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バイオリンと私

wantとmust


 人間のこころには、「want (to)」と「must」の2つの側面があります。そのことについて、今回は自分の体験も交えて書こうと思っています。

 人は皆、こころのキャンパスは真っ白な状態でこの世に生を受けます。物心がつくまでは、感情のまま親に甘えようとし、目の前のものにワクワクして興味をもち、「イヤなものはイヤだ」と全力で表現します。自分がこうしたいという「want」によって動機づけられる自分だけしか存在しません。
 しかし、親からのしつけや、社会生活を営むために他者とのかかわりが増えるつれ、「弱音を吐いてはいけない」「もっと努力をしなくてはいけない」「立派な人間にならなくてはいけない」というもう一人の自分、即ち「must」によって動機づけられている自分が形成されていくのです。
 wantの自分は感性が優位で、喜怒哀楽などの感情のほとんどはwantが発する信号です。一方で、mustの自分は理性が優位で、論理的である傾向があります。そして、want とmust は、時にこころの中でぶつかり合うことがあります。その仕事は引き受けたくないな、とwantの自分が言っていても、「いやいや、お世話になったあの人のお願いを断ってはいけない」とmustの自分が言うわけです。
 幸せに生きていくには、wantとmustのバランスが大切です。mustの自分が適度にいないと、社会との調和を失って苦労してしまうでしょう。しかし、あくまでも主役はwantの自分であると私は思います。自分はこうしたいんだという思いを押し殺し、本意ではない周囲の期待や、背負った責任のために生きている毎日では、むなしいのです。
 wantを押し殺す癖がつくと、喜怒哀楽の感情すべてが凍り付いたように動かなくなり、「自分の人生を生きている」という実感も失われてしまいます。そして、wantの自分はこころの奥に閉じ込められたような状況になり、その声は自分でも聴きとるのが難しくなります。そして、「自分は何がしたいんだろう。何のために生きるんだろう。」という具合に、生きる意味を見失ってしまうのです。

芸術と感性


 本来、芸術とは想像力や創造性を発展させる性質があり、感性の世界にあるものと考えられています。ある音楽を美しいと感じることについて、理屈での説明を試みることはできますが、やはり限界はあります。
 私が感じる美しい演奏の必要条件は、その音楽家のwantが素直に表現されたものです。「こういう風に演奏すると聴衆は感動する」というように理屈で考え、意図された演奏は、どんなに技術的にすぐれていたとしても、どこかに妙な作為を感じ、私のこころには響きません。一方で、技術的に稚拙な演奏でも、なぜかこころが震えて感動するものもあります。それはきっとその人のwantの叫びが、何かを訴えかけてきているのだと思います。
 私は趣味でバイオリンを弾く機会があります。仕事ではどうしてもmustの自分をしっかり働かす必要がありますが、バイオリンを弾くときは、周囲にどのように聴こえるかなどは考えず、自分が弾きたいように弾くようにすることができます。現在の自分にとってバイオリンはwantの自分と純粋に対話ができる、大切な友達のような存在です。周囲の目を気にする必要がなかった、純粋な自分になることができるのです。
 こんな風に書くと、もしかしたら読者のかたは「いい趣味を持っていてよいな~」などと思うかもしれません。しかし、私がバイオリンと真の意味で友達になれたのはつい最近のことです。実はバイオリンとは長年の格闘の歴史があり、最近までは憎んでいたというか、愛憎こもごもの付き合いがあるのです。
 今回は、自分の気持ちの整理を兼ねて、その歴史を振り返ってみたいと思います。

