見出し画像

【特別対談】スタンフォード大学哲学Ph.D星校長に学ぶ!「哲学」をビジネス・メンタル・読書に活かす方法

【概要】
本ページは、スタンフォード大学・オンライン・ハイスクール 星友啓 校長との対談記事です。

対談のテーマは「哲学」です。

・GoogleやAppleなどの巨大テック企業が哲学者を雇用
・哲学者がCEOになる


など、近年、哲学の重要性が世界的に注目されています。

しかし、日本人には馴染みがないこともあるため、
スタンフォード大学 哲学博士号を持っている星校長に
・仕事
・メンタル
・習慣

で実践的に使える「哲学」の学び方・始め方について
伺いました。

スタンフォード大学哲学Ph.D星校長に学ぶ!「哲学」をビジネス・メンタル・読書に活かす方法

【長倉顕太(以下、長倉)】:お疲れ様です。
長倉です。今日は「スタンフォード・オンラインハイスクール」の星校長に、哲学についてお話を伺いたいと思います。
星校長、よろしくお願いします。

【星友啓(以下、星)】:よろしくお願いします。

【長倉】:今日は、哲学についてお話を伺いたいと思います。星校長は哲学博士という肩書きにある通り、哲学を専攻なさっています。

哲学と言うと、普通の人には、一般的には馴染みがないといいますか、あまり生活に関係のないものと思っている人もいると思います。

最近のトピックとして面白いなと思うことが、(最近といっても本当に直近というよりはここ数年だと思いますが)星校長がいらっしゃるスタンフォード大学があるシリコンバレーと言われているところに、

GoogleやAppleなど有名なテック系・IT系の企業が会社の中に哲学者を雇い始めているみたいな話を聞きました。その流れというのは、どういうことなんでしょうか。

GoogleやAppleが注目している「哲学」とは?

【星】:まさに本当に仰る通りで、大きな会社のGoogleとか、その他のスタートアップ企業でも、哲学者のアドバイザーをつけていたりします。

あと、私自身スタンフォード大学の哲学部で博士号を、今仰っていただいたように取ったんですが、卒業生がどんなところに就職するのかを見たときに、もちろん哲学の教える方の道や研究の道に行って、教授になる人たちも多いんですが、法学部や、マッキンゼーのような大きいコンサル会社に行ったというのが結構あったんですね。

その他には、自分で起業したり、CEOPresidentみたいな人たちも結構多いんですね。

それを見たときは、私自身そういうことを考えていなかったので、学生のころびっくりしていた覚えがありました。

やはり新しいものを作り出すことや、これまでの枠組みを改めて問い直して、そこから新しい価値を見つけて形にしていく

それはまさに、哲学の基本になる心の営みなので、そういうことに目をつけて、今新しい企業にも、哲学者のアドバイザーをつけるということをやっているのかなと思います。

哲学者の多くはCEOやpresidentに

【長倉】:星校長が学生時代のとき、哲学を学ぶと、そのまま研究者や教授になっていくのは結構普通でしたが、今はテック系の有名な会社や、コンサル会社などに多くの人が就職しているということですよね。

その中で、星校長の今のお話で、もともとある仕組みから新しいモノを作るのは、ある意味思考法のような感じでもあるんですかね。

【星】:まさに、思考法ですよね。

思考法をさらに考えると、思考法を思考するというようなことや、いつも当たり前に思っている価値観や考え方などを改めて考え直すことによって新しいものを見出すというところがあります。

これは私が学生だった時からです。
なので、20年前から、かなりビジネスをやったり、コンサル会社に行ったりする人たちがいました。

例えば、僕と全く同じ学年の人で、(自分と一緒かもしれないですけど)Education Technologyの会社のCEOになった人がいました。

結構(会社が)大きくなったんで、うちの学校でも使うプロダクトを作ってもらいました。

※EducationTechnology=
テクノロジーを用いて教育を支援する仕組みやサービス

今までのやり方から変えて、新しいものを作り出していくというのが哲学の本質なので、
哲学を学ぶと、ビジネスに限らず学問などいろんなところで役に立つことが言えると思います。

これからは「哲学的に考える力」が求められる!

