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ブータンの学び舎

写真:学校へ通う子どもたち。中央右側にある平屋の建物が校舎。

民族衣装を身にまとい、自然あふれる小道を歩きながら学校へと通う子どもたち。ブータンでは、文化と彼らのアイデンティティーを守るため民族衣装の着用が義務づけられている。男子はゴ、女子はキラという日本の着物のような格好で学校に通っている。

 今回はぼくがブータン滞在のなかで最も多くを過ごした「学校」について取り上げたいと思う。ブータン国民が育まれる学舎にはどんな秘密があるのだろうか。ブータンの近代教育は1954年始まった。その当時から国をあげて教育に力を入れており、現在は政府が運営をしている教育機関は大学まですべて無料で通うことができる。

写真:クラス1の児童が使っている算数のノートと筆記用具。


学校はクラスPP(プレプライマリークラス)という初等教育の学年から始まり、クラス1(小学校1年)からクラス12(高校3年)まである。その後、大学、教員養成学校、職業訓練校へと進むことができる。ちなみに入学時期はバラバラで、4歳からPPに通い始める子もいれば、8歳ぐらいから入学する子もいた。

写真:クラス3(小学校3年生)の授業の様子。

学校に勤務してまず驚いたことは子どもたちの英語力だった。小学生から流暢な英語で話しかけてくれる。「なんで日本人は英語出来ないの?」と、生意気な生徒からよく馬鹿にされたものだ。世界的に活躍する国際的な人材をという今は亡き3代目国王の意思が引き継がれ、昔から英語教育に力を入れられている。クラスPPから英語教育は開始され、国語であるゾンカ語の授業以外の教科(英語、数学、理解、社会、体育)はすべて英語で教えられている。日本でいえば、インターナショナルスクールのようなものだ。授業が英語で行われるため、勉強についていけない子どもたちもちらほら見かけた。学校では、年度末に進級試験があり、その試験で赤点を2つ以上取ると留年してしまう。何度も落第してしまう生徒がいて、妹や弟が上の学年になってしまったり、同じクラスに20歳の子もいれば12歳の子もいたりした。

写真:給食を待つ子どもたち。国が給食を支援するリモートスクールもある。

学校をやめていく子どもたちも毎年何人かはいた。ブータンは義務教育ではないため、続けるも、やめるも自分次第。先生たちはけっこう割り切った人たちでやめていく子どもを引き留めたりはしなかった。その子の意思を尊重する。やめていく理由はいろいろあるが、主に3つあった。1つは勉強についていくことができず落第し続けてしまう、2つ目は家業・主に農業を手伝う為、3つ目は僧侶になる為だった。

写真:傘をさす制服(民族衣装)の生徒。着物の裾をたくし上げ帯で巻いて着用する。

ブータンの学校の雰囲気はよく言うと寛容だし、悪く言うとドライだった。失敗してもいい、何回でもやり直せる、やめるのも自由だ。学校には無料で通えるけど、絶対通い続けないといけない場所ではない。年に一度の運動会で、誰でも参加できる持久走があった。スタート前は50人ほど参加者したのだけど、スタート直後、ばてて諦めるものが続出した。結局完走したのは景品がもらえる3人だけだった。他の参加者は負けるとわかったらすぐに走るのをやめる。諦める人を見ても誰も何も言わない。最後までがんばれ!諦めたらダメ!というという美徳はここにはなかった。ここでは諦めてもいいのだ。ブータンの学舎はなんともシビアで、それでいてなんとも包容力豊かな空間だった。

写真:下校する子どもたち。

ブータンの旅を開催します

お盆の里帰りのような、そんなツアーにしたいと思っています。
ポプジカ谷でホームスティ、里山でのお散歩あり。
子供たちや村人たちと触れ合うディープな旅です。
参加者募集中です。

第7回 写真家・関健作と行くブータンの旅
2019年8月18日(日)~8月24日(土)
タイ・バンコク発着 7日間
詳しくはこちらから:
https://gnhtravel.com/photographer/kensakuseki_bhutan2019/

この記事は昨年株式会社ぎょうせいから発行された雑誌「リーダーズライブラリ」の連載を修正、写真を加えたものです。
雑誌「リーダーズライブラリ」についてはこちら↓
https://shop.gyosei.jp/products/detail/9699
現在、同じく株式会社ぎょうせいから発行されている雑誌「学校教育・実践ライブラリ」で「Hands 手から始まる物語」という新連載を書いています。こちらもご注目ください。
https://shop.gyosei.jp/products/detail/9948

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