バイオリンと下痢


 私がバイオリンを弾き始めたのは3歳のころだった。どうして私がバイオリンを習うようになったか、小さいころからバイオリンを練習すると、頭がよくなるという説が当時広まっていたらしく、それを信じた母は私にバイオリンを習わせることにしたそうだ。
 最初に弾いたのは、きらきら星変奏曲だった。はじめたばかりのころの上達は比較的早かったらしい。練習時間も1日あたり15分程度とそれほど長くなかった。
 ドヴォルジャークのユモレスクという曲を弾くと、大好きな祖母が喜び、会うたびに弾いてくれとせがまれた。私はこの曲の何がよいのか当時はわからなかったが、祖母が喜んでくれるならと演奏した。楽しかったわけでもないが、それほど苦痛にも感じなかった。
 しかし、小学校に入ったころだろうか。気が付いたら1日1時間練習することを課せられるようになった。一般的には、好きでもないことを努力して行うことができるようになるのは小学校高学年ぐらいだと言われている。5-6歳の私にとって、バイオリンを1時間練習し続けるのは非常に苦痛で、立って弾いているうちに足が重だるくなった。「足が痛いからもう終わりにしてほしい」と懇願したが、母は頑として私の希望をはねのけ、練習を続けざるを得なかった。
 バイオリンを練習することは、いつしか私にとって苦痛以外の何物でもなくなったが、両親の教えに比較的従順であった私は、「やり続けるといいことがある」という母の言葉に従い、バイオリンを練習し、教室に通い続けた。つまり、wantの自分ではなく、mustの自分の声に従い、バイオリンを続けたのだ。
 中学生になると、バイオリンをもって歩いているところを、「お前なんだそれ?バイオリンなんかならってるのか?」と友人にからかわれるようになった。当時男子の間では不良文化が全盛時代で、友人はテカテカの整髪料で頭を固め、改造した制服を着ていて、ヤンチャであることが正義だった。そんな中、制服を正しく着てバイオリンを持っている姿を見られることに、思春期を迎えた自分はとても恥ずかしい気持ちになったのだ。
 当時バイオリンのレッスンは毎週月曜日だった。都営地下鉄高輪台の駅から、先生の家に向かう途中に頌栄女子学院という女子校の前を通る。その向かいに公園があり、そこを通るころ、ほぼ毎回といってよいぐらい、激しい腹痛に襲われ、公園の公衆便所に駆け込んだ。
 今から考えると、小学生のころに練習しているときに足がだるくなるのも、腹痛に襲われるのも、自分のwantが悲鳴を上げているというサインだということがわかる。精神医学ではこの現象を身体化と名付けているが、mustの支配が強くてwantが苦しんでいる際に、身体の症状がこころの危機のサインを伝えようとするのだ。しかし、当時中学生の自分は、「面白いように月曜日になると下痢をするもんだな、不思議だな。」ぐらいにしか考えていなかった。そして、こころの危機のサインに気づかず、自分のwantを無視し続けた。
 ドイツの有名な教育学者のシュタイナー(Rudorf Steiner 1861-1925)は、人間が健やかに生きるには感性を高めるための芸術が必要だと述べている。しかし、小さいころの自分にとって、バイオリンは全く逆の意味をもっていたのだ。私にとってバイオリンは、自分の感性を押し込め、wantの声をかき消すために存在し続けた。しかし、自分が見てきた昭和の音楽教育の風景からするに、苦行のように練習をしていたのは私だけでなく、多くの子供たちがそうだったのではないかと想像する。