【長倉】:特に既存のものを破壊する・枠組みを変えて新しいものを考えるみたいな発想って、特に僕は日本人弱いなと思っています。

日本の教育ですべてがそうではないとはいえ、基本的には言われたことをやる、決められたことを誰よりも早く正確にやることが、優秀とされるのがあるかなと思っています。

そういった意味で、日本人にとって、なかなかその(枠組みを変えて新しいものを考える)頭の使い方というのは慣れていないのかなと思うんですけど、その辺はどう思われますでしょうか。

【星】:それは本当にあると思いますね。

例えば受験のようなものは、答えが決まっていて正しく答えるみたいな訓練をずっとやっているので、決まったことができればできるほどいいことだということですよね。

哲学というのはそうではなくて、決まったことがあったら、見直して新しいものを考えるということなので、全く違う心の営みになってくることがあるので、

やはり受験のような、代表される答えがあるところに、あるべき答えを出していくことではないのかとも思います。

ただ、日本だけではもちろんなくて、そのほかの、日本の周りの国や今までの世界が、右肩上がりの決まった形があるような世界でした。

知識というものは、正しいものがあって、より知っている人が知らない人に教えるみたいな、先生のような存在、非対照的な形が今までの教育の形であったり、学びということのイメージだったんですが、今それがだんだん変わってきています。

正しいとされるものも、科学という今までも正しいと思われてきたものが、違うんだということの覆しですよね。

今まで正しいと思っていたことなんだけど、急に明日になったら関係なくなってしまった、正しいんだけど関係がなくなってしまう。

新しい部分で理解していかなくてはいけないということで、社会や世界の価値観など、みんなの考え方が激しく変わる。

また、全然違う人たちと触れ合うような中で、どういう風に新しい知識を作り上げていけばいいかという。

教わる方も教える方もその知識を作る参加者にならなければいけないというモデルが最近出てきてまして、

そういう中で言うと哲学的な答えがあるところを見つけていくのではなく、参加者として作り出していくという哲学的な要素が、教育の一般にも必要とされていることなのかなと思いますね。

哲学=自分で主体的に考える

【長倉】:今のお話を伺って、本当に哲学は必要だと思ったのが、人生って本当に答えがないんで。

みんな答えがあると思っていろんなものを信じようとしてるんですけど、実際人生とか新しくビジネスやるとなると、当然答えがない世界で戦うというか、生きていかなければいけないじゃないですか。

そんな中で哲学を学ぶだけで、答えのない世界でどのように生き抜けばいいのかがわかるということで言うと、やはり哲学は本当に必要だなと思いますよね。全てにおいて。

【星】:そうですよね。答えがある・ないという切り口も、これまでの切り口としてわかりやすいと思いますし、哲学を話す上で、その区別って大事だと思います。

もう一つ、それに似た切り口で私がよく言っているのが、主体があるかないかということです。自分が主体として考えるというのが、哲学の営みです。

例えば、決まっている形(仕組み)があって、それを繰り返すというのは、自分が主体ではないわけですよね。答えがあって枠組みがあって、それを繰り返させられているという状況ですよね。

そうではなくて、答えがあって枠組みがないので、自分が主体になって考えなければいけないということ。

それ(自分が主体になって考えるということ)も、哲学の一つの本質かなというところですね。

スタンフォード・オンラインハイスクールが「中学校」から哲学を導入する理由

【長倉】:その中で、星校長ご自身が今、校長をやられてるスタンフォード・オンラインハイスクールでも、哲学というものを結構重視してらっしゃるということなんですけど、それはどういった活動なんでしょうか。

