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デンマークでゲームデザインのメンターやった後Unite Tokyoに来て思ったこと


先に言っておくがテーマとか結論とかは特に考えずに書いた。話は途中で脱線するし、思うがままに書いたのを再構成せずに載せている。前から書こうと思っていた話でもない。せっかく高いホテルに泊まっているので最後の夜に何か意味のあることをしたかった。ただ、「Unite最終日」を早く終わらせたくなかった。ただ、この2019年9月に私が体験したことを。

キャリアの転機かもしれない予感

私は2005年からゲームデザインの仕事をしていて、今は株式会社デグジーという私ともう1人のゲームデザイナーだけの会社をやっている。今年の7月に39歳となったが、この職業に就いた時からの目標である「オリジナル企画でゲームを開発、リリースしてヒットさせる」ということは未だに達成できていない。また、先月末でそれまでのクライアントとの契約を終了し、会社として新しい受託案件を探している所ではあるが、未だに見つかっていない。10月中に新しい仕事を始めなければ大変なことになってしまうのだが、こうして追い詰められた後に自分の価値を大きく上げるような仕事と巡り会うこともまた経験から知っている。2011年の大震災の後に一切の仕事を失った自分を大きく変えたのはUnityとC#であった。そう、今回はUnityの話をする。Unite Tokyo 2019の会場となったホテルグランドニッコー台場の一室にてこの記事を書いている。

運命のデンマーク

これまでにもう一つ転機があったとすれば、2017年に初めてデンマークに行ったことである。あらゆる限界を感じて自己資金でのオリジナルゲームの開発を中止した直後、心機一転を図りデンマークで行われるアニメ/VR/ゲーム系のアクセラレーターに全く新しい企画で応募したら日本から唯一のゲーム企画として参加することになった。(その時の体験談はここに記してある。)平和で文化豊かな学園都市にて尊敬すべ人たちに囲まれ、当時自分が最もやりたかったストーリーベースのゲーム企画のプレゼンに打ち込んだ体験は、自分の能力や創作への情熱を再確認すると同時に自分1人の能力の限界を知るきっけかともなり、帰国後に会社として新たなゲームデザイナーの採用活動を開始した。


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2017年に初めて参加した時の顔。この頃はまだ穏やか。

金にはならないけど

ゲームデザイナーとして総合的な表現力を見るインターンを経て、1人の業界未経験者を2018年9月から業務委託契約でクライアントとの仕事に投入することとなった。また同時に、デンマーク/ヴィボー市の環境や人々が忘れられない僕は、2018年度のアクセラレーターの運営にどうにかして参加できないかと働きかけ、その結果メンターとして現地で日本人を含むゲーム企画系の参加者を助けることとなった。(その時担当したプロジェクトについては4gamerの記事に詳しい。)そして業務委託だった新人は2019年4月に正社員となり、また同月、一番好きなバンドMANOWARのコンサートをコペンハーゲンに観に行くついでに当たり前のような顔して「今年の運営のための会議をする」とヴィボーを訪れた私は今年9月のアクセラレーターでもまた当たり前のようにメンターを務めることになった。昨年度は旅費と宿泊費を全て負担してくれる代わりにボランティアとしての参加、また、デンマーク人のメンターと一緒に6人を同時に見たため、自分の責任や影響はそこまで大きくなかったのだが、今年は決して多額ではないが報酬が出るプロフェッショナルとしての契約、そして1人のメンターが2人だけを担当する体制に変更となったために、1人1人のプロジェクトにより深くコミットすることができた。また、それと同時に日本に残した新人ゲームデザイナーのUnity学習をサポートしていた。ゲームデザイナーとしての総合的な表現力や芸術に対する理解を重視したため、採用時にはあえてUnityの使用経験やスキルは問わなかったのだが、10月以降の新しい仕事に備えて、そして既に2人でホテルも予約して参加を決めていたUnite Tokyoの予習のためにこのタイミングで集中的にUnityを学習してもらっていた。プログラマーではなくゲームデザイナーなので、C#のコードを書くことよりも、設計を日本語で説明できるようになることを重視した。結果としては1ヶ月足らずで、Unity公式のサンプルプリジェクトのC#のソースコードを読んでその意味を説明するということがなんとかできるようになった。デンマークでのメンタリングと、自社の新人のスキルアップ支援(あえて「教育」とは言わない。)この2つの体験は、自分ではなく他人の視点や価値観に合わせて一緒に問題解決を考えることで、自分の知見が新たに広がり深まる可能性を私に教えてくれた。何よりもお金を稼ぐことだけを考えなければいけない時に、直接お金に繋がるわけでもないことに自分の時間を割いている。けれども自分の人生が豊かになっている実感はあった。