自分を認めてもらうために


 中学校では、前述のようにヤンチャであることが正義である中、自分のポジションは下層のほうに位置し、いじめられないようにビクビクしながら生活していた。実際いじめられる機会も数知れず、周囲の目を気にする自分にまったく自信が持てなかった。中学校では、周囲から「頭が良い」と言われたことが、唯一中学生の自分を支えていたアイデンティティだったのかもしれない。しかし、高校に進学したら、同じ成績の生徒が集まるので、勉強でも標準的な成績となった。予習や復習などもしなかったので、英語の時間に教師に怒られてみなの前で立たされたり、テストで赤点をとったりといった経験をする中で、落ちこぼれた気持ちになった。
 中学校での部活動に良い思い出がない自分は、高校では帰宅部になったが、多くの友人は部活動をしていたので、ひとり家に帰ってPCのゲームをするという生活に孤独感を感じた。人生経験が乏しい当時の自分にはとても取り残された感覚があり、このまま自分はどうなってしまうんだろうという不安でいっぱいになった。
 やはり途中からでも部活を始めようと私は考えた。高校にはオーケストラ部があり、バイオリンの経験者ならついていけるだろうという考えから、1年の後期から入部した。オーケストラのパート譜の練習をする傍ら、個人レッスンで課題曲であったメンデルスゾーンのバイオリンコンチェルトを練習していたのだが、それを聴いていたある教師が感心したらしい。彼が授業のときに、「いやーこの前びっくりしたことがあってな。きれいなバイオリンのメロディが聞こえてきて、誰がラジオを付けているんだろうと思ってみてみたら清水が弾いているじゃねえか」とみんなの前で言った。教室のみんなから、「おー、清水すげーなあ」と注目された。
 私はとても驚いた。高校生になって、自分には何の取柄もないという感覚に襲われていたのだが、認められた安心感が生まれた。中学の時に友人にからかわれた経験から、バイオリンに対してとても恥ずかしい気持ちを持っていたのだが、バイオリンが弾けると周りが認めてくれるんだと思った。
 私は生まれて初めて、バイオリンを習っていたことに感謝の気持ちがわいたが、ここからまたしばらく、バイオリンとの屈折した付き合いが始まる。バイオリンは、自分が周囲に承認されるための手段になった。
 このころの自分がバイオリンを弾くことの主な動機は、周囲に上手いと言ってもらうこと、認められることだったのだ。内心不安でいっぱいなのに、それを包み隠して尊大にふるまうことを神経症的自尊心と言うが、高校生のころの自分の演奏はまさにそんな感じであったと思う。自分が好きな音楽は「want が素直に表現されたもの」と言ったが、その対極にあるような演奏をしていたと思う。
 私は大学に進んでも、オーケストラの活動を続けた。2回生のときにコンサートマスターになった。その年、コンサートマスターは1学年上の先輩との2人体制であった。自分は春の演奏会のメインのコンサートマスターを担当し、その先輩は冬の演奏会のメインを担当した。
 コンサートマスターは、バイオリンパートやオーケストラをまとめるリーダーの役割がある。神経症的自尊心を持つ当時の自分は、周囲のことよりも自分のことで精いっぱいだった。なので、とてもリーダーとして機能できる存在ではなかった。
 もうひとりのコンサートマスターは、素直に音楽に打ち込み、オーケストラの他のメンバーにも十分配慮し、素晴らしいリーダーシップを発揮した。彼がコンサートマスターを務めた冬の演奏会は、ラフマニノフの交響曲第2番(通称 ラフ2)を取り上げたが、オーケストラがひとつになった。あくまでも自分たちにとってだが、ほんとうに名演であったと思う。当時の私は、彼の横で演奏して素晴らしい曲に私ものめりこみながら、同時に自分の至らなさが身に染みた。
 このとき、バイオリンを通じて、自分を認めてもらおうという試みは、完全に失敗に終わった。それまでもうすうす気づいていたことだが、神経症的な自分のもろさを思い知った。いくらあがいても自分に対して全く自信が持てなかった。そして、そういう自分がほとほと嫌になった。
 この体験はこころの傷になったのだと思う。なぜならその後かなりの期間にわたって、自らラフ2を聴こうという気持ちにはまったくならなかった。演奏会からおよそ10年経ったころだろうか。レストランでたまたまこの曲がBGMで流れていた時に、当時のことがよみがえり、とてもいたたまれない気持ちになった。思うに傷はそれなりに深かったのだろう。