【星】:私の学校というのは、high schoolとついてますが、中高一貫の学校です。

中学校や高校から、どこの社会でもどこの国でも、だんだん専門的なことをやりだしてくるわけですよね。

専門的なことをやり出すときは、いろんな専門に紐付けられた枠組みの中で考えさせられるようにされていくということですね。

それ自体は必要なことなので、やってもらわないと困るんですが、それをやりながら、違う考え方もあるという考え方をしたり、一旦、考え方のツールを使えるようになるんだけど、そこから少し自分で変えてみて、新しい考え方をするとかですね。

あとはもちろん、世界中から生徒さんが集まっているので、違う文化の人や価値観の人たちに会ったときに、違う見方も受け入れながら、そこから新しい考え方を見つけていくような、まさにそれがグローバル人材、また、クリエイティブな人材みたいになる必要があると思いました。

そのため、それを手っ取り早くと言いますか、教えていくのは哲学かなと思いましたので、中高の段階からやっていくようにしています。

日本もそうだと思いますけど、中高の後から、つまり大学から(哲学を学ぶ)という国が多いんですが、やはりそこまで待ってしまうと、枠組みをずっと教えられてしまいます。

そのため、それ(枠組みの中で考える)が当たり前で、空気と一緒になって、なかなかそこにある枠組みというのを、改めて問い直すというのはやりにくくなってしまうと思うんですね。

なので、なるべく早くから、(もちろん大学から社会人なってからできることであるんすが)私の学校の場合は、早くから始めてあげようということです。

哲学は大人になってからも学ぶべき!

【長倉】:今のお話を伺うと、本当に哲学というのは、これから激動の時代というか、答えがない時代、特に最近だとパンデミックが起きて、価値観が一気に変わったり。

その中でどうやって自分が生き残っていくのかも含めて、非常に必要な考え方だと思います。

今、星校長が仰ってくれたように、やはり大学以降で哲学を勉強するといっても、それを専攻した人だけになってくるので、おそらく僕もそうなんですけど、日本人で哲学をちゃんと学んだ経験がある人は、ほとんどいないのではないかと思うんですよね。

だからこそ、これからの時代に必要な哲学というのは、やはり大人になってからでも学ぶべきかなと思います。

【星】:そうですね。まさにその通りだと思うのが、哲学的な考え方って、哲学の授業を取らなくても触れることができたりします。

むしろ直感的にしか学べないのではないかと、今まで思われてきました。

しかし、いろんな研究の積み重ねで、実は哲学というのは、明示的にこういう考え方があって、こういうふうに考えられるために授業をやりますよと、意識的に教えたり、トレーニングした方が、哲学の素養が身につきやすいことわかってきてるんですね。

なので、やはりどの分野をとっても、哲学的な考え方や見方はあるんですが、そういうことを肌身で感じて身につけていくよりも、実際は授業をとって、明示的に哲学の考え方という、こういうものでこういうトレーニングしていきましょうというようなやり方でやった方がいいというのはわかってきているので、本当に今まさに大人や子供たちにも、哲学の授業をとっていただきたいなと思います。

【長倉】:実際に僕も、星校長の哲学の授業や、セミナーも含めて拝見させていただく中でこういうときに星校長から学んだことを使えるなとか、非常に日常的に実践的に使えるノウハウも哲学っていっぱいあるんだなと改めて思ったので、ぜひ皆さんにも、哲学を学んでもらいたいなと思っております。

哲学を使って不安とどう向き合うべきか

【長倉】:それでは次に、哲学を使って学ぶことによって、不安とどう対峙すればいよいのか、についてお話を伺いたいなと思います。

僕も若者やいろいろな人と話していると、やはり将来が不安とか、今が不安とか、不安に突き動かされて生きていたり、不安に支配されて思考力もなくなったり、やる気もなくなる人が結構いると思っています。

そのときに、哲学的思考を持っていると、うまく不安と付き合えたりするという話を先日伺ったのですが、そのあたりについてご説明いただければと思います。

【星】:ありがとうございます。そうなんですよね、哲学って、あえて分かっていることを問い直したりするので、逆に不安になるのではないか、という質問を受けたりします。

ごもっともな質問だと思いますが、なぜ最初はいろいろなことを問い始めるとそう感じるのに、哲学を学んでいくことによって、メンタルの強化や不安と向き合いやすくなるのかというと、

まず、不安の本質というのが、そこに形がない、対象化できていない、という感情にあるわけですね。

なので、漠然と将来がどうなるか分からないので不安。といった気持ちをより考えることによって、明確化することができたりする。というのがひとつあるわけですよね。

不安だな、というふうに漠然と感じているだけだとずっと不安が続くが、何か明確に考えられるようなツールを持っておくと、その不安が解消されやすくなります。

不安を打ち消し、幸福感・達成感・自己肯定感がアップ!

