桶川さんぽ!はじめの一歩
引っ越しから約1ヵ月が経ちましたん💖
桶川市って?
埼玉県の中央 県央部に位置し
市域の多くは大宮台地の上にあります
最高点は北西部の海抜25 m
桶川市は 昭和30年に桶川町 加納村 川田谷村の
合併をきっかけに桶川町を経て
昭和45年11月3日
埼玉県内 31番目に市制施行をしました
桶川市は東西約8㎞ 南北約4㎞
東は元荒川を隔て久喜市 及び蓮田市に
西は荒川を隔て川島町に
南は上尾市 及び伊奈町に
北は鴻巣市 及び北本市に隣接しています
気象
夏は短く 湿度が高く 蒸し 暑く ほぼ曇り
冬は非常に寒く ほぼ晴れです
1年を通じて気温は
-0℃から31℃に変化し四季を繰り返します
-3℃未満又は35℃を超えることは
滅多にありません←って事はあるんだな?
主要道路・鉄道
市の中心を南北に
国道17号、旧中山道、JR高崎線が通り
東西に埼玉県道12号川越栗橋線が通り
首都圏中央連絡自動車道が通ります
圏央道 桶川北本IC 桶川加納IC
活断層
加納地区には 直下に中央構造線に関連する
綾瀬川断層が存在します
河川
市の西側 比企郡川島町との市町境付近に荒川
(市町境は河川改修前の旧荒川で 今でも
三日月湖など 当時の川の名残が見られます)
旧桶川町に芝川の水源がある
上尾町から分離 桶川町へ編入された 旧大石村
井戸木地区に鴨川の水源 がある
地名の由来
桶川の地名は観応3年 足利尊氏の
家臣への下文に「桶皮郷菅谷村」と
記された物が文献上 最古のものです
尚 この菅谷村は
現在の上尾市 菅谷を
指すと見られます
桶川の地名は古来からのものである為
はっきりとした由来は不明ですが
以下の2つの仮説が云われています
「沖側」に由来 -説
「オキ」は広々とした田畑の意味で
その方向である「沖側」が
訛ったと云うもの
「起き川」に由来 -説
芝川・鴨川等の水源が有ることから
川が起こる所 すなわち
「起き川」になったと云うものです
桶皮表記が見られるのは足利文献のみであり
桶川・桶皮
どちらも当て字によるものと推測されます
古くは江戸時代 五街道の 一つ中山道の
宿場町 桶川宿として発展し 江戸時代に周辺部で
栽培されていた紅花は「桶川臙脂」として
その名を知られ 最上地方に次いで
全国2番目の収穫高を誇っていました
現在でも中山道には蔵作りの建物など
宿場町の面影を残しています
農業用地を残す 一方で
近年は住宅地化も進行しています
~Wikipedia~より抜粋改~
市内の観光は 中山道宿場館で情報収集
川越だと仲町の観光案内所みたいな感じです
旧中山道は 元フジテレビの 女子アナが
「1日中山道」と勘違い読みで有名にwww
そんな中!
桶川宿には 大名や公家などの
宿泊施設である本陣・脇本陣のほかに
中山道を往来する一般庶民の宿である
旅籠が数多くありました その数は
江戸時代末期の天保年間(1840年頃)には
36軒を数え宿内全戸数の 1割を占めていました
この武村旅館は 嘉永5年の建築です
皇女和宮が中山道を下向した 文久元年の
【和宮下向桶川宿割書上】には
紙屋半次郎の名があり建物の造りなどから
旅籠を営んでいたと考えられています
明治時代になると 武村家が板橋宿より
ここに移り旅籠業を営みました
明治末期頃には現在の建物正面東側部分を
突き出させた寄棟造りに改築したと思われますが
建築当時の間取りは
現在も ほぼ引き継がれています
大戸・大黒柱・階段・
根太天井(2階の床板を
そのまま1階の天井とする構造)など
当時の姿がよく伝えられた貴重な建物です
🔆国登録有形文化財(建造物)
観察的撮影【観撮】です
桶川市マスコットキャラクター
オケちゃんの頭は爆発じゃなくてべに花!
その看板が目印の長屋門をくぐると
べに花ふるさと館の中庭と母屋
手打うどんは午前11時から~
噂では蕎麦もあるらしい・・謎
noteから嬉しいお知らせ
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✨感謝🎇感激✨勘定違い🧮
これからもよろしくお願いします😝テヘ
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