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廃墟の亡霊

かれこれ3週間近く、取り壊しの工事をしているアパートが近くにある。

私が小さい頃からあったアパートなので、かなり築年数も過ぎていたのだろう。入居者もいるのかわからないような状態だったので、いつ取り壊されてもおかしくなかった。

とうとう取り壊しになったか、という思いで毎日そばを通っていた。日を追うごとに作業は進み、建物の周りを防音シートが囲い、コンクリートを砕く重機が入り、次第に鉄筋が無残にむき出しになり、原形がなくなっていった。

鉄筋がむき出しになり、まさに壊すという言葉が似つかわしくなってきたとき、私はその光景に既視感を覚えた。この建物が破壊された感じ、どこかで見覚えがあるぞと。

それは、セルビアで見た光景と同じだった。

大学生のときに訪れたセルビアの首都ベオグラードの一角に、建物の外枠が吹き飛ばされて、鉄筋がむき出しになった二棟の建物が、亡霊のように佇んでいる光景が脳裏に焼き付いていた。

それは、今から約20年前、コソボとセルビアの間で起きた紛争の傷跡だった。

紛争当時、セルビアは国際世論のなかで悪者とされ、アメリカを中心としたNATO軍から集中的な空爆を受けた。

建物は、そのときに空爆を受けて破壊された姿のまま、およそ20年間、そこに立ち尽くしていた。取り壊すお金がないということが、放置されている理由だという。

華やかなベオグラードの、その一角だけは、ただそこにあり続ける建物のために、異様な雰囲気に包まれ、時間の流れが止まっているようだった。

壊すという行為は、確かにそこにあった世界を失くすことだろう。

それがどんな文脈で行われようと、人間にとって一度存在した世界が失くなることは、逆説的に、様々な感情が心に芽生える契機となる。

あの建物の存在は、セルビアの人たちにとって、NATOの空爆で破壊されたものの象徴に違いなかった。

それはまるで、アメリカやコソボに対する憎悪を一身に引き受けた廃墟の亡霊のように、いつまでも取り壊されることなく佇み続けている。













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