というのも、漠然としたものがはっきりとした形として見えてくる、そういうふうに思考することができることがまずひとつあると思いますね。

もう一つは、主体として考えることが大事です。

主体として考えるとなぜ不安が解けるのかは、哲学的にということよりも、科学的に人間というのは何かモノに支配されたり、やらされてるからやってるというと、ストレスが溜ったり、不安になってしまったりします。

ですが、自分の気持ちでやっていたり、自分からやっていると思えると、脳でもドーパミンが出たりして達成感や幸福感が得られたりするわけですよね。

やらされてたら嫌だし、自分がやりたいことをやりたいというふうに直観できますよね。直観できるのは脳がそういうふうにできているからなんですね。

なので、不安が漠然としており、何か分からないというときに自分の頭で考えられる、心の営みができるようになっていくことによって脳のメカニズム、「自分から感」を感じることができるんですね。

なので達成感、幸福感がより得られるので、(その不安だというネガティブな気持ち)脳科学的にも哲学がメンタルにいいと言えるということですね。

【長倉】:そうすると、主体的に動いて自分がやっている感が出てくると、(よく自信がないとか言う人たちがいると思いますが)自信にも繋がっていくのでしょうか。

【星】:そうですね。まさに自信に繋がっていきます。主体性というのは人間の心の基礎的な欲求だと言われていまして、それを満たすことによって自信が上がったりします。

最近では、主体的に考えることができるということは、自己肯定感の源のひとつとも言われています。

日本人に多い優等生病とは?

【長倉】:僕は若い子と話す機会が多いのですが、直観的に「この子は大丈夫かな」とか、「この子はちょっと不安だな」と思うときは、抽象的にはなるのですが、自分の言葉で語っているのか、そうではないのか、というところを僕の中で感じます。

そういうのも同じような感じなんでしょうか。

【星】:まさにそうだと思います。やはり言葉に引き回されながら情熱的に語る場合、どちらかと言うと、神経症的なところがあります。

こんな目的が(全体で)あるというときに、優等生病と言われるような感じですね。この言葉を言ったりとか、この目的に向かって走っていないと、その周りから外されちゃうとかですね。

この言葉を喋ることによって、周りとの帰属意識を持てる、ということで、「周りに依存した形・言葉に喋らされている形」が、コントロールされちゃっているんですよね。

ですけれども、それとは反対に、同じようなことでもやはり、「他の人も言っているかもしれないけれど、いいんだ。自分が思ってやっているんだから」と自分の言葉で語れている状態は、そういうふうに主体的に考えられているということですね。それにモチベーションも長く続きます。

逆にコントロールされている状態だと、一時的にはモチベーションが上がるということは分かっているんですけれども、長期的には、心も体も疾患のリスクが上がってきてしまうということが分かってきていますね。

【長倉】:まさに今それを言おうと思いまして、優等生病って、例えばあるコミュニティに入ってきて「頑張るぞー」なんて言って、いかにもみんなが言って欲しそうなことを言っている人達、最初張り切ってる人って、すぐ消耗していくというか、結果的には辞めていってしまう人が多いな、みたいな感じで思っていたんで。