がん患者であるクライアントとの対話の中で


 社会人になってからは、バイオリンには興味がなくなった。自分の本業は医師になり、職業の世界で自分を認めてもらうための新たな努力を始めたのだ。私は父から、「社会に出たら人の役に立つ人間にならねばならない(さもなければ自分が生きる意味がない)」ということを小さいころから教えられ、それが自分を縛る強いmustとなっていた。
 人の役に立つ人間になれば、やっと自分に自信が持てるのかもしれないと思ったのだ。なので、医師として一人前になること、医師として認められることが自分にとっては大切なことで、バイオリンなど弾いているどころではないという状況になった。
 そんな私は、めぐりあわせでがん医療に携わることになり、31歳のときに「がん患者・家族の苦しみを軽減する」という、社会的な使命を持つ組織に所属することになった。その使命の正しさにはまったく疑いの余地はなく、この組織の一員として邁進すれば、やっと父の期待に応え、自分を認めることができるのではないかと思ったのだ。そして、一時期は生活のほとんどを仕事に捧げ、土日や時間外も関係のないような生活を送った(周囲からすればまだまだ甘いと映っていたかもしれないがあくまで私の主観ではそうだった)。社会的な使命のために貢献できていることに対して、つかの間だったが、mustの自分が「まあまあ頑張っているじゃないか」とOKを出してくれるときもあった。
 しかし、そんな自分も40を超えてくると、心身共にエネルギーが落ちてくる。若いころは努力すれば成長し続けることができるという幻想を持っていたが、ユングが人生の正午と表現するように、自分の限界や衰えを実感した。頑張れない自分、組織の期待に応えられない自分に葛藤を感じ、また危機がやってきた。役に立てない自分には価値がないように感じ、これから先どのように生きていけばよいのだろうかと、戸惑った。
 しかし、まったく手がかりがないわけではなかった。ここから先の道筋があることを、自分が対話した、がんという病気を体験しているクライアントが指し示してくれていたのだ。それはすなわち、自分のwantの声を聴き、wantの自分を主軸に生きることだった。人生に限りがあることを実感すると、金銭、地位、名誉などの外的な要因の価値は相対的に少なくなり、愛情深い時間や、美しいものに触れる体験など、内的な豊かさに重きを置くようになる。そのような価値の転換ができれば、中年期の危機を越えることができる。
 もちろん、長年自分を縛ってきたmustから自由になる道筋は簡単なものではなかった。中年期の危機が始まってから脱するまでのプロセスは、『他人の期待に応えない(SB新書)』に書いたが、そのためにおおむね10年程度の歳月を要したのかもしれない。
 自己肯定とは、mustが提示した条件(私の場合は「人の役に立つ人間になる」)を満たすことではない。なぜなら、その条件を満たしていれば安心できるが、それができなくなると自分が許せなくなり、途端に自信喪失に陥ってしまう。そうではなく、真の自己肯定とはwantの自分を信じ、wantの声に従って生きることができることだと思う。
 誤解のないように付け加えておくと、wantに従って生きていても、わがままになるわけではないと思う。wantが欲するのは、地位や名誉ではなく、愛情や美しさなどの内的な豊かさだ。もちろん例外はあるが、人は本来的に愛他的なものであり、人を傷つけることを嫌悪し、苦しんでいる人がいれば力になりたいと思うのではないだろうか。

wantの自分でバイオリンを弾く

 mustの自分から離れて自由になれた私は、それがwantの声なのだろうか、なぜかバイオリンを弾きたいという気持ちが自然と湧いてきた。そして、2019年におおよそ20年ぶりにオーケストラに参加することとなった(結局コロナ禍で演奏会には参加できなかったが)。ピアノを弾く友人と合奏をしたりもするようになった。便利なもので、様々な有名曲のピアノやオーケストラの伴奏が収録されているアプリがあり、カラオケ演奏が楽しめる。このように、最近はいろんなバイオリンを弾く機会があるが、そこにはもう周囲の目を気にする自分はおらず、純粋に演奏を楽しむことができるようになった。
 バイオリンを自分が弾きたいように弾いているとき、長年閉じ込められていたwantの自分が、やっと出番がやってきたと、嬉々として喜んでいるような気がする。小さいころに子供らしくあることができなかった自分が、やっと子供らしくできているようにも感じる。
自分のwantはずっとこころの奥底に閉じ込められていたので、出てきたばかりでまだまだよちよち歩きだが、自分も感性の世界を開くことができたという感覚がある。過去自分のwantを閉じ込める存在だったバイオリンが、今めぐりめぐってwantの自分を解放しようとしているのは、不思議なことだ。

 昨年の5月に、友人に誘われてイギリスのオーケストラが演奏するラフ2を、ホールの最前列で聴いた。過去にこころの傷を負ったこの曲を聴いたら、自分はどんな気持ちになるのだろうと、不安と好奇心を持ちながら、演奏が始まるのを待った。
 イギリスのオーケストラの良い演奏は、力強さよりも、どこか優しさと空間の拡がりを感じるようなイメージがあるが、その時のラフ2もそうだった。演奏が始まると、私は冒頭から温かい気持ちに包まれていて、涙が流れてきた。コンサートマスターの横で、自分を認めてもらおうと必死にもがいていた大学時代の自分の姿を思い出したのだ。
 以前だったらその自分を「情けない」と責めていただろう。しかし今回はそうではなく、「いろんな事情があって、自分なりにもがいていたのだな」と振り返り、過去の自分をいたわることができた。優しい演奏を聴きながら、過去の傷は癒されていった。