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神さまと生きるために知ってほしいこと 11章 神さまのみこころを知る

私たちの最大の問題は、私たちが神さまから離れた状態にあって、神さまが歩ませようとしている人生を歩んでいないことにあります。
そこで私たちは、神さまが歩ませようとしているはずの道を探すのですが、なかなかそれを見出すことができません。

神さまが計画し、私たちを導こうとしている人生の方向を、『神さまの御心(みこころ)』と呼びます。

多くのクリスチャンが、神さまの御心を知りたいと願っていますが、その方法がわからないでいます。
どうすれば神さまの導きを感じ、御心を知ることができるのでしょうか?

1. 前提条件

私たちが神様の御心を知るためには、必要な前提条件があります。

1. 神様の導きが最善であることを信じ、信頼する

「あなたの道を【主】にゆだねよ。主に信頼せよ。主が成し遂げてくださる。(詩篇 37:5)」

神さまは全知全能であり、私たちを愛して下さっています。
神さまの計画がいつでも最善であることを信じて、神さまの道を選びましょう。

2. どんなことでも神さまに従うという決心と、心の準備をする

イエスさまはこう言っています。

「わたしは自分の意志ではなく、わたしを遣わされた方のみこころを求めるからです。(ヨハネ 5:30c)」

私たちも、イエスさまがそうしたのと同じように、自分の望むことではなく、神さまの御心を第一に求める必要があるのです。

どんなことでも従うという心の状態でなければ、私たちは無意識の内に自分の都合の悪いことには耳をふさいでしまいます。
下図にあるように、イエスさまを受け入れてクリスチャンになっても、自分が自分の王様となって全てを決めるという状態では、神さまが何を教え、導こうとしても意味がありません。
都合の悪いことには耳をかたむけないからです。

自分の王座をイエスさまに明け渡し、神さまの御心にいつでも従うという決心をしましょう。
その時私たちの心は、神さまの声を聞くための準備が整えられるのです。

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2. どのように導きを受け取るか

1. 神さまは、ご自身の計画に従って、常に働いておられます。

ヨハネ5:17、19-20を読みましょう。

「イエスは彼らに答えられた。『わたしの父は今に至るまで働いておられます。それでわたしも働いているのです。』(ヨハネ 5:17)」
「イエスは彼らに答えて言われた。『まことに、まことに、あなたがたに言います。子は、父がしておられることを見て行う以外には、自分から何も行うことはできません。すべて父がなさることを、子も同様に行うのです。それは、父が子を愛し、ご自分がすることをすべて、子にお示しになるからです。また、これよりも大きなわざを子にお示しになるので、あなたがたは驚くことになります。(ヨハネ 5:19-20)」

私たちがまず知っておく必要があるのは、いつでも神さまが先に働いておられるということです。

私たちはつい、自分で思いついたことに対して神さまに祈り、それが御心かどうかを尋ねたり、助けて下さるようにお願いするということをしてしまいがちです。
しかし、この方法には大きな問題があります。
それは、罪人である私たちが計画の中心になって、神さまの方を動かそうとしていることです。

いつでも神さまが中心であり、私たちは主ではありません。
そして、神さまが私たちに計画を表して下さり、私たちがそれに参加するように招いておられるのです。

周りを取り巻く環境を、見回してみて下さい。
いつもと違うことはないでしょうか? 何かが起こってはいないでしょうか?
誰かが何かを必要としていたり、神さまを必要としているということはないでしょうか?
神さまは、ご自身の計画に従って、すでに働いておられるのです。

なぜそこに、神さまが働かれているということができるのでしょう?
それは、神さまから離れて罪人となった私たちは、聖霊の働きによるのでなければ、神さまの御心に近づくことができないからです。このように書かれています。

「生まれながらの人間は、神の御霊に属することを受け入れません。それらはその人には愚かなことであり、理解することができないのです。御霊に属することは御霊によって判断するものだからです。(Ⅰコリント 2:14)」

どんな時でも、神さまが働いておられるところを見つけるところから始めましょう。
こうして神さまから始めるのでない限り、私たちは神さまの働きを体験することはできないのです。

