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UMBRO(アンブロ)が好きだ

トシ・・・・アンブロ好きか・・?(読んでない)


その日、アンブロを思い出した

最近、ランニングするにあたってトレーニングウェアがいるよなぁと、ヤフオクを漁っていたところ、やけにお洒落なデザインのウェアを見つけた。

件のアンブロとは小学校から高校卒業までサッカー少年だった僕としてはなかなかに久しい再会ではあった。

当時の感覚としては、ウェアのブランドはナイキ・アディダス・プーマ至上主義ではなく、アシックスやミズノ、ロットやカッパなどの選択肢も十分にあり、ミツカンマークでお馴染みのアドミラルやnrのロゴのエネーレ、ヒュンメルなど、当時でもクラシカルな古い世代のブランドも「逆にオシャレ」という謎の力学で押し通されていた。
その中でもとくに好きだったのはアンブロで、あまり周囲と被らないことが嬉しくよく選んでいたものだった。


福岡のキャナルシティ近くにあったニューフレンドが好きで、お年玉を握り締めてその年のウェアを買い漁っていたのが懐かしい。
地方からはるばる遠く福岡の地に1時間以上かけて電車を乗り継いでいたなあとふと思い出した。

注意しておきたいのだが、これからの話はアンブロに魅せられてたかだか数十枚程度の着用歴のある32のぽっと出のおじさんが、そうだったらいいなも含めて書いているのであって、全てが事実ではないし脚色しかないものとして読んでほしい。

140文字の中でソースを示すことを求めるようになったら人間終わりだ。
夏休みの電話相談室じゃないんだ、全部に答えてもらえると思ってはいけない。
インスタにしろTwitterにしろ、大真面目でバカなビジネスマンが参入してくるのが悪い。公園で遊んでたら囲いを連れてやってきて政治運動するくらい無粋なマネをしてることに気づいていない。来れるやつだけでも集まって、ジュース飲んで木に登って駆け回ってボールを蹴っていたいだけなのに…
そう、これはフットボールブランドとして永きに渡って君臨しているアンブロの話だ。

ダブル・ダイヤモンドの品質

アンブロの菱形2つが重なったようなロゴデザインはダブル・ダイヤモンドと呼ばれていて、95年以上も続くブランドが重ねてきた歴史そのもののように思える。

アンブロの歴史はマンチェスターに住む10代を卒業したばかりのハロルド・ハンフリーズ兄弟が1924年に立ち上げたスポーツウェア製造会社から始まる。
当時のイギリス全土を覆い尽くしていたフットボールに対する熱狂の高さに目をつけた兄弟は、伝統的なテイラーリングの手法をスポーツウェアにも落とし込むことで成し得たその機能性の向上とスピリットは今もなお止まることを知らない。

オニツカタイガーの輸入会社として1962年にスタートしたNIKEや、1949年創業のアディダスと比べても歴史は古く、創業からわずか4年で5,000チームへのユニフォーム提供、10年の間にはマンチェスターの決勝を争うプロサッカークラブにユニフォームキットを提供するなど、機能性のみならず洗練されたデザインで人気を博していたそうだ。

アンブロの名前の由来

アンブロの名前は彼ら創業者の名前であるハンフリー・ブラザーズ(Humphreys brothers)に由来している。

時代とそこに生きる人々を伝統の技術で温故知新する姿勢が彩ってきたものは、現在の多様化する社会においてもすでに一歩先をリードしているようにも思えてならない。
当時を知らない何も知らない素人の僕でさえ、アンブロの90年代以前の生地感に触れてハッと感じるものがある。生地の切り返しが異素材として伸縮方向に入っていたり、無地のように思えたボディ部分にはロゴの総柄のパターンが入っていたり、仕立屋根性を感じずにはいられない。
それが現代においては立体裁断を用いて運動シーンから通勤へ、通勤からビジネスシーンへと、乖離があるように思えて意外とシームレスな日常着としての進出もあり、今もなおあるという母親が営んでいたバーの一角で産声をあげた彼ら兄弟のプロダクトが100年先の現代まで見越していたかはさておき、ブラウンのデザイナーであったディーター・ラムスのデザイン哲学である“Less but Better”(より少なく、しかしより良く)と、このレスの根幹にあった兄弟のテイラーリングはフットボールへの情熱そのもののような気がしてならない。

ナイキからアイコニックスへ

2007年にNIKEの100%子会社、2012年にアイコニックスへと売却が決定し、アイコニックスが出した声明では「私たちは、当社の象徴的ブランドのポートフォリオにアンブロを追加できることを非常にうれしく思います」ともあり、なんだか10年越しに嬉しく思っている。
それにこのNIKE、福岡とも縁があったのを知る人意外と少ないんではなかろうか。

元々NIKEの創設者フィルナイト氏は日本のオニツカタイガーの代理店になりたくて日本に来日していた。当初は良好な関係を気付いてたように見えていたが、久留米に本拠地を置く日本ゴム(アサヒシューズ)とともに初期のスウォッシュ入りのシューズの開発を行なっている。
アサヒグループといえばムーンスターでお馴染みのあの会社だ。

ナイキも好きなだけにシューズはナイキ、ウェアはアンブロ。
だいぶ尻すぼみにはなったけれど、最近のランニングウェアの密かなこだわりの様なものでした…はい…終わりです。

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