そういうのがある程度、科学的に証明されているっていうことなんですね。

【星】:そうですね。やはり何かにコントロールされてしまっていたり、今仰られたようなものは、周りとの比較にコントロールされてしまっている状態です。

主体的とは、自分がどう思うかであって、それは周りとは関係ないですよね。

やはり、「外発的な動機づけ」と呼ばれる周りとの比較は、それが一時的に強いので、ついついそれに走ってしまうんですけれども、実際は、「自分の心から出てきていることなのか」「どれだけ自分が主体的になれているのか」というのが長続きするために必要なことなんだと、脳科学的にも基礎づけられてきてる、ということですね。

【長倉】:今おもしろいと思ったのが、メンタルにも支障が出るし、体にまでも出てしまうというお話で、僕もまさに「そうだな」と思っています。

例えば、何かにコントロールされている中で、何かに熱中している人たちって、結果的に体に出てしまい、「病気になったからやめます」と言って辞めてしまう人がいるなと。

それって、コントロールされた結果、体に出たのではないかな、と感じることが多いと思いました。

主体的な考え方とは?

それと同時に、話を戻しますと、主体的に生きようと思ったときに哲学的な思考、心の営みというのを持っているかどうかが、キーになってくるということでしょうか。

【星】:まさにそうなんですね。やはり哲学の本質は、当たり前でいつも考えないようなことを改めて考え直すことにあるのですが、それだけでも主体的な行為ですよね。

いつも当たり前だと思っているので、それに操られている。

だけども改めて考え直すということは主体的ですし、考え直した上でさらに「自分はどう思うか」とか、「それとは違うやり方はどうなるのか」というところで、自分から考えなきゃいけないという部分がありますね。

なので、どのようにやったら、今当たり前と思ってきたことを見つめ直しやすくなって、どういうふうになると自分なりの考え方ができるのか、

という哲学的な方法論があるのでその辺りを哲学を学んでいくと身につけることができるという風に言われています。

哲学を「読書」に活かす方法

【長倉】:これまで、人生における有効性ということで答えのない時代において、どのように生きていくのかというところで、哲学的思考が非常に重要になってくるというお話をしていただきました。

そしてもう一つのお話では、不安にどう対応していくのか、どう対峙していくのか、その上で、どのように自信を持つのか、という話をお伺いしました。
今回は、読み書きや読書などにどのように哲学を活かしていくのか、というお話を星校長に伺いたいと思います。

哲学を読書に活かす方法①論理的に考える

例えば、僕は基本的に周りに「読書しろ」「読書しろ」と言うのですが、やはり読書に慣れてない人というのは比較的多いですよね。

そのような中で、質問を多くいただくのが、やはり「本を読んでも理解できない」とか、「記憶できない」「頭に入ってこない」というところですけども、哲学を学ぶことによって、それらも解消される、解決できるという話も伺いました。
その辺はどういうことなのでしょうか?

【星】:まずは哲学のすごく大事な部分としてですね、論理的に考えるという部分があると思うんですけども、その論理構造にはいろんなパターンやルールがあります。

そういうのを理解して、哲学を学んだり、練習することによって、議論の流れが理解できたり、「間違った理論はこういうふうになっているんだ」というのがわかりやすくなってくるんですね。

なので、全体の議論の流れや、論理の色んなパターンやルールが捉えやすくなるので、まず読書がしやすくなるということが、一つあるのかなと思いますね。

哲学を読書に活かす方法②抽象と具体を理解する

あとはやはり、例えば本を読むときに、リンゴなど目に見える、手で触れることができるような具体的な何かであれば、目で見たり手で触ったりすればよいので分かるんですけども、「何かこれ難しいな」と思う、目に見えない抽象的な概念になってくるとわかりにくくなってくるのはよくある話だと思います。

抽象的なもの同士の関わりや、抽象的なものと具体的なものがどのように関わり、具体と抽象の行き来など、哲学は抽象的なものの関係を考える練習をすごくするので、難しいコンセプトや、抽象的なものを捉えやすくなってくるという効果もあると思います。

【長倉】:今星校長がおっしゃってくれたように、抽象的なものだとやはり分かりづらいと思います。

だから本でよく具体的な事例が書かれているのは、よりわかりやすくするためですけれども、そういうのがなくても自分自身で抽象的な概念に対して、具体的に「これはこういうことなんだな」というふうにわかるようになると、自分の人生にすぐ役立てれるなと思っています。

よく「具体と抽象を行き来しよう」みたいな話もあるんですけども、その説明もなかなかみんな理解してくれなかったりします。
やはり哲学を学ぶとそういうのが当たり前になっていくってことですよね?