3. 神さまの最大の目的は、愛の関係を築くこと

ルカ10:27、ヨハネ14:21を読みましょう。

「すると彼は答えた。『あなたは心を尽くし、いのちを尽くし、力を尽くし、知性を尽くして、あなたの神、主を愛しなさい』、また『あなたの隣人を自分自身のように愛しなさい』とあります。(ルカ 10:27)」
「わたしの戒めを保ち、それを守る人は、わたしを愛している人です。わたしを愛している人はわたしの父に愛され、わたしもその人を愛し、わたし自身をその人に現します。(ヨハネ 14:21)」

神さまは全知全能なのですから、私たちなんかいなくても何でもすることができます。
それなのに、神さまはどうして私たちを通して働きを完成させようとなさるのでしょうか?
それは、私たちとともに働きをすることを通して、私たちと愛の関係を築き、その関係をより深めるためです。

これまでに学んできたように、私たちは神さまとの愛の関係を築く存在として創造されました。
イエスさまを知るまでの私たちは、そんな神さまの愛から離れた状態にありましたから、私たちはこれまでの生き方を変えて、神さまに愛され、神さまを愛する生き方を選択する必要があるのです。

私たちが神さまを愛しているかどうかということは、私たちがどれだけ神さまに従えるかということで表すことができます。
神さまを信頼し、それが最善であることを心から信じていなければ、私たちは従うことができないからです。

4. 神さまは聖霊を通してみちびきを与える

ヨハネ8:47、10:3を読みましょう。

「わたしを遣わされた父が引き寄せてくださらなければ、だれもわたしのもとに来ることはできません。わたしはその人を終わりの日によみがえらせます。(ヨハネ 6:44)」
「しかし、助け主、すなわち、父がわたしの名によってお遣わしになる聖霊は、あなたがたにすべてのことを教え、わたしがあなたがたに話したすべてのことを思い起こさせてくださいます。(ヨハネ 14:26)」

聖書が教えるひとつの真理は、私たちの神さまは、語ってくださる神さまだということです。
もうひとつの真理は、神さまを信じる人は、その語り掛けを受け取り応答するということです。

聖書の中で、神さまが人々にご自身を表される方法に決まった形はありません。
しかし人は、いつでもそれが神さまであることを知ることができ、その意味を明確に理解していました。
それでは、どうすれば神さまの声を聞くことができるようになるのでしょうか?

① 私たちの思いを通して語り掛ける

「神はみこころのままに、あなたがたのうちに働いて志を立てさせ、事を行わせてくださる方です。(ピリピ 2:13)」

次のようにして神さまの声に耳を傾けてみましょう。
1. 神さまの声を聞く前提条件として「どんな御心に対しても従う」という決意をする。
2. 導きを求めていることに関して祈る。
3. 静まる中で、心に思い浮かんだことが神さまの導きである可能性が高い。
4. 神さまの導きは、私たちの願望とはまったく違うことが多い。
5. そこで得た答えが、聖書の真理と矛盾していないかどうかを確認する。
6. 導きを受けたことを実行してみる。それによって、それが本当に御心だったかどうかがわかる。

② 聖書の言葉を通して語り掛ける

「あなたのみことばは僕の足のともしび僕の道の光です。(詩篇 119:105)」

聖書は神さまの言葉です。
ディボーションなどで聖書を読んでいる時に、あることばが心に飛び込んでくるように感じたり、自分の今の状況と一致しているように思えたりして、神さまに語り掛けられているように感じることがあります。

③ 祈りを通して語り掛ける

「それを、神は私たちに御霊によって啓示してくださいました。御霊はすべてのことを、神の深みさえも探られるからです。(Iコリント 2:10)」

祈りは神さまとの対話です。
その対話の中で、神さまが語り掛けられているように感じたり、私たちの思いが変えられます。
また、祈ったことに対して何かが起こったり、何も起こらないことを通しても、神さまの御心がどこにあるのかを知ることができる時もあります。
私たちは神さまの声に、注意深く耳を傾ける必要があるのです。

④ 身の周りの出来事を通して語り掛ける

「それは、父が子を愛し、ご自分がすることをすべて、子にお示しになるからです。また、これよりも大きなわざを子にお示しになるので、あなたがたは驚くことになります。(ヨハネ 5:20)」

