夢も現も無い様な日々の。
夜中に目を覚まして、朝4時にコンビニへ行き、カモメが街の上を飛んで、空には白い半月が浮かんでいる。
夢も現も無いような日々。
耐えかねているものがきっとみんなにもあるのだろうけれど、それを棄てることも出来ずに、朦朧として忘却や眠りに似た代替物の様な、日々とも呼べないような時間を過ごして行って、その間にもいのちだけが削られていく。
唯一のものになりなさいなんて言われて、何事も、何事とも代替可能な世の中で、手を伸ばすまでもなく其処に在る写真というのは本当に似つかわしいなと思う。
指先一つ押すだけで、誰にでも撮ることができる。それは美しく整えられていて、望めばノスタルジックな雰囲気さえ漂わせて、文字通り宙に浮いていく。
空が綺麗な日に、何百人もの、さもなければ何万にもの人々が撮ってネットに上げていく。
綺麗なものも人も、ものすごい勢いで消費されて行って、1日前のTLなんて誰も遡らないよと笑われるけれど、例え顔が写っていなくたって、其処に居たのがあなたで在ることを、僕の脳と、スマホの、もしくはどこにあるのかわからないクラウドストレージの中ではきちんと整理されていて、誰でもない「かわいい女の子」なんかじゃなくてあなただということを、その間に横たわっていた空気の断絶を、呼び出すことができる。
メモリ。
Cogito ergo sumと、昔の賢い人が言ったんだそう。
だから僕は今朝の、5月に入ったのにまだひやりとした空気や、カモメの鳴く声や、真っ白な部屋で宙を見ていた瞳に張った薄い透明な水膜を、憶えて居られる。
指先ひとつ、タップするだけ。けれど、写真に写るのは、其処にあなたが居るからだという事は単純な事実で、それは写真が何千枚、何万枚になったって変わりはしない。
皆が、あなたがタップする間、何千回でも、何万回でも、あなたが「其処に居る」ということを証明し続けてくれる。
※この記事は6年くらい前に書いた日記の一部を改変したものです。
写真は新しいものです。
(もしかしたらいつかどこかで遭遇するかもしれない、昔の、または昔からのみんなのためにこのことを書いておきます)
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