【星】:そうですね。まさに何か難しい哲学の議論でも、結構おっしゃられたような事例が出てきますね。

普通の人が見ていたら、その事例として哲学的に考えないようなことだけれども、哲学者が見るとこういうふうに考えることができるみたいなことがあります。目の前にある触れるものから、すごい概念が出てくるみたいなことの繰り返しなんですね。

なので、その辺を見ながら、抽象的な概念と具体的な概念のつながりや、面白いものの見つけ方などを、哲学をやっていくと身につけることができると思いますね。

ビジネスアイデアにも使えるツール

【長倉】:まあ、これはもしかしたら晢学とちょっと違うかもしれないですけど、よくビジネスの場面だったら、ある業界でこういうことがあり、それをちょっと抽象度を上げて、また別の業界に具体的に落とす、みたいなことを、結構僕なんかもやっていました。

他業界でやってることを別の業界で持っていくとうまくいくなんて話をよくしたり、自分自身も、もともとは本の編集をやっていて、本を作っていました。でもそれをもう一個、コンテンツという抽象度を上げていくと、「じゃあこれをオンラインに持っていこう!」みたいにできたり、「本屋だと売るから1500円だけど、オンラインに持っていったら1万円で売れるぞ」とか、昔気づいてビジネスをうまくやっていったんですけど、そういうのも哲学的な思考って言えるんですか?

【星】:まさにそのとおりだと思いますね。今おっしゃっていたようなことが哲学的思考の中にパターンとしてあったりするので、一旦そういうのを学ぶと、本を読んでいても、こういうパターンかなという風にわかりやすくもなります

おっしゃる通り、自分でビジネスアイディアを考えるときもですね、「うーん」と考えていても出てこないので、ツールとして学んだ哲学思考のやり方で、「ちょっと新しい考え方を探してみよう!」みたいなこともできるんですね。

哲学的な考え方「定義」とは?

例えば、定義から新しい考えを生み出していく、というやり方があります。そこにあるものを単に定義することなので、そこから何か新しいものは生まれないのかなと思いきや、それをやることによって違う新しいことを見つけるアイディアを考えていくきっかけにもなります。

例えば、私は教育者なので、学校とかであれば、学校を定義するときに学校の特徴って何があるかなと考えていくわけなんですね。

先生がいて、生徒がいてとか 校舎があって校庭があって教えることができてとか。

テストとか、いろんな特徴を考えていき、これがないと学校ではないという必要なものとかを列挙していく。
学校ってどういうものなのか定義していこうっということであって、ある程度特徴が出てきて、この辺を満たしていれば、学校かなとなったときですね。

それも先ほど、長倉さんがおっしゃっていたように、例えば必要な項目10個くらい出てきたら、項目を2個くらい落としてみるとか、1個とってみると何が見えてくるかみたいなことをやるんですね。

学校で言うと校舎があって、校舎という項目をとると、10個あった項目から9個になるので、より抽象度レベルは1つ上がる、1つアップするんですね。それで、どういう形があるのかなって考えると、例えばオンラインの学校があるのかなとか、そんなふうに考えられたりするんですね。

なので運が良ければ、「うーん」と考えて降ってきますけど、先ほど言った新しい考え方をひねり出していくような方法というのは、歴史的な哲学者たちの議論の中で培われてきているので、そういうのを学ぶいいチャンスになるのかなと言うふうに思いますね。

【長倉】:はい。ということで読書とかから抽象的なものをどう具体的にするのか、そして、その抽象的なものから具体的にするのか、というところでビジネスに使えるツールとしての哲学について今日は星校長にお伺いしました。今日はどうもありがとうございました。

【星】:ありがとうございました。




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?