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デフフットサルの現実 2012


障がい者スポーツにおいても健常者スポーツと同じく、オリンピック競技であるのかそうでないのかで価値が決まっているところは、少なからずある。パラリンピック種目ではない種目をまちうける現実は、かなり厳しい。

スポンサーの獲得においてはとても苦労する。

そして僕の関わるデフフットサルもその一つになる。

デフは特殊な環境で、デフリンピックというデフの人たちのオリンピックが存在する。

健常者→オリンピック

身体障がい、視覚障害、脳性麻痺、知的障害→パラリンピック

知的発達障害や自立を目指す者→スペシャルオリンピクス

聴覚障がい者(デフのみ)→デフリンピック

デフリンピックは4年に1度、世界規模で行われる聴覚障害者のための総合スポーツ競技大会であり、国際ろう者スポーツ委員会(ICSD、CISS)が主催する障害者スポーツにおける最初の国際競技大会となる。

パラリンピックよりも歴史は古い。

なのでデフの選手たちのあこがれはデフリンピックに出場することになるのは、考えずともわかると思う。

それはさておき、デフフットサルの現状においては僕が関わりだした2012年はそれはすさまじいものだった。

プロフットサルリーグのチームやサッカー協会関連でトレーナーを業としていた僕は、現状に唖然とした。

最初は、日当はもちろんだが、テーピング代、交通費すら出ない、さらに選手は代表としての共通ウエアも存在しない、チームにすら入っていない有志のみで参加OKなそのような環境だった。

フットサルをしたことがあるかないかなど、そもそもそれ以前の話だった。

分母がそもそも少ないデフ競技で、デフリンピック種目ではない時点で集まる選手のレベルが低すぎた。

言い方は悪いが、遊びでやる程度のレベルだった。

その中でも実際健常者の中に入って競技レベルで行っている選手は少しだがいた。

何から変えていくべきかその時はまだわからなかった。

このままで関わるべきか・・・と思ったほど。

でも現場で見えるもので光るものがあった。

それはボールを楽しそうに蹴る選手の姿だった。

僕はその環境を見て選手を助けたいと思った。

声をかけっていただいた川元監督(現デフフットサル日本代表監督兼U23デフサッカー日本代表コーチ)にも【橋本さん、何が必要か教えてください!そして助けてください】と言われた。

この時代にまだ障がい者スポーツに関わろうと思っているトレーナーは僕の周りに誰一人いなかった。

手探り状態もいいところ。

誰に聞いてもわからない、手話もわからない、選手とのコミュニケーションもわからない。

これだけ現場積んできたのに、ほぼ無力だった。

僕が通っていた学校では、今でもその教育すらない。

先生でもその現場を知らない人しかいない。

現代でも障がい者スポーツを理解するためのカリキュラムはどこの学校を出てもほとんどない。

要するに、お金を生み出せない環境には誰も来ない、価値がないからだと思った。

普通に考えると何も関わるメリットがない。

SNS自体も、今のように充実していない。。。

お手上げ状態だった!

でもこんな状態やったからこそ、やるべきことが見えたのかもしれない・・・・・


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