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なぜ、私はゴーストライターを使わないのか?

やったあ。
4月7日発売の

『移動力〜人生は「移動距離」で決まる〜』

の原稿の戻しが終了。
あとは完成を待つのみ。
ほんと楽しみだ。

編集者時代は本が出来上がってくるのが恐ろしかったけど、
著者になってからは最高の楽しみになった。

前作『モテる読書術』を出して以来、
毎朝執筆しているアピールをしていたせいか、

「長倉さん、自分で書いてるんですか?」

みたいなことをいろんな人に言われる。
それも業界の人じゃない人に。

私が編集者時代もたしかにゴーストライターは使うことは多かったけど、
なんとなく暗黙の了解的な気がしてたけど気のせいか。

とくに私はビジネス書を作っていたからゴーストライターの存在は貴重だったし、その人の力量により、クオリティ、スケジュールが左右されるくらいだった。

でも、私の場合は、著者がなんらかの理由で書けない場合の苦肉の策と思ってた。だから、まずは著者が時間的にも能力的にも書けるかの確認から入り、無理かなって思ってからゴーストライターを頼った。

ところが最近は、上記にもあるように一般の人にも、

「著者が書いてない」

ってのが浸透しているようだ。

私は良い悪いが言いたいのではなく、なんか変わったな、と。
というより、そこまで公なら「ゴースト」って言葉もいらないし、
いっそのこと「共著」でいいんじゃないかって思ってしまう。

スタジオミュージシャンというより、作曲に入ってるわけだしね。
そういった意味でもわかりやすいクレジットでいい気もするんだよね。

ただ、こんなことを思うのは、私の性格なのかもしれない。
今思えば、編集長時代、

外部の企画、外部の編集は一切使わせなかった

ってくらい内製にこだわっていた。

だって、編集者から「企画」「編集」とったら何なの?って思ってたし、
そもそも成長がないから。

だから、外部企画も外部編集も使ってこなかったから、
私は出版業界に人脈がないのだろう。笑

そういった意味ではもっとうまくやっておけば良かったと思うが、
部下たちの成長のためには良かったと確信してる。

翻って私の著者としての話をすると、

徹底的に自分で書くことにこだわりたい

って思っている。
なぜなら、

一冊書くことほど自分を鍛えるのに良い方法はない

って思うからだ。
一冊書くことで、

情報収集能力、
情報整理能力〔論理力)、
言語化能力、

が鍛えられると思っている。
なにせ、頭が疲れるからね。

そして、これらの能力が3年後の自分にとって重要だと、
なんとなく思えてる。

だから、私は出版社が決まっていなくても原稿を書いている。
いまは『無視力』と『編集者の仕事術』を書いている。
2冊同時進行で何が起きるかを実験しているところ。

こうやって書いてみると、結局、私は、

「成長」

というものを重視しているのがわかる。
編集長時代は部下の成長、今は自分の成長。

正直、「成長」という言葉は好きじゃないけど、
好きな自分を発見できた。

でも、前から言っているように文章を書く、発信するってことは、

自分を知る

ってことにつながるから、私はずっと勧めているんだ。
今までは情報発信だったけど、今は一冊書くことを勧めたい。



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