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当事者と村を育てる

「1人の子どもを育てるのには村が1ついる」

というのはアフリカの諺だそうで、子どもを育てるということは社会を総動員して行うそれだけ大きな仕事だ、ということ。とかく親の責任にされがちな子育てというものをきちんと見直していくことが大事である。まず単純な作業量だけでも両親だけでは難しい。二人とも仕事をしていればなおさらだ。

そして異常系を少し考えてみる。風邪を引いたらどうするのか、病院はあるのか、会社は休めるのか、その間面倒を見てくれる人はいるのか、両親がいなかったらどうするか、仕事が忙しかったら、学校でいじめられたらどうするか。そもそも両親のキャリアはどうするのか。仕事は勉強しなくてもついていけるしごとなのか。いくらでも「親がただ頑張るだけ」では子育てができないシーンが思いつくだろう。

異常系については自分が体験しないとついつい想像することが難しくなって、「そんな大変な中僕たちは子どもを育てたんです。今の若い人は甘えです」とか言い出す人もいるので要注意である。生存バイアスか心理的投影だなと思って距離を取るのがよい。

つい力が入ってしまったが、僕が今日伝えたいのは、実は逆の言葉。

「1つの村を育てるには1人の子どもがいる」

これは先日読んでいた「学習する学校」という本に出てきた表現だが、すごく希望のある言葉だと感動してしまった。「1人の子どもを村で育てようとするからこそ村が育つ」、「1人の子どもの未来を考えるから村が育つ」ということに加え、「1人の子どもが想像する未来には社会を変える力がある」ということでもある。

つまり「社会のシステムは当事者こそが変える力がある、その原点であるとみんなが信じることが大事だ」ということだ。

ちなみに、同じ書籍には下記の言葉も登場する。

1998年にマイエルリー・サンチェスが、ソアチャにある彼女の家で言ったように「子どもの心の中で生まれた平和は全世界を包むことができる」。ただしそのためには、その声が他の人々によって増幅され、人々に聞かれることが必要である

これが難しいのは、NGOの活動をしているわれわれでさえ、「当事者は力無き存在で、サービスを提供してあげなければいけない対象である。守るべき対象である。僕たちは代理で戦う必要があるのだ」と思いがちだからだ。いや、現場で接する我々だからこそというべきか。そう思っていないと期待しては傷ついてということがたくさん現場では起きるのだから。その時に自分たちをうたがえるかどうかが問われているのだろう。この発想で自分たちの活動を見直していかなければいけない。

この発想をもってどう自分たちの活動を変質させていくか

たとえみんなに最も力がないと思われている人であっても、そのシステムに最も大きな影響を受ける人には、そのシステムがどうなっていくべきなのかを想像する力がある (例えば村における子ども、例えば刑事司法制度における被害者、途上国における貧困家庭)

その人たちが声を出して社会を変えていくには、エンパワメント(声を出す練習)人権を社会が信じること(聴く人たちの耳を整えること)が必要である。NGOの活動は、所詮その当事者が活躍する舞台を整えることである。つまり民衆の耳を整えて、本人たちの声を増幅するサービス提供や仕組みづくりである。

だから、もし声が聞こえないのであれば、まず第一に自分たちの聴く力を疑うべきだし、100歩譲ってエンパワメントやリハビリが足りていないと思うのが健全ではないか。それは子どもに「この社会はどうなるべきか」と真摯に尋ねてみることだったり、人身売買のサバイバーに「どういう正義を実現したいか」と真摯に尋ねてみることだったりする。

成功しつつある当事者運動から学ぼう

自戒を込めてここにかく。

ファンドレイジングやコレクティブインパクト、アドボカシーという手法に踊らされて、当事者に尋ねることを忘れていないだろうか。当事者のニーズや未来は僕たちの方がよくわかっていると奢っていないだろうか。

むしろ「正しい」社会のあり方は、当事者の方の真正のリーダーシップをもって定義し、開拓していくことが良いのではないか。それが活動にエネルギーを与え、さまざまなステークホルダーを結びつける接着剤になる。

例えば、貧困家庭の当事者たちが教育改革をになったアメリカの「雨を降らせる人」、障害者がバスをジャックし社会に声を届けた日本の「青い芝」、さまざまな成功した当事者運動から真摯に学ぶ必要があると思う。かものはしプロジェクトが推進しているインドのUttanプロジェクトもまさにそのメンタルモデル「サバイバーのリーダーシップが社会のシステムを変えていける」を信じて進んでおり、近い将来ロールモデルになるとおもう。

なお、NGOに入った人たちの仕事がなくなるという心配は無用である。舞台を整えるというのはどの現場でも骨の折れる仕事なのだから。大変に地味で称賛されにくいが、それでも社会を変える1番の近道なのだ。

さあ目立たない良い仕事をしようじゃないか。



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