さよなら優しい街

Unite Tokyoへの参加のため、申し訳ないがアクセラレーター参加者の最終的なピッチを見ることなく、例年より早くデンマークを去ることとなった 。「来年は来られないだろう。そしてその次にいつ来られるのかも分からない。」何度も言うが、新しいクライアントと新しい仕事の契約をしないと大変なことになるし、もしそれがうまくいった場合はほぼ確実に1年以上は休みなく東京で仕事を続けなければならないからだ。4回行っても飽きない町ヴィボー。行くたびに強まる現地の人々との絆。帰国の前日や前々日にはかなりナーバスになっていた。初めてこの国をこの町を訪れた時、自分の中の攻撃性が薄れ、批判的な姿勢が改まっていく実感があった。けど、現実は厳しい。事実、戦いなんだよ。競争なんだよ。デンマークと違って国が何にも支援してくれない日本に帰る。私はまたアグレッシブでクリティックでオフェンシブな姿勢を取り戻すだろう。「さようなら。本当にさようなら。世界で一番美しい町と優しい人たち。」

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ヴィボーで偶然観られたデンマークのプロレス

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生まれて初めてサインを求められた。僕もあなたを尊敬する。

さよならクソッタレども

そんな感傷は帰国の当日にぶっ飛んだ。ヴィボーから5時間電車に乗ってコペンハーゲンに行き、出発の2時間以上前には空港に着くはずが人身事故により一部区間で電車が止まり、満員のバスに押し込まれた。一等客席を買ったはずなんだがな。また電車に乗り換えたもののいつ空港に着くのか分からない。スカンジナビア航空のカスタマーサポートに連絡しても空港のチェックインカウンターに取り次ぐことは不可能だと言われる。生まれて初めて飛行機に乗り遅れるかもしれない。そしたらさらにお金がかかるし、またUniteにも間に合わないかもしれない。ざけんじゃねえぞデンマーク。こんな国2度と来るか。「Fuckin' Shit. Fuckin' Shit...」わざと英語で独り言を繰り返していた。そして電車の中には僕と同じように空港に向かうピリピリした乗客に混じってしょうもないアル中親父がいるしよ。(皆北欧に勝手な憧れイメージを抱いてるかもしれないが、こういう困った男性は日本と同じくらい多い。)もしコペンハーゲンで電車降りるのを邪魔して来たら本気で我が正拳を全力で顔面に撃ち込むつもりでいた。なめてんじゃねえぞこの野郎。俺をなめてんじゃねえ。死ぬぞ?殺すぞ?結局、チェックインの締め切りギリギリの時刻に着いてなんとか間に合ったわけだが、飛行機乗ってからも、がさつな客室乗務員が私の横を通るたびに体に触れていくために安眠できないし、英語でキレそうになったが、実のところわざわざ呼び止めて言葉を口に出す気力もなかった。もうしばらく海外も飛行機もごめんだ。日本で大人しく仕事をしつづけよう。

「日本すげー」

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「日本すげー系」のコンテンツが嫌いだ。一時期地上波テレビ各局が競うに作った外国人観光客に日本を褒めさせる番組や、日本製品を海外に持って行って褒めさせるような番組。それとTwitterでネトウヨ系の人たちが流すホラ話の数々。生きる目標もなく、何を愛するかと聞かれると恋人や友人や家族の顔を思い浮かべることもできず「日本」へと発想が飛躍する哀れな人たち向けのポルノ。けど私が帰国した日、成田に着いた時、自宅のある船橋に着いた時、Uniteの前日入りのためグランドニッコー台場にチェックインした時。その安定と安心のクオリティにはやはり嬉しくなるものがあった。ホテルの近くのユナイテッドシネマで観たかった「ガンダムNT」の4DX上映を観て、同じく前日入りした社員と久しぶりに食事をしてから、再び映画館に行って「逆襲のシャア」の4DX上映を観て感動した頃にはデンマークでの不快な体験は忘れていた。(同時にデンマークでメンタリングしていた2人のことも忘れてしまいかけていた。)そして翌日、僕は更なる「日本すげー」を目にするわけであった。

「ギョーカイ」は「コミュニティ」に敵わない


Unite Tokyo 2019がどのようなイベントであったか。改めてここで語るまでもない。Twitterのハッシュタグを見れば分かることだろう。不便な国際フォーラムから満を持してグランドニッコー台場に移り、ワンフロアにセッションルーム、展示ブース、飲食、物販、休憩コーナーを並べ、なおかつ広さを感じさせる効率的な配置。これでもかという飲食物の無料配布。国内のIT系イベントでは間違いなく最高のホスピタリティとエンタメ性。Unity Technologies Japanの独自性が遺憾無く発揮されたイベント企画であり、私がまさに死ぬような思いをしてた日に始まったUnite Copenhagenの関係者や来場者に見せつけてやりたい内容だった。ところで日本のゲーム業界にはさらに大規模なカンファレンスイベントのCEDECがあるが、私はCEDECを「文化祭」とか称すのが嫌いだ。私はCEDECに何度も登壇したが、CEDECのそのような空気を大手ゲーム会社が社員のガス抜きに利用しているのを知っている。そして今でも私が審査員を務める「ペラ一枚企画コンテスト」は本当にレベルが低い。つまらん。しかしUniteがCEDECと違うのは、「業界」のイベントではなく「コミュニティ」のイベントであること。つまり来場者は仕事のためにUnityを使ってるとは限らない。趣味かもしれない。遊びかもしれない。いずれにせよ、普段Unityを使うことを楽しんでいる人がいつも通りに楽しむイベントだ。そもそもUnity Technologies Japanを立ち上げた大前さんがUnity大好きだったわけだ。ちょうど10年前、初めて日本のUnityユーザーが集まるちょっとした飲み会のようなものがあって、そこで大前さんと「GamebryoがLightspeedだとかRapid Prototypingだとか言ってるが、Unityこそが光速でプロトタイピングできるじゃないか!」って興奮気味に話したのを覚えている。彼こそが一番のUnityユーザーであり、ユーザーコミュニティの感情が分かっている。そしてグルメだ。

