなく、主体感を極限まで削ぎ落としながらも、それでも最後に残った球体の支持体に留まることによって、外界の異物に対する共感を極大化する営みなのである。当時の小鷹は、この点について「頭部球体とは、共感のためのミニマルビークルである」と述べている。

このような小鷹研究室のミニマル化への志向は、よく知られるミニマルセルフとナラティブセルフの対立への態度においても明確に観測される。(我々の知る凶暴化を果たす以前の)コロナウィルスの出現で世界が揺れる2020年、オンラインで開催されたソーシャルVRに関するシンポジウムにおいて小鷹は、VR技術によってナラティブな自己イメージを変調させることに対して、まるで興味関心を持つことができないことを極めて率直に告白している。小鷹にとって、ナラティブな自己イメージの変更とは、高々、日々どの服を着用するかほどの意味しか持たない。そのような着せ替えを介しても、自己の核心を揺さぶる程の手応えには全く届かない、というのが彼の主張である。これに先立つ、2019年初頭に開催された戦場2018Δとの共催で行われた「これからの創造のためのプラットフォーム」での3時間にも及ぶレクチャーにおいても、当時のソーシャルVRにおけるアバターを介したコミュニケーションの形態に対して、明確に懸念を示している(この記録は現在でもWEB上で読むことができる)。小鷹がこの種の態度をとる由来は、今となっては明らかである。こうしたコミュニケーション空間では、自己イメージのフレキシビリティーを最大化することによって、むしろその上位に存在する現実の自己のフレームは固く守られる傾向にある。多少残酷な物言いになることを恐れずに言えば、ソーシャルVRに依存せざるを得ない者たちの多くは、今にも壊れてしまいそうな自己の外殻を外界から隔離するために、過剰にイメージの水準における着せ替えに勤しんでいるのだ。この種の態度が、「自己の不可逆性への開かれ」に真っ向から対立していることは明らかであろう。

さて、ここで見てきたように、小鷹研究室は、その活動の最初期から、ナラティブセルフよりもミニマルセルフの変調に錯覚の意義を見出す傾向を示していた。実は彼らのこのような態度は、当時の工学のみならず、現代美術的な文脈からも、控えめに言って全く歓迎されざるものであった。というのも、素朴に考えてみるならば、ナラティブな水準に注目することこそが、出自や文化、思想の異なる個人と個人が、それぞれの偏見を退け、互いにわかり合うための、正統的な手続きであるように思われるからだ。他方で、これと対をなすように、ミニマルセルフの変調は、その場限りのジェットコースターの興奮にも似た、刹那的なエンターテインメントにすぎないという厳しい見方が存在する。実際、美術界が「錯覚」という語の使用に対して強烈なアレルギーを有しているのも、この言葉が、後者の刹那的作用を強く連想させることと無関係ではないだろう。このようにして、当時の小鷹研究室は、工学周辺からも美術周辺からも敬遠され、孤立の度合いをますます深めていくことになる。

このような困難な状態にあって、小鷹の当時の関心は、ミニマルセルフへの刺激を通じて、いかに自己の不可逆性を誘引するか、この理路をなるべくロジカルに、そして説得的に呈示することにあった。この問題に対する苦闘の痕跡が垣間見られるが、2021年10月より半年に渡って東京新宿で開催された東日本電信電話株式会社主催による解放空間展に参加した際の、彼らの展示内容である。この展示では、「からだは戦場だよ2017」以降の4つの展示に対応する多数のイメージおよび映像が、横10メートルにも及ぶ壁一面に年代順に配置され、本稿で話題としている小鷹研究室の最初期の活動が一望できるようになっている。ところで、この壮大なグラフィックが展開される壁面とL字に隣り合うもう一方の壁面には、展示のキャプションにしては極めて長い5000字を優に超える文章が掲示されている。この一風変わった文章は、2030年以降の近未来から、匿名のライターが、最初期の小鷹研究室の活動についてSF的なルポタージュを記すという特殊な体裁がとられている。内容に目を向けてみると、我田引水で独善的な論の運びがときに目に余ることもあるが、いずれにせよ、それを記述しているのが小鷹本人であることは火を見るより明らかである。さて、先に記したように、筆者は、この事実虚構の入り混じった創作には、小鷹自身の当時の苦闘が色濃く反映されていると考えている。付言すると、この苦悶を現代風に咀嚼し直すことこそが、現代のアバターネットワークにおける身体の危機に抗うための足掛かりを築くことになるはずだ。どういうことだろうか。(第二報につづく)

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