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アクアリウム31

その日をきっかけに、僕は牧さんのおでん屋台に
通うようになった。半分は彼女にもう一度会うためだったけど
もう半分は、素敵に美味しいおでんを食べながら
牧さんに、将来や恋の悩みを相談するためでもあった。
恥ずかしい話も、牧さんの前だと自然と話せてしまうのが不思議だ。

何よりもっと不思議なのは、牧さんは僕に関して
いろんなことを言い当てる。占い師とか予言者みたいに。
医者の息子であるとか
友達にとんでもない変人がいるとか。

牧さんは底知れない人だ。
ただ、とても優しい心を持っていることだけは確実で
僕はそれだけで十分だと思った。

力亜を牧さんに紹介したくて、何度もおでん屋に誘うのだが
力亜は最近、忙しいらしくついて来てくれない。
何かにつけては「今日はちょっと。」と言って断る。
予備校が終わっても、すぐに帰ってしまうのだ。
なんだか、いつも一緒にいる奴がいないと
寂しいものだ。

もう一つ気がかりなことがある。
それは、僕が牧さんの屋台に通うようになってから
木の下に現れる女の子が、来なくなってしまったことだ。
僕は一刻も早く確かめたかったのに

牧さんは「なんだかタイミングが悪いみたいだねぇ。昨日はいたんだよ。」
と言ったりして、余計に僕を残念がらせた。
「彼女は僕を避けているのかなぁ?誰なんだろう?」
と思ったりもした。


その日は冷たい雨が、夕方から降っていた。
僕はいつものように、子猫達にお土産のパンを買って
「今日は雨だけど佐藤先生と、長坂先生はいるかなぁ。」と思いながら
屋台へと歩いて行った。

いつもように暖簾をくぐって、青い袋を渡すと
牧さんは「いらっしゃい、よく降るねぇ。ありがと。」と迎えてくれた。
近頃はおでんを肴に日本酒の味を憶え、大人の気分を味わっていた。
ほろ酔い気分になったころ、雨脚が強まってきた。
ちょっとした情緒を感じながら、夜の公園を見渡す。

バシャリ
誰かが水たまりを踏む音が聞こえた

バシャリ
バシャリ
バシャリ
一定の速度を保ちつつ、近づいてくる。

暖簾越しなのでよく顔が分からないが
屋台の前で、その足は止まった。

「ん?」牧さんが首を傾げた。どうやら客ではないらしい。

僕はちょこっと、暖簾を手であげて姿を確認した。

「力亜!」

「やぁこんばんは。」
いつもと感じが違うので、もう一度目をこすって、力亜の姿を見た。
前みたいに極端な変装はしていないものの。
なんだかフォーマルな格好をしていた。葬式帰りみたいだ。
足元は初めて見る革靴だし、頭にはジェントルマンみたいな
帽子をかぶっている。大きな傘が闇を深めていた。

「牧さん、紹介するよ。こいつが僕の親友の力亜。ずっと
会わせたかった奴なんだ。」僕が力亜に席を勧めると
力亜はいつにない神妙な様子で手をあげて、それを辞した。

それから、牧さんに黙礼すると
牧さんの後ろをそっと指差した。
人差し指を辿っていくとそこには、スズカケの木
そして 間違いない 彼女がしゃがんでいた。

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