「日本にはUnity仙人がいる」

話はまたデンマークに戻る。2017年のアクセラレーターから帰国する時、その参加者でも関係者でもないが同時期に開催されたアニメーションフェスティバルのために同地を訪れていたある日本人の映像作家と車に同乗することになった。「ねえ、どうして他の日本人参加者たちは皆Kensukeのことを『師匠』と呼ぶの?」「ただUnityが使えるからってだけらしい。」「それは間違いなく師匠だ。」「そうかな?そのくらいで?」(ちなみにその時話したその人はその数ヶ月後にはオスカー候補としてアカデミー授賞式の会場に立っていた。)私が「師匠」と呼ばれるようになったきっかけは、Unity Technologiesフランス支社のMathieu Muller氏によるCinemachineやTimelineを使った映像制作のワークショップだった。その場でMuller氏から「ゲンジュウロウ・タケシ」を知ってるかと聞かれた。日本を代表するVFXアーティスト/VJでUnityユーザーらしい。「ゲンジュウロウ?」「ケイジュロウ・タケーシ」「ケイジュロウ?」「ケイジロウ・タカーアシ」「ああ!もちろん知ってる。」高橋啓治郎さんのことだった。Unity Technologiesの社員としてではなくUnityユーザーとして紹介されていたのだ。その夜、食事の席でMuller氏と「Unity Technologies Japanや日本のUnityユーザーコミュニティのレベルの高さ」について話をした。「何故あんなにレベルの高い人材が日本支社に集まるのか」と聞かれた私は、東京一極集中という日本の特殊な事情、それによって東京が世界でも類を見ない知識集約都市となっていることを話したと思う。東京では、非公式なものを含めるとほぼ毎週のようにUnityの勉強会が行われている。そして一度そのような環境が出来上がるとUnityユーザーは指数関数的に増え続け、それに釣られてコミュニティ全体の知識の集積量も増す。Unity発祥の地のデンマークにて、当時唯一思い出した日本のアドバンテージがそれだった。「Unityが使える」というだけの理由で私を「師匠」と呼び始めた日本人の映像作家に私はこう言った。「もし本当にUnityやりたいならヨーロッパに住むのやめて東京に来い。俺を超える師匠やUnity仙人と呼ばれる者さえいる。」

Unityがもたらす「リア充力」

デンマーク、ヴィボー市のアニメーション大学や隣接するインキュベーション施設の人たちに共通するのは、総合的に知的水準が高く、アニメやゲームだけでなく周辺の芸術分野や学問領域、社会問題に対する興味・関心が強いことだ。また、自分の作品に情熱を傾ける一方で、人生を楽しむことを忘れない。要するに「リア充」だ。そういったデンマーク人の価値観がUnityというツールやコミュニティの運営に反映されているかどうかは分からないし、Unite Tokyoはあくまで日本支社のメンバーが企画していることであるが、今年のUnite Tokyoにおいて、常に飲み食いを続け常に眠たそうな顔してセッションを聴く参加者の姿を見た時、「これで良い」と思った。自分自身が居眠りすることにも罪悪感はなかった。また、デンソーとクラフターのセッションにおいては「Unityがアニメーションと社会のあらゆる分野をつなぐ役割を果たしている」ことが語られていたが、Unityによってプログラミング、映像のオーサリング、キャラクターアニメーションを身に着けることによって明らかに社会参加の機会が増す状況となっているし、あらゆるテクノロジーや芸術分野についての学習の機会ともなり、それは総合的に教養を高めるだろう。デンマークにはない日本の強固なコミュニティ、これをこのままUnity Technologies Japanが引っ張ってくれるならば、日本のアドバンテージである「オタク力」や「童貞力」に加えてデンマークのような「リア充力」をも手に入れることができるだろう。これからはリア充オタクの時代だ。2日目が終わった夜、社員と食事をしている時に言った。

「今回会って話をした大前さん、小林さん、𥱋瀨さん、高橋さんは皆ゲーム業界で尊敬すべき実績と結果を出してきた人だ。けど、その上にもう一つ教養があったでしょ?Unityの使い方どうこうよりもそこを目指して欲しい。」

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