神さまは時として、歩もうとする道を閉じられたり、新たな道を拓くことによって導くことがあります。
人との出会いや、アクシデントを通して、私たちが歩む道を示されることもあります。
しかし、私たちは目の前に起こる出来事を通してだけ神さまの導きを知ろうとすべきではありません。
私たちがその出来事を、正しく神さまの視点で見ることが出来ているとは限らないからです。
必ず、祈り、御言葉を通して語り掛けられるようにも求め続けるようにしましょう。

⑤ 教会や他のクリスチャンを通して語り掛ける

「キリストによって、からだ全体は、あらゆる節々を支えとして組み合わされ、つなぎ合わされ、それぞれの部分がその分に応じて働くことにより成長して、愛のうちに建てられることになります。(エペソ 4:16)」

教会はキリストのからだであり、私たちはその一部です。
からだの他の部分が何かを見たり、感じたりすることを通して、私たち体全体がなすべきことを示されることもあります。
そのためには、私たちクリスチャンが、愛の関係によってしっかりと結びついている必要があります。
そして互いに教え合い、互いに仕えあうことによって、キリストのからだとして機能していくことができるようになるのです。

教会に通っているかどうかや、組織としての教会に所属しているかどうかということは、重要なことではありません。
私たちが、他のクリスチャンとの関係を持っているということが大切なのであり、愛し合い、協力し合うという関係がキリストの体としての教会です。
ネットワークを築き、必要に応じて協力し、ともに働く関係を築いていきましょう。

「まことに、【神】である主は、ご自分の計画を、そのしもべである預言者たちに示さずには、何事もなさらない。(アモス 3:7)」

神さまが御心を示される時、私たちはある程度明確な形でそれを知ることができると、聖書は教えています。
もしも私たちが、神さまの語り掛けに気が付かないでいるならば、それは神さまとの関係に、何か問題があるのかもしれません。
神さまとの愛の関係を深めましょう。

人ごみの中で、親密な人の声だけは聞き分けることができるように、神さまとの関係がもっと親密になれば、私たちはより明確に神さまの声を聞き分けることができるようになります。

5. 神さまの御業を体験することで、親密さは深まる

ヨハネ14:23を読みましょう。

「イエスは彼に答えられた。「だれでもわたしを愛する人は、わたしのことばを守ります。そうすれば、わたしの父はその人を愛し、わたしたちはその人のところに来て、その人とともに住みます。(ヨハネ 14:23)」

神さまが私たちを通して働いてくださるという経験を通して、私たちは個人的に、そして現実的に神さまを知ります。
その体験が、私たちの信仰をより確かなものとし、愛の関係はより深まっていくのです。

そしてその体験が私たちの「証」となり、私たちの周りの人たちを励まし、神さまと出会うきっかけを作ります。

―考えてみましょうー
① 神さまが、あなたの周りで働かれていると感じる出来事はありますか?

② 神さまは、その出来事の中に招かれていると感じますか? もし感じるなら、何をする必要があると思いますか?

③ 示された神さまの御心に従ったら、どんなことが起こると思いますか?


コラム:<御心がわからない時>
「どれだけ祈っても神さまからの答えが与えられない」という人は、神さまに求めていることの方向性が間違っているのかもしれません。
間違った質問をすれば、正しい答えが与えられることはありえないのです。

「御心の結婚相手」、「御心の学校」、「御心の仕事」について相談を受けたり、祈り求める声を聞くことがありますが、明確な導きが与えられないこともあります。
たぶんそれは、それほど大切なことではないからではないでしょうか。
強いて言うなら、「どれでもいいよ。好きなようにしなさい」というのが神さまの答えなのだと思います。
 
神さまにとって大切なのは、「相手をどのように愛するか」ということや、「その経験を通して何を学び、どのようにして神の国を広げていくか」ということであって、「相手が誰か」とか「どこに行くか」ということではないのです。
私たちが求めているのとは全然違う形で導きが与えられていないかどうか、視点を変えて求めてみましょう。

神さまの御心を第一に求めるということは、単に神さまの指示を待つことではありません。
私たちには考えるための知能を与えられ、自分で決断することができる自由意志が与えられているのですから。




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