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山雅のうぇいうぇい

「山雅の良さは?」と聞かれた時に「関わる人間の主体性、自主性」と答えてきました。お節介と思われるほどクラブに干渉し、自分たちで何か出来ないか。クラブに無いなら自らで作り上げようとする姿勢が良さであり、その姿は他サポーターから新興宗教団体だと揶揄されることもありました。
しかし、そのウザい姿勢が企業が行うテレビ・ラジオCMとは違ったナチュラルボイスな宣伝をし、雪だるま式にサポーターが増え、地域におけるシンボル的なものへと変化しました。

今シーズンが終わってから「クラブとサポーター間のコミュニケーションが足りない」といった趣旨の投稿を見掛けるようになりました。これについて私は疑問を抱きました。

今年で言えば、コロナ禍でスタッフのみで行われていた緑化計画が復活。
恐らく、緑化計画は「コミュニケーションが足りなかった」と言われる方の求めている場とは違うと思います。その方達は、サポーターズミーティングの様に建設的な意見を交換し合える場を求めていたはずです。
確かに今のクラブには膝を合わせ、腹を割った意見交換の場は必要だと思います。
しかし、僕らサポーターというのはチケット代を払い、試合を観戦した時点で関係は終わってしまいます。消費者とサービス提供者であり、それ以上でも、それ以下の関係でもない。
それ以上を求めるのであれば、こちらからGIVEしていく必要があります。
サポーターからクラブにGIVEできるのは緑化計画などの場であると思っています。ぶっちゃけクラブが行う緑化計画、後援会が行う日本一気持ちのいいスタジアム大作戦は労働力の搾取とも言えます。
これらの活動の目的はマンパワーでポスターを貼ったり、スタジアムの清掃をコスパ良くすることですが、作業の合間にはスタッフの方と話す機会があったり、過去には清掃終わりに反町監督が挨拶しに来てくれたり。
労働力という価値を提供することで、意図的ではないですが話す場を設けてくれます。

そういう場を設けてくれる山雅ですが、如何せん宣伝が弱いのでTwitterでの1回の予告と報告で終わってしまうことがしばしば。

コロナ禍が終わり、もっと打ち出していければいいですね。
話し合う場が欲しければ、自ら求めて行動していくしかないと思ったのでした。


水戸ホーリーホックの小島社長がこのようなツイートをしていました。

多くの方が学生時代、就職活動をする際に先生や進路指導部の方から「絶対に企業分析はしろ!」と口酸っぱく言われたと思います。財務諸表を見たり、企業説明会・インターンシップに行ったりと転職が当たり前の時代ではありますが、就職したい会社の規模や雰囲気などを事前に調べることが当たり前の世の中です。

サッカークラブにおていも、それぞれのクラブが理念やビジョンがホームページなどに記載されています。色んなクラブを見てみると、そのクラブのカラーが分かります。
例えば浦和レッズだと勝利・優勝に拘り年単位で詳細に目標まで公表していたり、川崎フロンターレであれば「すべての人と共に歩む」ということが強調されています。

松本山雅も同様に企業理念が公表されています。

自動車メーカーのスズキでは「小さなクルマ、大きな未来」とスローガンに掲げており、そこに対して「もっと大きな車作れよ」と言うのはおかしな話ですよね?
サッカークラブにも同じようなことが言えると思います。
「趣味くらい好きにさせろよ」と言われるかもしれませんが、大人であれば趣味で応援しているサッカークラブであっても”企業が何を成したくて、どういったプロセスを歩みながら運営しているのか”理解しておく必要があると思います。
プロのサッカークラブというと「勝利の追及」が第一にくるのが常識です。しかし現在世間では多様性と言われる時代であり、日本のサッカー界では自国開催のW杯や欧州5大リーグへの選手輩出など、ある程度の文明化を終えました。すなわち受け皿が満ち、常識や既存企画から零れるクラブが出てくる。
勝利を目的とするクラブがあってもいいし、勝利を手段とするクラブもあってもいい。
スタジアム全体が殺気立って応援するクラブがあってもいいし、ゴール裏で居酒屋をするクラブもあってもいい。
僕らが就職・転職をする際に企業の理念やどの様な経済活動をしているかを調べて選ぶように、サッカークラブにおいても故郷・地域という選択肢以外に理念や活動で選ぶことが当たり前になってくるのではと思います。
実際に私自身もクリアソン新宿という縁遠い地のサッカークラブが好きです。地域、選手、成績どうこうよりも「Enrich the world.」の理念に賛同し応援しています。

松本山雅の存在意義には

常に勝利を追及するチームであるとともに、だれからも「愛される」「親しまれる」「応援される」魅力あるクラブとして、地域のスポーツ文化向上に貢献する。
松本山雅HP

と記されています。
「常に勝利を追及するチーム」とあり、勝利昇格こそ万事を制す思想とその逆の思想で現在対立を生んでいるような気がします。
更に因数分解すると「常に勝利を追及するチーム」を文字通りに理解するのか、歴史を踏まえて行間も理解するのかの差だと思っています。

確かに勝利や昇格は多くの人を呼び、地域経済にとって活性化する要因になります。しかし、勝負事なので常に勝利できる訳でもなく、片田舎の資源が限られる環境の中では少しのボタンの掛け違いが今回のような事態を招く。
勝利昇格を諦める訳ではないが浦和、川崎、神戸といった立地と資金で幅を利かせるクラブとvs資金、vsサッカーの質で対等に渡り合うのは今後の地域のポテンシャルや少子高齢化に伴う持続性という面で厳しい未来が待っている。
そして勝利昇格という麻薬にしか人は集まって来ず、クラブの状況によっては閑古鳥が鳴くスタジアムになる。
他のエンタメ業界を見て見みると、CDJやARABAKIなどフェスそのものが人を呼べる存在であればいいが、地方の初回だけ豪華アーティストを呼んだだけのフェスは軒並み存続が危ぶまれています。
要するに、松本山雅の勝利昇格にお客さんをつけるのではなく、松本山雅という存在にお客さんをつける必要がある。

ピッチは「強さ」を求めればいい。
しかし、スタンドの行き過ぎた「強さ」への執着はサポミで加藤氏が仰った「山雅らしさ」から離れていく。
ピッチ、経営、サポーター。3者でそれぞれが一人でも多くの方に「松本山雅が面白いんだ」と思ってもらえるように最高の魅せ方をしなければいけない。
その為に僕らサポーターは勝利昇格とは別の「何か」を追及していかなければならない。そして、恐らくJ3は「何か」を見付ける最大のチャンス。
今いる3者で大月さん、八木さん、加藤さんが残してくれた「山雅らしさ」を再構築していくような2022年にしなければいけないし、個人としても出来る限りの「山雅らしさ」を発揮していきたいと考えています。

苦しい1年となりましたがお疲れ様でした。

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